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昔の新聞点検隊

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【当時の記事】

就職戦線 太平洋を越ゆ アメリカ娘が求職の申込 大学は出たけれど……

▽…失業者千二百万人、国民債務総額二千億ドル、一九三一――三二年度の国庫赤字二十八億ドル……これはアメリカの巨大な不景気標識だ ドル王国の転落! 如何に今アメリカ人が、深刻な不況に悩んでゐるか? アメリカからの求職依頼が太平洋を越えて我国へ舞ひ込みヤンキー娘が日本で働きたい――といふのだ、この申込みで東京の一紹介所から一躍世界的となった飯田町の府職業紹介所では「国際的職業紹介所」の必要が痛感されてゐる折柄ではあり、日本の名誉にかけても一はだ脱いでやらなくちゃと豊原所長、川野主事が目下斡旋これつとめてゐる、その求職アメリカ娘の一人はオハヨー州マンスフヰルドのローリン・ストローム嬢(二四)といふ独身者、同地の大学出身後シンプソン・ジュニア・ハイ・スクールで英語、歴史の教べんをとり又Y・W・C・Aやガールス・スカウト、暑中休暇にはウエステイングハウス電気会社で事務をとった経験もあるといふ

▽…も一人はホノルルにゐるエルジー・ヴオイヒト(三一)といふ独逸系のアメリカ老嬢だがシカゴのノース・ウエスタン大学商科を卒業、シカゴ、ニューヨーク両大学に学び過去十七年間あらゆる事務所労働の経験者、五ケ国語に長じ速記、秘書とかのややっこしい仕事が好きださうだ

▽…去る一月にも東京商工会議所へ美容室の支配人として求職斡旋を頼んで寄越したシカゴのP・ホワードといふ男があり同紹介所で世話しようとしてゐるうち、シカゴ博覧会の日本関係の事務に就職口がきまったさうで、これは本人の初志には反したわけだが今度は紹介所としても乗気になり二人の女の写真と正式の申込書を送るやう早速返事をだした

▽…尚在米邦人からも内地における就職を希望した書面があり更に最近帰朝した邦人五十名許りが「アメリカの大学は出たけれど」――とて同紹介所に通訳を希望して折よく通訳十名の求人があって職にありついた、又在日ドイツ画家グライエル氏(二九)や白露系レオニード・ヴーレ氏(二五)もここの関門を通じて仕事を見つけたなど職業紹介所の一大進展としても注目されてゐる

(1933〈昭和8〉年4月1日付 東京朝日 朝刊11面)

【解説】

 1929年10月24日、ニューヨーク株式市場で株価が暴落し、投資家たちはパニックに陥りました。この「暗黒の木曜日」をきっかけに始まった大恐慌で米国では多くの人が職を失い、街は失業者であふれました。この記事が書かれた1933年春は、世界恐慌のまっただ中の時期。書き出しから「失業者数1200万人」とあり、厳しい社会情勢が伝わってきます。現在の日本でも就職難が叫ばれて久しいですが、当時の米国では失業率が一時、25%にも達したといいます。記事にあるように5カ国語が堪能で事務の経験があっても仕事が見つからないというのですから本当に深刻な状況です。

 では、記事を点検していきましょう。まず1段落目。西暦を表す漢数字を「――」でつないでいます。当時は漢数字を使うことがほとんどだったので読み誤る可能性は低かったと思いますが、現在は洋数字の「1」と見間違えることがないよう「~」を用います。日本で「年度」といえば4月から翌年3月までの期間を指しますが、このような区切りは国によってまちまちです。現在、米政府の予算などの記事で、対象期間を明示して「2011会計年度(10年10月~11年9月)」などと書くことがあるのはそのためです。

 日本で働きたいと求職中の「ヤンキー娘」。「ヤンキー」は米国人の俗称ですが、けなすニュアンスが込められている場合もあり、また日本では「不良」の意で使われることもあります。紙面に登場することはまれですが、最近も五輪など国際スポーツ大会の米国女子代表選手を指して用いられたことがありました。大リーグのチーム名にも使われており、必ずしも排除すべき表現というわけではありませんが、単に米国出身であることを表すには「米国人女性」などとすればよいでしょう。「アメリカ娘」も同様です。

 求職者の説明で、「独身者」や「老嬢」という表現が出てくるのも気になります。後半に登場する男性は、独身であるかどうかなど書かれていませんね。「独身のまま婚期を過ぎた女性」を意味する「老嬢」「オールドミス」「ハイミス」などの言葉は、もう耳にすることは少なくなりました。年齢も書かれているのですから、今の記事ならば「女性」で十分だと思われます。逆に3段落目に出てくるP・ホワードさんだけ年齢が入っていないので、分かるなら加えてもらいましょう。また、敬称に「嬢」を使うことも今ではまずありません。4段落目で「仕事を見つけた」と紹介されている2人はおそらく男性だと思います。本紙のおくやみ欄でも、長い間男性は「氏」、女性は「さん」などと慣例的に使い分けられてきましたが、現在は男女を問わず「さん」で統一しています。

 2段落目で「独逸」、4段落目では「ドイツ」と表記が分かれていますが、一つの記事の中では同じ表記にそろえた方がよいでしょう。略さずにカタカナで書かれることが多いですが、米、英、独、仏、伊などは現在の紙面でもしばしば用いています。新聞には行数に制限があり、たった1文字で国名を表せる略称は非常に好都合だからです。

 4段落目に出てくる「白露系」という言葉は、時代を感じさせます。白ロシア(ベラルーシ)ではなく、白系ロシア人の意ととるのが自然かと思います。白系ロシア人とは、1917年のロシア革命後に亡命したロシア人のこと。当時の記事を読んでいると「白系露人」と書かれていることが多かったので、これを省略したものでしょうか? 「白露」からベラルーシを想像する人がいないとも限りませんので、「白系ロシア人」とした方が親切でしょう。

 ところで、見出しにも取られている「大学は出たけれど」。世界恐慌が波及し、日本も深刻な不景気に見舞われた1929年に公開された小津安二郎監督の映画のタイトルです。就職口が見つからない若者を主人公にしたこの作品は当時大ヒットし、世相をとらえた言葉は流行語になりました。封切りから80年以上を経た現在でも、就職難や就職浪人についての記事でしばしば目にすることがあります。文部科学省によると、今春4年制大学を卒業した学生の就職率は60.8%で、就職も進学もしない人は8万7千人。昭和初期と比べれば大学進学率はかなり上昇しており、この数字をもって簡単に比較することはできません。しかし、物質的にはずっと恵まれているはずの現代でも、不景気の時代を覆う重い空気は当時と似ているのかもしれません。

 記事の舞台は飯田町の東京府職業紹介所です。飯田橋は1966年に地名が変更されるまで飯田町と呼ばれていました。JR飯田橋駅のそばには現在もハローワーク(公共職業安定所)があります。公設の職業紹介所が日本で誕生したのは1911(明治44)年11月。東京の浅草区と芝区の2カ所に東京市職業紹介所が開設されたのが最初のようです。

拡大職業紹介所の国営化を前に豊原さんを取りあげた記事(1938年4月15日付東京版)
 この記事にある東京府の紹介所の歴史は、1920(大正9)年6月、神田駅のガード下に置かれた府中央工業労働紹介所から始まります。ここの顧問を務めたのが、「豊原所長」こと豊原又男さん。慈善救済として始まった職業紹介所を産業組織の一機関へと転換させ、のちに「職業紹介の父」と呼ばれた人物です。同紹介所は府職業紹介所と改称され、豊原さんは所長として活躍しました。「川野主事」とは、豊原さんと共に草創期の職業紹介事業を発展させた職員、川野温興さんです。川野さんは豊原さんの業績を振り返り、のちに「国営前の職業紹介事業」(1941年)という著作も残しています。何度かこのコーナーでも書いている通り、初出の際はフルネームが基本。2人の名前を挿入してもらいましょう。

 公設市場の2階にあったガード下の紹介所は1923年の関東大震災で全焼し、神田区の万世橋近くに仮庁舎が造られます。飯田橋に新庁舎が完成し、移転したのは1925年4月。以来、豊原さんの当初からの理想だった国営化が実現する1938年まで、「求人者、求職者のいずれに対しても一切無料」を原則に、日本の職業紹介事業の道筋をつくり上げました。

 今年6月に日本政府がまとめた地域主権戦略大綱では、国の出先機関の「原則廃止」がうたわれています。全国に500カ所以上あるハローワークも改革の対象ですが、厚生労働省は「国が全権を維持すべきだ」として地方移管に反対。職業紹介界の草分けとして生き、念願の国営化を成し遂げた豊原さんの目には、現在の状況はどう映るのでしょうか。

 1938年7月1日の国営化を前にした東京版(同年4月15日付)には、「二階ずまひから晴れて国営へ 豊原さんの今昔譚」という見出しで大きな記事が掲載されています=右の画像。「心のこもった職業紹介」を信条に40万人以上に職業あっせんを行ったという豊原さんは、この記事の最後でこう言っています。「紹介所の官僚化だけは絶対に避けなければなりません」

(画像には主な直しだけ朱を書き入れています。現在の朝日新聞の表記基準で認めていない漢字の音訓や、当時は入れていなかった句点を入れる等については、原則として記入を省いています)

【現代風の記事にすると…】

就職戦線 太平洋を越えて 米国の女性からも求職依頼 大学は出たけれど…

 失業者数1200万人、国民債務総額2千億ドル、1931~32年度の国庫赤字28億ドル――。この数字は米国の景気指標で、ドル王国の転落を示している。求職依頼が太平洋を越えて日本へ舞い込んでいることからも、今米国人がどれほど深刻な不況に悩んでいるか察することができる。米国人女性が日本で働きたいというのだ。この申し込みで、東京の一紹介所から一躍世界的になった東京・飯田橋の府職業紹介所。「国際的職業紹介所」の必要性が叫ばれ、豊原又男所長や川野温興主事は日本の名誉にかけて一肌脱ごうと、目下あっせんに努めている。求職中の米国人の一人は、オハイオ州マンスフィールドのローリン・ストロームさん(24)。当地の大学を卒業後、シンプソン中学校で英語と歴史を教えていたほか、YWCAやガールスカウト、夏季休暇には米総合電機大手のウェスティングハウス社で事務の経験もあるという。

 もう一人はハワイ・ホノルル在住のエルジー・ボイヒトさん(31)というドイツ系米国人で、イリノイ州シカゴのノースウエスタン大学商学部出身。シカゴ、ニューヨーク両大学でも学び、過去17年間あらゆる事務の経験がある。5カ国語にたけ、速記や秘書といった複雑な仕事を希望している。

 1月にもシカゴのP・ホワードさんという男性が東京商工会議所に美容室の支配人として求職あっせんを依頼してきたことがあった。同紹介所で世話しようとしているうち、本人が初めに望んだ仕事とは違っていたが、シカゴ博覧会の日本関係の事務に就職が決まったという。今回は紹介所も乗り気で、2人の女性の写真と正式な申込書を送るよう早速返事を出した。

 なお、在米邦人からも日本国内での就職を希望する書面があり、さらに最近帰国した日本人約50人も「アメリカの大学は出たけれど……」と同紹介所に通訳を希望。折よく通訳10人の求人があり、就職することができたという。また、在日ドイツ人画家グライエルさん(29)や白系ロシア人レオニード・ブーレさん(25)もこの窓口を通じて仕事を見つけるなど、職業紹介所の大きな進展としても注目されている。

(上田明香)

当時の記事について

原文どおりに表記することを原則としますが、読みやすさの観点から

  • 漢字の旧字体は新字体に
  • 句点(。)を補った方がよいと思われる部分には1字分のスペース
  • 当時大文字の「ゃ」「ゅ」「っ」等の拗音(ようおん)、促音は小文字に

等の手を加えています。ご了承ください