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昔の新聞点検隊

パパ、ママとは何事ぢゃあ!

上田 明香

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【当時の記事】

松田文相 初のお手並?「パパ、ママとは何事ぢゃあ!」
かるが故に孝道は廃ると 法度の布令が出る噂

日本精神の作興を大方針としてゐる松田文相「どうも近頃家庭でパパだのママだのといふ言葉が流行ってゐるやうだが、あれは以てのほかのことだ、日本人はちゃんと日本語を使ってお父うさん、お母あさんと呼ばねばいかん、あんなパパ、ママを使ふからやがては日本古来の孝道が廃れるんぢゃ」といふわけで近く機会を見て幼稚園や小学校の関係者にもパパ、ママ御法度のおふれを出すといふ噂が、二十九日文部省から放送された【写真は昨夜自邸の文相】

そこで、その夜田の私邸に文相を訪ねて文相のパパ、ママ論を拝聴する

いくら文部大臣が文教を司るといっても、まさか家庭の中まで権力は及ばない……しかし、パパ、ママは何とかしてやめたいものだ、家庭においてもっとも尊敬すべき父母を呼ぶのに西洋人の真似をするのは良くない、僕は前からこのことを苦々しく思ってゐた、そこで何とかして日本中の家庭に僕の考へを徹底させるよい方法はないものかと考へてゐる訳です

と如何にも苦々しくて堪まらないといった様子で下唇を突出して口を結んだ

    ×     ×

記者 ではお宅ではパパ、ママなどといふ馬鹿な言葉は使はれないでせうね

「馬鹿な言葉か、どうか知らないが、絶対厳禁さ」

記者 もし御親類にパパ、ママをいふ人があれば……

「そんな馬鹿な言葉を使ふ親類は一軒もないよ」

記者 ではこの問題は余程前からの持論ですね

「さうさ、我輩在野時代には政談演説の中でしばしばこのことを論じてゐる」

    ×     ×

「一国には、その国語の権威がある……」(と、演説口調が始まる)

「十二年前、我輩がフランスに行った時のことである、その頃イギリスはギリシャを助け、フランスはトルコを助けて、英仏両国の仲が、うまく行かなかった、その時英国の外相カーゾンがパリで仏国の外相ポアンカレと会談した、カーゾンは有名なフランス学者、フランス語はフランス人よりも上手だといはれるが、それでも通訳付で話した しかも通訳の誤訳を横から指摘したさうであるが、それでも一国を代表する時は決して外国語を使はず堂々自国語を用ひた、またポアンカレも英語の大家であったが同様フランス語を使った、即ちこれが国語の権威である、それだのに諸君……」(記者は一人である)

    ×     ×

流石は持論だけあって、ちゃんと演説になってゐる、しかも弁論熱し来たって頸から胸に掛けて汗が流れる

「…我が国語の権威を考へてさへゐないのは苦々しいことである…一国を代表する場合及び日本人同士の場合は日本語を用ゆべきである」

    ×     ×

「といって我輩は何も排他的ではない、外国語も大いに勉強して外国の長を採り、益々我国古来の文明を光輝あらしめねばならない、然るに外国の長所と共に短所をも取り入れてゐる、しかも採り入れた短所の多いのは実に残念である、パパ、ママの如きも其一例である、マッチ、ラムプの如く従来なかった物は仕方がない、あれは国語である、パパさんママさんなどといふのとは違ふ」(文相の言語学である)

    ×     ×

「それから、今頃の若い女はどうだ、断髪だの洋装だの、ろくな真似はせん」

記者 でも男は維新後直ちに、ちょんまげを切り、紋付を止めて洋服にしました

「男と女と違ふ、男のは長所ぢゃ、女のは、ありゃ見っともなくて……」

記者 でも、洋装断髪も中々素的でいいと思ひますが……

「そんなことがあるものか、着物日本髪の女の方が美しい、君のやうなこといっても駄目だ」

家庭の中には干渉しない文相は、記者の美意識に干渉して終り

(1934〈昭和9〉年8月30日付 東京朝日 朝刊11面)

【解説】

 父、母をふだん何と呼びますか? 「おとうさん、おかあさん」でしょうか。それとも「とうちゃん、かあちゃん」? 名前をアレンジしたものや、家庭ならではのニックネームで呼んでいるという人もいるでしょう。この記事で非難されている「パパ、ママ」も、いまはすっかり定着していますね。

 新聞の1ページの中で一番上に大きく展開されるトップ記事を「アタマ」、その次の扱いのものを「カタ」と呼びます。この記事はその「アタマ」としてかなり大きく扱われています。「外来語などけしからん!」という主張は、現在でも耳にすることがありますが、「孝道が廃る」とまで言い切る文部相には当時の記者も驚いたのでしょう。早速、夜に自宅を訪ねて、発言の真意をインタビューしています。この記事には署名がありませんが、このようなスタイルの場合、現在なら原則として筆者の署名を入れます。

 では、点検していきましょう。まずなんといっても、見出しが強烈。4段分も使って、大きな文字が躍っています。「ぢやあ」の後に続く「!」も効果的ですね。松田文相は、この年(1934年)の7月に就任したばかりの松田源治氏。就任間もない時期の発言だったため、「初のお手並」というわけです。現在は、初出では首相や閣僚もフルネームにしていますので、「源治」と挿入してもらいます。「かるが故に」は、「か(斯)あるが故に」が変化したもので、「このために、それゆえに」といった意味です。

 前文の「お父うさん、お母あさん」の表記は「お父さん、お母さん」でよいでしょう。また、最後には面白い表現があります。「パパ、ママ御法度」のおふれを出すといううわさが「文部省から放送された」。これは、文部省が公式にラジオやテレビで放送したというわけではなく、おそらく「文部省からうわさが流れてきた」というような意味でしょう。今ではあまり耳にしない使い方です。

 この「放送する」について、NHK放送文化研究所に尋ねてみました。専任研究員の塩田雄大さんによると「このような使い方は初めて見ましたが、昭和初期には『アナウンサー』という言い方で『おしゃべりな人』を表していたようなので、それと関連するのかもしれませんね」とのことでした。1931(昭和6)年のウルトラモダン辞典(一誠社)には「アナウンサー」の項目に「送話者。告知者。放送弁士。ラヂオでも、運動競技場でも、色々のことを報告する人」の後、確かに「転じてはおしゃべりな人をも」とあります。

 日本でラジオ放送が始まったのは1925(大正14)年。そもそも放送という言葉は、船舶無線において、一方向的に「送り放たれた」信号の意で大正時代に使われ始めた専門用語だったそうです。「『放送』は比較的新しい和製漢語と言えるでしょう。ラジオ放送開始から少しして流行したのかもしれませんし、10年近く経っていますから、ある程度定着して他分野で使われるようになっていた可能性もありますね」と塩田さん。朝日新聞のデータベースでも、見出しに「放送」が登場するのは1923(大正12)年からでした。

 松田邸があった「田(おんでん)」は、東京都渋谷区の旧地名です。「角川日本地名大辞典」(角川書店)には「原宿駅から青山通りに至る表参道沿いの区域」とあり、現在の同区神宮前のあたりのようです。木へんの「」はあまり目にしない漢字ですが、大阪朝日新聞では「東京穏田」と表記されていました。近くには今も「穏田神社」があり、辞典にも「隠田」「恩田」などの表記もみられることから考えると、同じ音を持ついくつかの漢字が使われていたのかもしれません。

 昭和初期の記事ですが、今回の記事は一問一答形式になっていてかなり読みやすいですね。相手の言語を自由に操れたとしても、会談ではお互い自国語を使うという英仏の外相を例に挙げて、たった1人の記者を前に持論を熱く語っているのです。

 記者が「パパ、ママなどといふ馬鹿な言葉は……」と質問していますが、「馬鹿」と決めつけるような表現は記事にふさわしいとは思えません。抜いた方がよいのでは?と提案してみます。

 また、「といって我輩は」で始まる後半部分で、「外国の長を採り」「共に短所をも取り入れて」「採り入れた短所」と同じ意味の「とる」で表記がばらついていますが、「意見などを採用する」という場合は「採る」を用いていますので、「取」は「採」に直してもらいましょう。

 「パパ、ママはやめたい」という主張は面白いですが、最後の若い女性の髪形や服装への批判は理不尽としか言いようがありません。自宅で撮影された写真には、グラスが写っています。モノクロなので中身まではわかりませんが、ひょっとしたらビールでも入っていたのかも……。中盤、「国語の権威」を演説していた松田氏が、最後には「今頃の若い女はろくな真似はせん」「女のは、ありゃ見っともなくて」と駄々っ子のようになっているのがおかしいですね。このとき松田氏は58歳。年配者が若者のファッションに眉をひそめるのは、昔も今も変わらない、ということでしょうか。

拡大1934年6月25日付東京朝日夕刊4面
 パパママ論や洋装問題は反響を呼び、すぐに二十数通の投稿があったようです。「パパ、ママが普及するには理由がある。子音PやMに母音Aが続く音は赤ん坊にも発音しやすいからだ。そんなことを考える前に教育制度改革や卒業生の就職難を解決してほしい」「昔のように箱入り娘ではいられない時代に着物は不便。洋装は時代が要求している立派な日本の服装だ」などという読者の意見が、早速2日後の紙面で紹介されています。

 「パパ、ママはご法度!」と現職閣僚が熱くなるなんて、いまとなっては笑い話かもしれませんが、この記事から10年もしないうちに日本では「敵性語排除」の圧力が徐々に高まっていきました。野球用語などはよく知られていますが、塩田さんによると、「アナウンサー」も1942(昭和17)年ごろから「放送員」と呼び変えられるようになっていったそうです。

 実はこの記事が出る2カ月ほど前、「こんな話もある」というコーナーに9行の短い記事が掲載されています=右の画像。新潟の高田市教育会が「パパ、ママ」でなく「おとうさん、おかあさん」と言わせるよう婦人団体に呼びかけることにした、という内容です。「文化住宅の住人連は大恐慌」とあるので、「文化住宅」に住む人たちの間では、当時「パパ、ママ」はかなり広く使われていたのでしょうね。(この文化住宅ってどんな住宅かご存じでしょうか? 気になる、という方は次回1月13日公開のことば談話室をお楽しみに!)

 松田文相は1936(昭和11)年2月1日、心臓まひで急逝しました。後任に決まった川崎卓吉氏を紹介する翌2日付の紙面には「新文相はパパ論」の見出し=下の画像。当時、このパパママ論がどれほど騒がれたかを物語っているような気がします。

拡大1936年2月2日付東京朝日朝刊15面

(画像には主な直しだけ朱を書き入れています。現在の朝日新聞の表記基準で認めていない漢字の音訓や、当時は入れていなかった句点を入れる等については、原則として記入を省いています)

【現代風の記事にすると…】

松田文相お手並み拝見「パパ、ママとは何事じゃ!」 孝道廃ると禁止令も?!

 「日本精神」を浸透させることを目指す松田源治文部相=写真=は29日、家庭で父母を「パパ、ママ」と呼ぶことが流行していることに対して、「あれはもってのほかだ。日本人はちゃんと日本語を使って、『お父さん、お母さん』と呼ばねばいかん。あんなパパ、ママなどという外国語を使うから、やがては日本古来の孝道が廃れるんじゃ」と訴えた。文部省内では、幼稚園や小学校の関係者に近く「パパ、ママ御法度」のおふれが出されるのではといううわさも聞かれる。

 記者はその夜、東京都渋谷区の松田氏の自宅を訪ね、「パパ、ママ論」を聞いた。

 松田氏はいかにも苦々しくてたまらないといった様子で、下唇を突き出して口を結んだ。「いくら文相が文教をつかさどると言っても、まさか家庭の中まで権力は及ばない。しかし、パパ、ママは何とかしてやめたいものだ。家庭において最も尊敬すべき父母を呼ぶのに西洋人のまねをするのは良くない。僕は前からこのことを苦々しく思っていた。そこで何とかして日本中の家庭に僕の考えを徹底させるよい方法はないものかと考えているわけだ」

 ――ではお宅ではパパ、ママなどという言葉は使われない?

 「絶対厳禁さ」

 ――もしご親類にパパ、ママという人がいたら?

 「そんな言葉を使う親類は一軒もないよ」

 ――ではこの問題は余程前からの持論ですね。

 「そうさ。我が輩、在野時代には政談演説でしばしばこのことを論じている」

 「一国には、その国語の権威がある……」と演説口調が始まった。「12年前フランスに行ったときのことだが、その頃英国はギリシャを助け、フランスはトルコを助けて英仏両国の仲がうまくいかなかった。当時のカーゾン英外相がパリでポアンカレ仏外相と会談した。カーゾン氏は有名な仏学者で仏語はフランス人よりも上手だと言われるが、それでも通訳付きで話した。しかも通訳の誤訳を横から指摘したそうだが、それでも一国を代表するときは決して外国語を使わず堂々と自国語を用いた。また、ポアンカレ氏も英語の大家であったが、同様に仏語を使った。すなわちこれが国語の権威である。それなのに……」。相手は記者1人であるにもかかわらず、「諸君」と呼びかけて演説を続けた。

 さすがは持論だけあって、きちんと演説になっている。しかも弁論に熱が入り、首から胸に汗が流れていた。

 「我が国語の権威を考えてさえいないのは苦々しいことである。一国を代表する場合や日本人同士の場合は日本語を用いるべきだ。かといって我が輩は何も排他的ではない。外国語も大いに勉強して外国の良いところを採り入れ、ますます我が国古来の文明を光り輝かせなければならない。それなのに外国の長所と共に短所をも採り入れている。しかも採り入れた短所が多いのは実に残念だ。パパ、ママもその一例だ。マッチやランプのように従来なかったものは仕方ない。あれは国語であって、パパさん、ママさんなどというのとは違う」

 「それから今の若い女はどうだ。断髪だの洋装だの、ろくなマネはしない」

 ――でも男性は維新後ただちにちょんまげを切り、紋付きをやめて洋服にしましたが。

 「男と女とは違う。男のは長所じゃ。女のはあれはみっともなくて……」

 ――でも、洋装断髪もなかなかすてきだと思いますが。

 「そんなことがあるものか。着物、日本髪の女性の方が美しい。君のようなことを言ってもダメだ」

 家庭内には干渉しないという文相は記者の美意識に干渉し、この日の取材は終わった。

(上田明香)

当時の記事について

原文どおりに表記することを原則としますが、読みやすさの観点から

  • 漢字の旧字体は新字体に
  • 句点(。)を補った方がよいと思われる部分には1字分のスペース
  • 当時大文字の「ゃ」「ゅ」「っ」等の拗音(ようおん)、促音は小文字に

等の手を加えています。ご了承ください