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昔の新聞点検隊

借りてないけど返します!

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【当時の記事】

「證文をお返しなさい」 大蔵省へ借金返済に……かけ込んだ四十女の話

一両日前のこと大蔵省の理財局へ年齢四十前後で木綿着の質素な身なりをした婦人がかけ込みいきなり「私の借金を返すから證文も返して下さい」と現金八円を差だした。

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局長も課長も一向に見た事もない婦人だし金を貸した覚もない。といって婦人の様子が狂気者とも思へぬ真面目なものだから一時はあっけに取られて居たものの、よく聞くと、この婦人は●●●●●で間借りをしてゐる佐藤某女で、労働者宿泊所や学生奇宿舎の炊事をやったりしとる婦人だそうだ。

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最近の事、上杉博士から「日本には五十一億といふ借金(国債)がある。国民一人当り即ちお前達も八十円づつ借金してゐるんだ。お互に倹約して一日も早くこの借金を払はねばならぬ。」と聞かされたのをお前も八円借金をしてゐると聞き違へ、汗水流して貯めた金をかうして持って来たんだといふ訳。

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低利資金を融通せよとか、利子を負けろとかいふ連中は連日門前市をなしてもこんな純真な女の来訪を受けた事がないといふので、同局の連中は大喜び 「これもお国のためであり自分のため」だと説いてその金で復興債券を買はせ、その後低資融通を申請してくるものに対しては、相手が一言も発しない内からこの婦人の談を持ちだし融資拒絶の好材料として居る。

(1926〈大正15〉年7月1日付 東京朝日 朝刊4面)

【解説】

 人に貸したものが返ってこない時、どうしますか? 私なら、やんわりと催促します。では、貸した覚えがないのに「返すよ」と言われたらどうでしょう。大正時代の最後の年、とある義務感から大蔵省(現・財務省)にかけ込んだ女性の話です。

 正確な日付はわかりませんが、この記事は7月1日付なので、「一両日前」とは6月29日か30日のことでしょう。

 女性がかけ込んだのは、大蔵省の理財局という所です。その局長も課長も女性に見覚えはありませんでしたが、女性は「借金を返す」と言います。女性の様子を「狂気者とも思へぬ真面目なもの」と言い表していますが、真面目なことを表すのに「狂気者」を引き合いに出す必要はありません。何よりも重要なのは、「狂気」という表現から、精神障害者への偏見をあおる恐れがあるということです。「狂気者とも思へぬ」までを削るように、筆者に提案します。

 「借金を返すから證文も返して」と女性は言いますが、現在の新聞では「証文」と書くでしょう。戦前まで、「証」の字は「證」の略字として使われていました。しかし、一般的に標準とされていたのは康熙体(こうきたい)である「證」の方です。第2次大戦後の1946(昭和21)年、それまで使っていた漢字を簡素にすることをめざして、当用漢字の種類が内閣によって告示されました。そこで「證」の字は旧字の扱いとなり、「証」の字を使うことになりました。

 ただ、46年の内閣告示は、あくまでも「これから使う字の種類」を示しただけです。実際に「今まで使っていた康熙体は旧字とし、原則として使いません」という「当用漢字字体表」が定められたのは49年のことです。新聞でも、「今まで使っていた字を使わない」ということは大転換でした。

 この「證」ですが、現在でもなじみがある人は多いのではないでしょうか。戦前からある大手証券会社には、現在でも会社名を「證券」としているところがあります。つくりの部分「登」が、「株価が上がる」ことを連想させて縁起が良いというのが理由のようです。「金を失う」と書く「鉄」の字を、「鐵」としている製鉄会社もあります。

 大蔵省へかけ込んだのは、宿泊所の食堂で働く佐藤さんという女性でした。佐藤さんが持ってきたのは、8円。「値段史年表」(朝日新聞社)によると、1920(大正9)年の月決め新聞購読料が「一円二十銭」です。「1円=100銭」ですから、半年分ぐらいの購読料にあたります。現在の朝日新聞の購読料(朝夕刊セットで3925円)にあてはめて単純に計算すると、2万6千円ほどです。今でも大金ですが、大正13年の東京都における家賃が「十円」だったことから考えても、佐藤さんは生活費を削ってためたのでしょう。借金の総額「五十一億」は、同じように計算すると、現在の16兆7千億円ほどです。

拡大憲法学者の上杉慎吉博士=1927年撮影
 佐藤さんに「借金」の話をした「上杉博士」は、上杉慎吉という憲法学者で、当時は東京帝国大学教授でした。1912(大正元)年に美濃部達吉が天皇機関説を発表しましたが、それに異を唱え、美濃部博士と激しく論争したのが上杉博士です。朝日新聞にも、何度も登場している人物です。国体擁護の研究会を企画したり、首相に会ったり、旅行をしたりといった動きが逐一ニュースになっています。上杉博士は1929(昭和4)年に50歳で亡くなるのですが、大正時代末期、「この人が動くとニュースになる」ほどの有名人であったようです。

 「この人が言うことはもっともだ」「この人が言うならよく聞こう」……佐藤さんは、上杉博士の話を真剣に聞いたのでしょう。もしかしたら、博士のファンだったのかもしれません。

 上杉博士のコメントに「五十一億といふ借金」とあります。話し言葉では、単位を抜きがちですが、やはり「円」を入れるように、筆者に指摘しましょう。

 内閣統計局の「明治五年以降我国の人口」によると、1926(大正15)年当時の日本の人口は、6074万人でした。上杉博士は、「国債の総額51億円を人口で割ると、1人当たり80円になる」と話したのですが、佐藤さんは、「私にも8円の借金がある。早く返さなきゃ」と思ってしまい、大蔵省へかけ込んだというわけでした。金額も「80円」を「8円」と勘違いしたのでしょう。

 ところで、2010年12月末時点での国債残高は628.2兆円。同年10月の国勢調査では、日本の人口は1億2806万人となっています。上杉博士の言葉を借りれば、「(1人当たり)490万円ずつ借金している」計算になります。当時より、ひどくなっていますね。上杉博士と佐藤さんがこの額を見たら、なんと言うでしょうか。

 佐藤さんの訪問に面食らっていた職員たちも、事情がわかるにつれ、「なんて純真な女性だろう」と感心しました。大蔵省には、「低利で金を融通してほしい」などの要望が多かったからです。せっかく来てくれた佐藤さんには、その8円で、復興債券を買ってもらいました。

 これは、正式には「復興貯蓄債券」と呼ばれるもので、1923(大正12)年に起きた関東大震災の復興資金にするために発行されました。地震の翌年の大正13年から昭和3年にかけて、何回かに分けて発行され、お金が返ってくる(償還される)時に「割増金」があるとして人気だったようです。職員が佐藤さんに、「国のためであり、自分のため」と話したのは、「国が復興するために使われた後は、割増金をつけてあなたに返ってくる」ということを言いたかったのでしょう。

 それから時がたち、大蔵省に、「低利で資金の融通を……」と言う人が現れます。職員は、まず最初に話します。「この前、佐藤さんという女性が来ましてね……」

(画像には主な直しだけ朱を書き入れています。現在の朝日新聞の表記基準で認めていない漢字の音訓や、当時は入れていなかった句点を入れる等については、原則として記入を省いています)

【現代風の記事にすると…】

「証文をお返しなさい」 女性が大蔵省へ借金返済にかけ込む

 6月末、木綿着の質素な身なりをした40歳前後の女性が大蔵省理財局へかけ込み、いきなり、「私の借金を返すから証文も返して下さい」と現金8円を差し出した。

 理財局の局長も課長もその女性に見覚えはなく、金を貸した記憶もなかった。女性は大まじめで、局長らはあっけに取られた。よく事情を聴いてみると、女性は佐藤と名乗り、「労働者の宿泊所や学生の寄宿舎で、炊事の仕事をしています」と話した。

 最近、佐藤さんは、憲法学者の上杉慎吉博士が「日本には51億円という借金(国債)がある。国民1人当たりだと80円ずつ借金していることになる。我々は、お互いに倹約して一日も早くこの借金を返さなければならない」と話したことを聞いた。それを「あなたにも8円の借金がある」と聞き間違え、苦労してためた金を「持ってきた」というわけだった。

 「低利で資金を融通して」「利子を負けて」という人々が連日、大蔵省に押しかける。だが、こんな純真な女性が来たことはなかったので、理財局の職員は大いに喜んだという。「これは国のため、あなたのためにもなります」と説得し、佐藤さんには持ってきた金で関東大震災の復興債券を購入してもらった。その後、「低利で資金の融通を」と申請してくる人には、相手が何も言わないうちから、「こんな女性がいたんですよ」という話を持ち出して融資を断る好材料にしているという。

(永島葵)

当時の記事について

原文どおりに表記することを原則としますが、読みやすさの観点から

  • 漢字の旧字体は新字体に
  • 句点(。)を補った方がよいと思われる部分には1字分のスペース
  • 当時大文字の「ゃ」「ゅ」「っ」等の拗音(ようおん)、促音は小文字に

等の手を加えています。ご了承ください