昔の新聞点検隊
(2011/03/29)
【当時の記事】
ロンドンへ嫁入りの樹木 九百十八本を発送 輸送費二百円を奮発して
欧米の公園行脚中の市の井下公園課長が仲人で、東京の樹木とロンドン、パリー両市の樹木と交換しやうといふ事になった事は、既報の如くであるが、いよいよ十九日先づ輸送費二百円を奮発して日本
特有の樹木九百十八本と種子六十三種一万一千百十一グラム余を先客のロンドンに発送する事に決定し直に準備にかかる事になった、日英交かんの無言のお使者を勤める東京市の可憐のお嫁さんの顔触を見ると
桜の代表とし染井吉野の九十九本を筆頭に、菊枝垂や大島桜の名花に日本人のシンボルとして山桜があり、紅ぼ丹、雪山枝垂等その名もゆかしい二十種の梅の名花、織姫、養老他五種類の実梅に、ぼ丹、しゃく薬の一流所に、変り物には百三十本の竜のひげがある、その他赤牙柏等いろいろ挙げられ、目出度いゆづり葉やさかき等の祭の植木やはぜや山吹、せんだん、藤や牛殺しなどの珍名を初めいろいろ変った種子が集められる事になってゐて
ロンドンの真中でこれ等の花や草木が日本四季を紹介するのも遠からぬ事であらう、またロンドンから来るお婿さんはビブルナ、チヌス、ガリヤベルネシヤ、ペロニヤ、ホーリー、ソホラ、ルスカス、レイセヌテリヤ、バーベリー等の妙な名前の連中と決った
(1926〈大正15〉年2月20日付 東京朝日 夕刊2面)
【解説】
例年にもまして、春の訪れが待ち遠しい3月末です。被災地の方たちの寒さや不安が少しでも早くやわらぎますように、「は~やく来い♪」の思いを込めて、今回は桜のお話です。
1926(大正15)年2月20日、日本と英国が樹木や植物の種を交換するという記事です。
見出しでいきなり、ロンドンへ「嫁入り」。ロンドンからのお返しを「お婿さん」と呼び、東京市の公園課長を「仲人」としています。
単に交換では素っ気ないので擬人化したのかもしれませんが、何でもかんでも結婚や男女のことになぞらえるのはどうかと思います。今回のお嫁さんとお婿さんは一緒になるのではなく、すれ違いですしね。ふつうに「交換」「贈られる」で良いのではないでしょうか。
そして日本から贈る木々を「可憐のお嫁さん」「その名もゆかしい」名花、一流どころとほめたたえた後、ロンドンから来るカタカナの花や木々を「妙な名前の連中」と、また随分なことを……。こんな見下すような書きかたは、再考してもらわなければなりません。異なる文化や宗教などに対する偏見を助長することにならないよう、また書かれた当事者に嫌な感情を抱かせることのないように、表現に気をつかうのも校閲記者の大事な仕事です。
こうした点を直してもらえば、記事としては大きな問題はないでしょう。
さて、このたび英国へ贈られることになった日本自慢の木々の中身を見ると、「桜の代表とし染井吉野」の99本には納得ですが、「菊枝垂や大島桜の名花」に続いて、「日本人のシンボルとして山桜」とあります。ソメイヨシノを桜の代表と言いながら、日本人のシンボルはヤマザクラ?
ヤマザクラは、古くから日本に自生する野生種です。赤茶色の新葉とともに淡い白紅色の花が咲き、ソメイヨシノとは開花時期が少しずれます(遅いのも早いのもあるそうです)。ちなみに筆者の故郷では学校や公園のソメイヨシノよりもひと足早く、山にポン、ポンと咲き始めるヤマザクラが春の訪れのようなものでした。
これに対し、ソメイヨシノは幕末に、オオシマザクラとエドヒガンザクラを交配して人工的につくられた園芸種です。花は咲いても実がならず、接ぎ木で増えるので、日本中にあるソメイヨシノはすべて同じ遺伝子のクローンだという話を聞いたことのある方もいらっしゃるのではないでしょうか。寿命が数十年と短いために、近年ソメイヨシノの世界も高齢化(老木化?)が著しく、全国各地の気象台が開花・満開宣言の指標としている標本木で代替わりが起きているという記事を最近読みました。
今や日本の春といえば桜、桜といえばソメイヨシノといっても過言ではありません。北海道のエゾヒガンザクラと沖縄のヒカンザクラ、それに「一目千本」と言われる奈良・吉野山のヤマザクラなどの例外を除けば、どこでもソメイヨシノがお花見の筆頭みたいになっています。ソメイヨシノが全国に広まり、桜の代表格、さらに日本の象徴のようになったのはそう古いことではなく、明治時代以降のことです。この記事に、その名残があるように、それまではヤマザクラが日本の代表的な品種で、江戸時代のお花見の主役はヤマザクラだったのです。
比較的最近誕生したソメイヨシノの発祥の地が東京にあると聞き、出かけてみました。行き先は豊島区の駒込。最近はJR山手線でお隣の巣鴨の近辺が、とげぬき地蔵でにぎわうことで有名ですね。この駒込の近くに、「染井」という地名があります。そう、ソメイヨシノは、漢字で書くと「染井吉野」です。染井は江戸時代からツツジや菊づくりを広めた園芸家の多い土地でした。その一人、伊藤伊兵衛政武がソメイヨシノを交配したと伝えられ、ここ染井から「吉野桜」の名で売り出されました。ソメイヨシノという名前は、明治時代に奈良の吉野桜と区別するためにつけられたものです。
オオシマザクラの成長の速さと花の大きさ、エドヒガンザクラの葉が出る前に花を咲かせるという特徴を受け継いだソメイヨシノは、接ぎ木がしやすく成長が速いうえ、遺伝子が同じなので開花の足並みがそろってお花見には好都合、木をうめつくすほどに華やかに咲き誇ることから大ヒットとなりました。まとまって植えられた所は桜の名所となり、現代のお花見の風景を作ってきたのです。
JR駒込駅前には染井吉野桜記念公園があり、「染井吉野桜発祥之里」の碑=写真=があります。小さな公園ですが、園内にはオオシマザクラとエドヒガンザクラが植えられており、ソメイヨシノの両親を見比べることもできます。
植物にはっきりと「発祥の地」があるって不思議な感じですよね。そう思いながら歩いてみると、近くのお店では桜に関するお菓子やお酒などの商品を出していたり、商店街で桜まつりを企画したり(今年は東日本大震災の影響で残念ながら中止でした)と「桜の里 染井」として町を盛り上げているようです。
明治、大正の話に戻ると、ソメイヨシノがもてはやされるお花見が広まる中でも、いーや! 日本の桜はヤマザクラだ、という論争もあったようです。「サクラ論争 こきおろされた染井吉野 全国山桜化の申合せ」という1935(昭和10)年4月21日付の記事=画像=には、「染井吉野桜は一時にパッと咲いて見事だが散った直後が実に見苦しく、植付けにはよいが樹齢が短く品種の中で一番下等なもので桜の風上に置けぬ、桜界から除名さるべきだといふのと、逆にこの桜は華々しい新興日本を代表するものだといふ二説」が載っています。
一気に花びらが散った後には、がくやおしべ、めしべが無残に残るソメイヨシノに対し、花と同時に葉が出ているヤマザクラは、花が散った後を葉がうまく隠してくれるということのようです。
この勝負、「結局ドロンゲームにはなったが、伝統の『敷島の大和心』を表徴する第一位は何といっても『山桜』」であり「全国山桜化を申合せ」たそうです。先の記事もそうですが、昔の新聞って、極端ですね。
その論争の行く末を記事では見つけられませんでしたが、今のこの世の中を見渡すとおそらくソメイヨシノをよしとする説が勝ったのでしょう。見苦しいとされた散り際の潔さが逆に気に入られ、軍国主義に利用されたのはこの記事からそう遠くはない時代のことでした。
その後ソメイヨシノにすっかり主役の座を譲ってしまったようにも見えますが、ひとところに集まって植えられているソメイヨシノとは違うヤマザクラの上品さや、「山笑う」の所々にヤマザクラが咲いている様子も、改めて見ると良いものだと思います。
例年のような大騒ぎのお花見は気分的に今年はあまり……という方は、静かに野山のヤマザクラを見に行ってみてはいかがでしょうか。
最後に余談ですが、この記事を最初に読んだとき、私にとっての「妙な名前」は日本の「牛殺し」でした。毒でもあるのか(「馬酔木〈あせび〉」のような?)と思ったら、何のことはない、牛の鼻輪に使われる木のことで、「カマツカ」(鎌柄)という名前もある木だそうです。
(画像には主な直しだけ朱を書き入れています。現在の朝日新聞の表記基準で認めていない漢字の音訓や、当時は入れていなかった句点を入れる等については、原則として記入を省いています)
【現代風の記事にすると…】
ロンドンへ贈る樹木 日本の代表918本を選抜!
欧米の公園を視察している東京市の井下清公園課長の提案で、東京の樹木とロンドン、パリ両市の樹木を交換することになったのを受け、日本の樹木918本と、63種11キロ余りの種子をロンドンに発送することが19日に決まり、直ちに準備に入ることになった。輸送費は200円。
日英交歓の使者に選ばれた東京の自慢のラインアップは、桜は代表的なソメイヨシノ99本を筆頭に、キクシダレやオオシマザクラ、日本人のシンボルのヤマザクラなど。梅はベニボタン、ユキヤマシダレなど名前も花も美しい二十数種と、オリヒメ、ヨウロウなどの実梅7種類。ボタン、シャクヤクといった有名な品種や、リュウノヒゲなど変わり種も。他にアカメガシワ、縁起のいいユズリハ、神事に使われるサカキの植木や、ハゼ、ヤマブキ、センダン、フジ、それにウシゴロシのように珍しい名前のものなど、様々な種子が集められる予定だ。
ロンドンの街中でこれらの花や草木が日本の四季を紹介するのもそう遠くはないだろう。
また、代わりにロンドンから贈られるのは、ビブルナ、チヌス、ガリヤベルネシヤ、ペロニヤ、ホーリー、ソホラ、ルスカス、レイセヌテリヤ、バーベリーなど、珍しい名前の樹木が選ばれた。
(薬師知美)
原文どおりに表記することを原則としますが、読みやすさの観点から
等の手を加えています。ご了承ください