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昔の新聞点検隊

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【当時の記事】

角界内部から、突如積弊大廓清運動起る 武蔵山以下の力士結束し 十ケ条の要求を提出

相撲界多年の情弊はさきに武蔵山をして拳闘界への転身まで決意させこの積弊に対する力士多数の不満は日を追うて内昂しその爆発は時の問題とされてゐたが、果然五日の春場所番付発表を機会に西方の人気力士武蔵山、天竜、大ノ里以下が結束してこの積弊打破のため起つことになり西方幕の内及び十両力士一同は六日正午過ぎけい古が終ると共に三三五五出羽ノ海部屋を出で京浜沿線大井駅前春秋園に秘密裏に会合 協議の結果角道改革のため長文の宣言書を公表し同時に相撲協会に対して十ケ条から成る要求書を提出、これに対し四十八時間内に回答ありたき旨を伝達することになり、一同満足なる回答を得るまでは同所に立籠ることになった

力士団がその部屋より脱出して一ケ所に籠城しこの強硬な態度をもって革新への旗しをあげたことは去る大正十二年角界紛擾以来未曾有の大事件で十四日の春場所大相撲をひかへてゐるだけにその成行は注目されてゐるが東方も合流の形勢にある

入場料低下など 要求条項の内容

春秋園に立てこもった力士団一同から相撲協会に提出された要求条項は左の如し

一、 相撲協会の会計制度を確立しその収支を明らかにすること
二、 興行時間を改正すること
三、 入場料を低下し角技を大衆のものたらしむること
四、 相撲茶屋と中銭制度を撤廃すること
五、 年寄制度を漸次に廃止すること
六、 養老金制度を確立すること
七、 地方巡業制度を根本的に改革すること
八、 力士の収入を増加し生活を安定ならしむること
九、 冗員を整理すること
十、 力士協会を設立し共済制度を確立すること

聴かれねば 脱退決意

一同は天竜を最後に二十九名集合 午後二時から協議に入ったが結束はすこぶる固くもし一ケ条でも容れられぬ場合は現在の協会を脱退し別個の協会を作るといってゐる

(1932〈昭和7〉年1月7日付 東京朝日 夕刊2面)

【解説】

 白鵬の全勝優勝で幕を閉じた大相撲秋場所。2010年は野球賭博問題で名古屋場所のテレビ中継が中止されるなど、相撲界に大きな衝撃が走った年でした。日本相撲協会は2013年の11月末までに新たな公益法人制度のもとでの認可をうけるためにも、改革の必要性が指摘されています。

 秋場所では双葉山の持つ連勝記録「69」に迫る白鵬が、連勝を伸ばせるかが話題となりました。今回点検するのは後の大横綱・双葉山が現役で若手だった頃、今から80年近く前に相撲界を大きく揺るがした出来事をとりあげた紙面です。

 相撲界の改革を求めて、協会に対抗し、団結して立てこもりをはじめた力士たち。「聴かれねば脱退決意」とあるように、改革要求を行った力士たちの決意には相当なものがあったようです。協会との交渉は難航し、結局、春秋園(しゅんじゅうえん)に立てこもった力士たちは協会を脱退し、別の団体をつくって独自に興行を行うことになります。

拡大翌日の朝刊に載った立てこもる力士らの写真
 一方で、記事では14日としている春場所初日は、この事件の余波で約1カ月後の2月22日まで延期されました。事件の中心になったのが、関脇・天竜や大関・大ノ里といった実力も番付も上位の力士たちだったこともあり、脱退した彼らの分を埋めるため番付を組み直す必要に迫られた協会。春場所では多くの力士が大昇格しました。立てこもりには参加しなかった双葉山も、この春場所で新入幕を果たしています。

 後にこの事件は力士が集まった店の名前から「春秋園事件」と呼ばれるようになりました。記事には触れられていませんが、この春秋園は中華料理店。翌日の朝刊紙面で、同店に立てこもる力士たちの写真が掲載されています=右の画像。春秋園があったのが「大井駅前」となっていますが、これは今も東京都品川区にある「大井町駅」のことをさしているのでしょう。当時の駅名にも「町」が入っていたようですから、春秋園の住所と合わせて記事に入れてもらいましょう。

 冒頭に武蔵山が拳闘界へ転身を決意したとあるのは、前年の秋に武蔵山がボクシングに転向するという報道があったのを受けたもの。当時の記事によると、転向の理由として「土俵の上だけでは飯がくへない、飯をくふためにはひいき客に対してほう間的態度をとり金一封によって関取としての体面を保って行かねばならぬといふやうなことに厭気がさし内面的にめざめてゐた彼がリングといふ国際スポーツの華麗なる舞台への進出を決意するに至った」としています(1931年11月21日付朝刊)。この頃の武蔵山の番付は小結、春場所前に発表された番付では新大関となりました。大関クラスの有力な力士でも生活苦だったのか、と意外な感じがします。

 ただ、結局武蔵山はボクシングには転向せず、春秋園事件に参加。ところが彼はすぐにこの運動から抜けてしまいます。直後に協会に復帰し、延期の末に行われた春場所には大関として出場しました。

 実は不満を持つ力士たちが協会に要求を突きつけたのは、このときが初めてではありません。この記事でも「大正十二年角界紛擾(ふんじょう)」として触れられていますが、1923(大正12)年1月には、東京相撲力士会所属の力士たちが協会に養老金(退職金)の増額など待遇の改善を要求した出来事がありました。

 この時も力士たちは東京・上野の旅館や三河島(荒川区)の工場にたてこもり、交渉がこじれて場所の開催が遅れたり、当時横綱だった大錦が廃業したりする事態になりました。この事件は「三河島事件」と呼ばれています。

 このように、繰り返し協会へ改善を要求する事件が起こったところからも、当時の力士たちが置かれていた苦境がうかがえます。前文にある「相撲界多年の情弊」は、こうした事情をふまえたものなのでしょう。

 ちなみに記事では「相撲協会」とされていますが、当時の正式名称は「財団法人大日本相撲協会」。発足したのは1925(大正14)年で、協会名から「大」の字が取れたのは、戦後、1958(昭和33)年です。

 大見出しの「廓清運動」の廓清は、あまり見かけないことばですね。日本国語大辞典(小学館)によると、「悪いものを取り払って清めること」の意味。

 書き出しに出てくる情弊というのも珍しいことばです。こちらは「情実によって起こる弊害、人情にからんで起こる弊害」(同上)といった意味。

 どちらも間違いではありませんし、当時の読者にはピンと来る表現だったかもしれません。ただ、今ではなじみが薄いので「一掃」「問題」など別の表現にした方が分かりやすそうです。

 記事に出てくる「幕の内」は、いまなら「幕内(まくうち)」と表記するでしょう。番付が前頭以上の力士をさします。江戸時代に将軍の上覧相撲が行われる際、上位の力士に特別に仕切りの幕の内側にいることが許可されていたことに由来する、という説が辞書などでは有力のようです。似た使い方をされることばに「関取」がありますが、こちらは十両以上のこと。社内のデータベースで調べてみると、当時は「幕内」の方が優勢ではあるものの、「幕の内」という表記も混在していました。

 「けい古が終ると」の「けい古」、「旗しをあげた」の「旗し」のように、漢語の一部をかな書きにするのを交ぜ書きと言います。意味が取りにくいため、今の紙面では法令の表記に基づくものなど以外では、できるだけ使わないようにしています。漢字で書くなら「稽古」「旗幟」となりますが、稽古は「稽」が現在は常用漢字ではないため「けいこ」と仮名書きにすることが多いですし、旗幟はもっと意味が通じやすい他のことばで言い換えます。

 次は紙面のレイアウトについてです。この紙面では、「角界内部から……」と大きな見出しが4段にわたってつけられ、その左側に記事を配置してあります。ところが、相撲の記事は見出しの隣の3段11行分と、1段目の途中までだけで、残りは別の記事なのです。今でも急いで記事を入れる時に、このような組み方をすることはあるのですが、見出しと記事の関係が紛らわしいので、できれば編集者にレイアウトの改善をしてもらいたいところです。

 前でも触れましたが、立てこもった力士たちは協会を脱退して独自の団体を作り、ユニークな競技方法の興行を事件の翌日に行いました。11月9日更新予定の回でその紙面を点検してみましょう。

(画像には主な直しだけ朱を書き入れています。現在の朝日新聞の表記基準で認めていない漢字の音訓や、当時は入れていなかった句点を入れる等については、原則として記入を省いています)

【現代風の記事にすると…】

角界内部から改革運動 武蔵山ら力士協議 10カ条の要求を提出

 相撲界の長年にわたる未解決の問題に対し、多くの力士たちは強い不満を感じるようになっていた。昨年秋には武蔵山がボクシングへの転向を決意するなど、不満の爆発は時間の問題と考えられていたが、5日の春場所番付発表を機に、西方の人気力士武蔵山、天竜、大ノ里らが結束し、これを解決するために立ちあがった。

 西方の幕内・十両の力士一同は6日正午過ぎ、けいこが終わると、ばらばらに出羽ノ海部屋を出て、京浜線の大井町駅前にある中華料理店・春秋園(東京都品川区)に集まり、ひそかに協議した。

 その結果、力士たちは相撲界改革のために長文の宣言書を公表し、さらに大日本相撲協会に10カ条の要求書を提出。48時間以内に回答するよう求めた。力士たちは十分な内容の回答を受けるまでは、同店に立てこもることにした。

 力士たちが部屋を出て1カ所に籠城し、強硬な態度で革新への意志を鮮明に示したことは、大正12年に起こった三河島事件以来の大事件だ。春場所の初日を14日にひかえ、その動向は注目されており、東方の力士たちが合流する可能性もある。

要求の内容

 以下は春秋園に立てこもった力士団から相撲協会に提出された要求。

 1、相撲協会の会計制度を確立し、その収支を明らかにすること
 2、興行時間を改正すること
 3、入場料を値下げし、相撲を身近なものにすること
 4、相撲茶屋制度と中銭制度を撤廃すること
 5、年寄制度を徐々に廃止すること
 6、養老金制度を確立すること
 7、地方巡業制度を抜本的に改革すること
 8、力士の収入を増加させ、生活を安定させること
 9、過剰な人員を整理すること
 10、力士協会を設立し、共済制度を確立すること

脱退の可能性も示唆

 力士たちは天竜を最後に29人が集まった。午後2時から協議に入ったが、結束は非常に固く、もし1カ条でも受け入れられなければ、相撲協会を脱退し、別の団体を作るつもりだという。

(市原俊介)

当時の記事について

原文どおりに表記することを原則としますが、読みやすさの観点から

  • 漢字の旧字体は新字体に
  • 句点(。)を補った方がよいと思われる部分には1字分のスペース
  • 当時大文字の「ゃ」「ゅ」「っ」等の拗音(ようおん)、促音は小文字に

等の手を加えています。ご了承ください