昔の新聞点検隊
(2011/02/15)
【当時の記事】
春の都大路を美しく駆る 評判の自動車
運転手台の主こそ 花も恥らふ我が名誉領事夫人
今朝一寸支那へ
殺風景極まるデコボコの都大路にもさすがに春が来てそこに一台美しい外国夫人が巧妙な操縦振りに通行人の眼を
睜(そばだ)てる新しい自動車がある、番号はルノーの一七七四、運転手台の主は此程主人と一緒に来朝した瑞典(スエーデン)国ゴッテンバルク市の我が名誉領事エー・オー・チェルベル氏夫人で三十歳の女盛り、去月廿四日警視庁へ自家用自動車の運転試験を出願し同月三十一日に
試験を受けて二月二日いよいよ甲種免許状を下附されチ夫人は大得意 早速ブウブウと市内を走り廻ってゐた、良人はチェルベルヂ会社の社長で仏米等を歴遊の後会社の事務を指導視察のため来朝したもので支配人ハンセン氏と
入代りに今朝八時東京駅出発 支那観光のため夫妻連れ立って北京に向ったが夫人は瑞典でも代表的な美人で『運転なんてわけはありませんわ、他人に操縦して貰ってゐては思ふやうに走り廻れませんから自分でハンドルを取ることにしたのです、然し文明の日本の首都としては
道路が悪くって堪まりません、戦線の跡のやうだなどと噂に聞いてゐましたが運転してみて今更のやうに驚きました、新しい市長も出来たさうですからきっと改善されることと信じてゐます また一月経てば東京に帰って盛んに走り廻ります、』 因に日本では日本人にも外国人にもチ夫人が婦人運転手の最初の第一人だと云ふ
【写真説明】女運転手の初免状を貰って得意のチェルベルジ夫人
(1921〈大正10〉年2月9日付 東京朝日 夕刊2面)
※一部の難読な語句に( )で読みを入れています。
【解説】
2月から、自動車を運転する高齢者を表示するマークに新しいデザインが登場しました。「枯れ葉のようだ」と不評だった「もみじマーク」に代わって、カラフルな四つ葉のクローバーの中にシニアの「S」を配置したデザインです(もみじマークも当分の間は廃止されず、使用できます)。
運転者のマークには、おなじみの初心者マークのほか、チョウのデザインの聴覚障害者マーク、青地に白色のクローバーの身体障害者マークもありますね。運転しやすいオートマチック車や、身体に障害のある人が運転できる補助装置を装備した車の登場、法律の改正などを経て、車を運転して好きなところへ出かける便利さ、楽しさを多くの人が感じられる社会になりました。一方、車やドライブに興味を持たない若者も増えている現代ですが、今回は、自動車自体が珍しい大正時代に登場した女性ドライバーを大きく取り上げた記事を見てみましょう。
大きな顔写真は、「婦人運転手の最初の第一人」(さっそく気になる重複表現ですが)となる運転免許を手に東京市内を車で「走り廻っ」たチェルベルジ夫人。
まず写真説明の「初免状を貰(もら)って得意の」からして、今では紙面でこんな言い方しません。「得意の」という顔でもポーズでもないし、女性が免許をとるのが珍しかったとはいえ、男性記者の視点が感じられます。見出しの「美しく駆る」「花も恥らふ」も、ことさら女性であることを強調しています。男性には使わない言葉です。とくに必要とも思えませんので、こういうものはなるべくなくしてもらいます。
本文中にも「美しい外国夫人」「三十歳の女盛り」などがあります。なくてもまったく問題ありません。削ってもらいましょう。年齢は名前とともに入れれば良いことですし、「代表的な美人」の要素をもし入れたいのなら、誰かのコメントとして入れるとか、今ならミスユニバースのスウェーデン代表になったとか、「代表的な美人」を客観的な言葉で表してほしいところです。
また、記事中でこの女性は、名誉領事で会社社長の「エー・オー・チェルベル氏夫人」としか紹介されていません。これも現在であれば、「○○の妻」「○○の娘」ではなく本人の名前をフルネームで書くところです。この夫の名前も本文で「チェルベル」「チェルベルヂ」、写真説明で「チェルベルジ」と3カ所の表記が違っています。確認のうえ、統一してもらわないといけません(書いた文章は、一度は読み返しましょう……と言いたいところです)。
もう1点同じように気になるのは、チェルベルジ夫人(名前が分からないのでごめんなさい)のコメントで「運転なんてわけはありませんわ」の「わ」です。おそらくご本人がこのとおりに日本語で話したのではないだろうと想像できるので、この「わ」は記者が自分で入れたものでしょう。これも、女性の話し言葉に対する固定的な考え方を当てはめることになりますので、今ではなるべく多用しないように気をつけています。今回は、コメント中でこの1カ所だけなので、必ず直してもらわなければいけないというわけではありませんが、検討をお願いしましょう。
いろいろと指摘しましたが、そういう時代だったのでしょう。悪意は感じられない記事です。
ジェンダーに関する指摘がひととおり済んだところで、他に点検すべきところはないでしょうか。
夫人の車を「ルノーの一七七四」と書いていますが、今なら、個人所有のナンバーを書くことはありません。書く場合があるとすれば、事件の容疑者が逃走しているときぐらいで、それもごくまれです。車種ぐらいでとどめて良いでしょう。
最後の部分、「日本では……婦人運転手の最初の第一人だと云ふ」。「最初の」と「第一人」の意味の重複も解消してもらいたいですが、この部分の記述が正しいかどうか調べてみましょう。当時は無理でしたが、今は過去記事のデータベースで検索するという方法があります。そこで「女」「初」「運転」で検索してみると、あらら、チェルベルジ夫人より前に、それらしき記事が2本出てきました。
1本は1913(大正2)年5月のズバリ「日本最初の女運転手」=右の画像。こちらも外国人女性。横浜の米国人歯科医の「ウルフ氏夫人」(やっぱり夫人を使っています)です。「日本官憲に於て女子に運転手免状を与へたのは是(これ)が嚆矢(こうし)なり」。嚆矢は「初めて」という意味です。
さらに1917(大正6)年9月には「女の運転手 初て許さる」との見出しで、栃木県出身の渡辺はまさん(23)について、これまた「我国で免許を受けた女の運轉手はこれが嚆矢である」と書いています=左の画像。
今だからできることではありますが、「念のため確認を」とアピールします。
指摘はこんなところでしょうか。そのほか、この記事には現在の視点で見ると興味深い点もいくつかあります。
まず、チェルベルジ夫人が走り回った「都大路」。関西出身の私はこれを何の疑いもなく京都のことだと思ったのですが、本文を読むと東京のことだと分かります。東京が「みやこ」であることは間違いありませんし、広辞苑にも「都大路」は単に「人の往来のはげしい都の大通り」とあるのですが。「都大路」=「京都」のイメージは、高校駅伝の代名詞として使われるためだと思われますが、紙面で「都大路」の表すものが京都に特定されたのはいつごろだったのでしょうか。
これもデータベースで調べてみると、1951(昭和26)年2月には東京のことに使われており、その次の1962(昭和37)年に「花の都大路」と京都のことを書いています。この間の10年ほどで何らかの変化があったのでしょうか。ちなみにこれ以降はほぼ100%京都に対して使われており、それも高校駅伝と、祇園祭など京都3大祭りの記事が圧倒的に多くなっています。
あと、チェルベルジ夫人が「悪くって堪(た)まりません」と話している東京の道路。「戦線の跡のやう」だといううわさはおおげさではなく、他の記事にも「東京の道路は苗代だ、稲でも植ゑろ」などと、酷評されていました。
1920(大正9)年に東京市に道路局を新設して工事に着手はしたものの、なかなか進まなかったようですが、3年後に起きた関東大震災の復興事業と一体化することで進展し、1931(昭和6)年にようやく5割超の道路で舗装が完成、「すっかり見違へるやうに面目を一新し」(同年4月12日付紙面)たことを祝って6月に「道路祭」が開かれたそうです。
(画像には主な直しだけ朱を書き入れています。現在の朝日新聞の表記基準で認めていない漢字の音訓や、当時は入れていなかった句点を入れる等については、原則として記入を省いています)
【現代風の記事にすると…】
女性運転手の車 春の東京路を自在に走る
殺風景なデコボコの東京の道にもようやく春がきた。そこへ一台の新車がやって来た。女性が巧みに運転していて、通行人が注目している。ルノーの運転席に座るのは、このたび夫とともに来日したスウェーデン・イエーテボリ市の名誉領事A・O・チェルベルジ氏の妻、●●さん(30)だ。
1月24日に警視庁へ自家用自動車の運転試験を申し込み、同月31日に試験を受けて2月2日にようやく免許を取得した。さっそく自在に市内を走り回っていた。
●●さんの夫は、チェルベルジ社の社長でフランスや米国などをめぐった後、会社の事務を視察するために来日。支配人のハンセン氏と入れ替わりに、中国を観光するため、8日朝8時に夫妻は東京駅を出発、北京に向かった。
●●さんは「車の運転なんてわけはありません。他人に運転してもらっていては思うように走り回れませんから、自分でハンドルを取ることにしたのです。それにしても、文明国・日本の首都としては、道路が悪くてたまりません。戦場のあとのようだなんてうわさに聞いていましたが、運転して、いまさらのように驚きました。新しい市長になったそうですから、きっと改善されることと信じています。ひと月たてば東京に帰ってくるので、そのときにも、思いきり走り回ります」と話した。
ちなみに、日本では日本人、外国人を問わず、女性で運転免許を取得したのは●●さんが初めてだという。
【写真説明】女性として初めて運転免許を取得した●●さん
(薬師知美)
原文どおりに表記することを原則としますが、読みやすさの観点から
等の手を加えています。ご了承ください