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昔の新聞点検隊

日本でもあった!落盤事故から奇跡の生還

森本 類

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【当時の記事】

生埋め土工十一名 奇跡的の生命拾ひ 遭難当日から八日目で 全部救ひ出さる 快報に狂喜した家族たち

【会津若松電話】福島県南会津郡長江村地内新潟電気の大川発電所水路トンネル坑内で生埋めとなった日鮮土工十一名の救助作業は縦坑よりの掘進その効を奏し二十二日正午遂に坑道に達し午後一時半に至り坑内より助けてと呼ぶ叫声が聞えて来たのに力を得て掘さくの結果午後二時十分に至りつひに十一名全部救助された 生き埋となって既に百八十時間余を経過したこととて十中八九まで絶望と見られて居たのがこの快報に現場に駆つけて安否を気遣ってゐた家族はもちろん一同は狂喜した、かく長時間飢と冷気とに闘ひつづけて奇跡的に生存して居たのは坑内が約三十間ほどの広さがあったのと岩間から漏れる清水を口にし坑木の甘皮とわらじを食ひなら生きてゐたものと見られてゐる

お互ひの顔をなぐり合って 眠ればそのままに死んで終ふ恐ろしさに 八日間の暗黒な土中生活

【会津若松電話】十一名の土工が再び浮世の光を仰いだ裏には、非常な苦心があった、埋められた中での

 親方株新潟県中蒲原郡川内村字上杉川生れ中村平太郎(四五)は手当の目隠しの下から極度に興奮しつつ横臥のまま語る「十五日夜に土砂崩壊と落盤とによって外界との通路を全く断たれて仕舞った時、私達はいひ知れぬ恐怖に閉られて仕舞ったが次の瞬間、必ず救はれるものだとの確信をもって安全だらうと思はれた崩壊個所の反対側の片隅にかますを敷いて集合し、ややもすれば滅いらんとする一同の

 気力を励まし救助の手のくるを待った、長い月日を閉ぢ込められて居るやうな感をもちながら、前二回の生埋事件の経験者から聞かされた方法により、生命をつながらうと決心し、幸ひその場にあった、むしろ、わらじなどを食べ岩の間を漏る清水に咽喉を湿ほし、じっとしてをったのです、もっとも苦痛だったのは恐ろしい睡魔が間断なく襲ひ、眠るとそのまま死んで仕舞ふのでお互になぐり合って眠気を撃退して居た」と

(1926〈大正15〉年9月23日付 東京朝日 朝刊7面)

拡大救出難航を伝える9月18日付夕刊2面の記事
【解説】

 鉱山の落盤事故で地下約700メートルに閉じこめられた作業員33人が、69日ぶりに全員無事帰還――。今月13日、チリ北部サンホセ鉱山で起きた奇跡は、今年一番の明るいニュースといっても過言ではありません。救出作業がナショナリズムを高めるために政治利用された、などという話もありますが、絶望的な状況から一人の犠牲者も出さずに済んだことは、純粋に喜ばしいことだと思います。

 同じような救出劇が大正末期の日本でもあったと聞いたら、驚かれるでしょうか。

 時は大正15年9月15日、場所は福島県南会津郡長江村。新潟電気・大川発電所のトンネル工事中に落盤事故は発生しました。朝日新聞の初報は17日付夕刊。「十一名生埋め 又もや会津小沼崎で」と伝えています。翌18日付夕刊では、「救助の望立たず」というショッキングな見出しで、救出作業の難航を伝えています。200人以上の作業員が救出を試みましたが、強い雨のために、いくら掘り出しても土砂が流れてしまったようです。

 あきらめず掘削作業を続けた結果、22日正午に坑道に達し、午後1時半に「助けてと呼ぶ叫声が聞え」、同2時10分、ついに「十一名全部救助された」。事故発生から、実に180時間あまりが過ぎていました。チリの鉱山の事故に比べれば短い時間ですが、1週間以上、地中にいたのです。それも80年以上前の出来事です。工事の状況も装備も、現在とは大きく違っていることを考えると、やはり驚きですね。

 今回主に取り上げるのは、作業員の「親方株」である中村平太郎さんの談話。チリの例で言えば、仕事を割り当て、食料を分配したというルイス・ウルスアさんのような存在でしょうか。「手当の目隠し」をして横になったまま語るその姿は、サングラスをして担架で運ばれたチリの作業員と重なります。

 チリの場合とちがうのは、暑さではなく寒さに苦しめられたこと。地中とはいえ、雨の降る9月の会津は寒かったのでしょう。また「フェニックス(不死鳥)」のようなカプセルがなくても救助できたということは、それほど深くなかったと思われます。寒いと気をつけなければいけないのが、眠気です。体温が下がりすぎて凍死してしまいます。そこで作業員たちがとった行動が、なんとお互いに殴り合うこと! 一体どのくらいの強さで殴ったのか、気にせずにはいられません……。

 編集者もこのくだりが最も衝撃的だと思ったのでしょう。「お互ひの顔をなぐり合って」と見出しにとっています。しかし本文をよーく見ると……「お互になぐり合って眠気を撃退して居た」。「顔」ということばは出てきません。

 「眠気を撃退」するのですから、殴ったのが顔だった可能性は高いでしょう。ただ以前にも取り上げたように、本文にない要素を見出しにうたうのは「ゆうれい見出し」。ルール違反です。見出しの「の顔」を削ってもらうか、出稿側と相談して殴ったのが顔だと確認がとれれば、本文に入れてもらうことにしましょう。

 もう一つ驚きなのが、地下での食生活。チリでは缶詰のツナを2さじ、牛乳半カップなどを48時間に1度食べ、通常3日間で食べ終わってしまう量を、発見される事故17日後までもたせたそうです。一方会津の事故では、食料らしいものは何もなかった様子。食べたのは「むしろ」や「わらじ」でした。稲などを乾燥させたものですから、食べられないことはないのかもしれません。ただ本来は地面に敷いたり履いたりするもの。正直なところ、味を想像したくはありません。ちなみにこの記事で閉じこめられた人たちが敷いた「かます」は、わらむしろを二つ折りにし、両端をとじた袋のことです。

 校閲作業に戻りましょう。中村さんに施した「手当の目隠し」は「手当て」にします。もちろんどちらも「てあて」と読みますが、朝日新聞では治療や対策は「手当て」、金銭は「手当」と使い分けるようにしています。例えば「子ども手当」は送り仮名なしになります。この使い分けに慣れている私たち校閲記者は、「子ども手当て」と書かれているのを見ると、ひざをすりむいた子どもが保健室で消毒してもらっている……そんな姿をつい思い浮かべてしまいます。

 本記の「日鮮土工」はとても気になる表現です。朝鮮を「鮮」とする略称は、日本が植民地支配していた時代に使われ、差別や蔑視と深く結びついた表現であるため、現在の紙面では使いません。地の文ではもちろん、かぎかっこの中でもほかの表現にするよう心がけています。「日本人、朝鮮人の建設作業員」などとしたいところです。

拡大1カ月ほど前にも落盤事故が起きていた
 チリと会津の落盤事故では、共通点もあります。それは、1カ月ほど前にも同じ場所で事故が起きていたことです。チリでは岩石が落ち、作業員1人が足を切断する大けがを負いました。会津でも、同じ1926年の8月3日付夕刊で「人夫八名 生埋め」という記事=右の画像=を見つけました。少なくとも朝日新聞では続報がなかったところを見ると、こちらの事故の作業員は助からなかったのかもしれません。

 今回の事故をきっかけに、各地の鉱山で安全性が高められることを願います。

(画像には主な直しだけ朱を書き入れています。現在の朝日新聞の表記基準で認めていない漢字の音訓や、当時は入れていなかった句点を入れる等については、原則として記入を省いています)

【現代風の記事にすると…】

生き埋めの11人全員救出 遭難から8日、奇跡の生還 福島の落盤事故

 【会津若松電話】福島県長江村の新潟電気・大川発電所の水路トンネル坑内で落盤が起き、日本人と朝鮮人の建設作業員11人が生き埋めとなっていたが、22日、竪坑からの掘削作業が成功しついに11人全員を救出した。

 掘削作業は22日正午に坑道に達した。午後1時半、坑内から「助けて」という作業員らの叫び声が聞こえたのに力を得てさらに掘り進み、午後2時10分、11人を救出した。生き埋めとなって既に180時間を超え、生存は絶望的とみられていた。現場に駆けつけて安否を気遣っていた家族らは、この朗報に狂喜した。このような長時間の飢えや寒さとの闘いを経て、奇跡的に生還できたのは、坑内が約50メートルの広さがあったのと、岩間から流れるわき水を飲んだり坑木の甘皮やわらじを食べたりしていたためとみられている。

殴り合って眠気を払う 暗闇の地下生活8日間

 【会津若松電話】11人の作業員が再び地上の光を仰いだ陰には、大変な苦心があった。新潟県川内村上杉川生まれ、親方株の中村平太郎さん(45)は、暗闇に慣れた目を守るための目隠しをして横になったまま、興奮した様子で語った。

 「15日夜、土砂崩壊と落盤とで外界との通路を完全に断たれた時、私たちは言いしれない恐怖に襲われました。しかし必ず助けが来ると信じて、崩壊個所の反対側で安全そうな場所の片隅にかますを敷いて集まり、ともすれば気が滅入ってしまいそうな仲間を励ましながら、救助を待ちました。長いあいだ閉じこめられているような気がしましたが、2度の落盤事故を経験した仲間から聞いた方法で、命をつなごうと決心しました。幸いその場にあった、むしろやわらじなどを食べ、岩の間を流れるわき水でのどを潤し、じっとしていたのです。最も苦痛だったのは、恐ろしい睡魔が絶えず襲うことでした。眠ると、寒さで死んでしまうので、お互いに殴り合って眠気を振り払っていました」

(森本類)

当時の記事について

原文どおりに表記することを原則としますが、読みやすさの観点から

  • 漢字の旧字体は新字体に
  • 句点(。)を補った方がよいと思われる部分には1字分のスペース
  • 当時大文字の「ゃ」「ゅ」「っ」等の拗音(ようおん)、促音は小文字に

等の手を加えています。ご了承ください