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昔の新聞点検隊

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【当時の記事】

夜の太陽のもとに 早大球場の初野球 選手……『フライは苦手』

太陽への一の挑戦――夜間の野球が十日午後六時から照明設備完成した戸塚の早大グラウンドで行はれた、我国最初といふ好奇心が主となって試合「早大第二軍対新人戦」なんかは従、又定刻有閑兼納涼ファンが球場を埋めつくす程の人気、浴衣の着流しに団扇持参などでいでたちが昼間とはちと違ふ

山本体育会長の経過報告、田中総長、鳩山文相の祝辞等々で開場式が済んでフリー・バッテング最中――午後七時「設計者上田博士の最初のスヰッチで…」のアナウンスの終った途端にパアッ! と六基百五十六個の投光器(千七百十六万燭光)が一斉に眼を開けて満場をゆるがす拍手

濃紺の空に誇らし気に輝く六つの「夜の太陽」

     ×……○

同四十分鳩山文相の例によって例の如き始球式

戸塚の空に珍らしくサイレンがほえて試合開始、偉大な「夜のページェント」は始った、カンカン帽がさき乱れて観客席は月光浴びたよひ待草のをかのやう

選手はだいだい色の地面に白く浮いて何となく夢の中の人物を思はせる、第一球がストライク!中堅後方のスコア・ボールドに緑の灯がほたるのやうにポッ!と光った ボールが赤でアウトがだいだい、何のことはない ゴー・ストップの標識を遠望するやうなもの

     ×……○

試合は七回で十一対六で第二軍の勝ち 案の定興味はなかったが選手にいはせると矢張りいひ分はある

フライの時投光器が目に入ると六つの太陽を見たやうでもう駄目、スピード・ボールは打者にも捕者にも見づらく第一、後半は殊に眼が疲れます

見物人側を安部磯雄先生が代弁

大体において成功、唯打者の視力が問題になると思ふ、見てゐて成程凌ぎよいが疲れますな、選手の顔ももうろうとしてどうも物足らん――とあった【写真は昨夜の戸塚球場の試合光景】

(1933〈昭和8〉年7月11日付 東京朝日 朝刊11面)

【解説】

 震災の影響で、4月は東日本での実施が控えられるプロ野球のナイター。昔新聞を開くと、夜間試合の始まりは戦前にさかのぼることがわかります。まだプロ野球が確立していなかった時代。大学の「2軍」対「新人チーム」という、決して派手とは言えないスタートでした。

 9日、プロに先がけて東京六大学野球が開幕します。「佑ちゃん」「ハンカチ王子」こと斎藤佑樹投手(日本ハム)らハイレベルな世代が卒業しましたが、今年も楽しみな選手がたくさんいます。たとえ今は目立たなくても、将来スターになりそうな選手をさがすのも、大学野球の楽しみの一つではないでしょうか。

 大学野球の歴史はプロ野球より古く、戦前は日本球界を引っ張る存在でした。東京六大学の早稲田大学と慶応義塾大学による「早慶戦」は、1903年に初めて行われました。今回は「2強」の一角をなす早大が、日本で初めて夜に試合をした、という記事を取り上げます。

 早速、点検をしていきましょう。この記事で一番気になったのが、試合内容について「案の定興味はなかったが」と書いている部分。確かにたとえプロ野球でも、注目選手がいない場合、2軍と新人チームの試合を紙面で大きく扱うことは今も昔もないでしょう。しかし「試合内容に興味がない」などと書くのは選手に失礼ですし、読者にも不誠実です。記事の趣旨を考えても必要のない表現ですから、削ってもらいたいところです。

拡大グランド坂通り=東京都新宿区
 記事の最後に「安部磯雄先生」の談話があります。文脈から大学の教授らしいということはわかりますが、野球との関係をもう少し明らかにしたいところです。

 安部磯雄は1901年に早大の野球部をつくった人物で、初代野球部長です。日本初の米国遠征に部を導いたり、この記事の舞台である戸塚球場をつくったりしたことから、「学生野球の父」とも呼ばれます。現在の東京都新宿区にあった戸塚球場は安部の死後、「安部球場」と改称されました。1959年には、安部は日本の野球殿堂入りをしました。

 安部が野球部の部長だったのは1901~07、10~26年。33年当時の記事では「元野球部長」とするのがよいでしょう。「戸塚球場を創設した」という説明もあると、ここでコメントを掲載する理由がさらにはっきりします。

拡大グランド坂通りにある碑
 余談ですが、安部球場は1987年にその役割を終え、現在は早大の図書館などが入る「総合学術情報センター」になっています。すぐそばを通る「グランド坂通り」=写真上=は、「六大学リーグ戦に向け練習に励む学生たちの声が響いてくることから」(グランド坂通りの碑=写真右=から引用)その名がつけられたそうです。

 「フライ」や「フリー・バッティング」などの野球用語もいくつか、使われています。これらの野球用語は文字数が多いので、紙面では漢字に書き直したほうがいいでしょう。「フライ」なら「飛球」、「フリー・バッティング」は「打撃練習」、「スピード・ボール」は「速球」としたら、と提案します。

 「!」が3度使われています。記者の驚きや興奮が伝わってきますが、浮かれすぎの感じがします。減らしてもらいましょう。

 さて、どこか詩的な今回の記事。恥ずかしながら、知らない言葉がたくさんありました。

 まず「投光器」は読んで字のごとく、光を投げかける装置、つまり照明のこと。それはいいのですが、直後の「燭光(しょっこう)」とは一体なんでしょう。数字の後ろに付いていることからわかるように単位の一つで、光度(光の強さ)を表します。1961年にこの単位は廃止され、現在では「カンデラ」が用いられています。

 次の段落の「ページェント」は英語でつづるとpageantで、「祝祭日などに野外でくりひろげられる、演劇的要素を盛り込んだ、大規模な仮装行列」や、単に「野外劇」を意味します。最近の朝日新聞の記事を見てみると、「光のページェント」という、街を電飾で彩るイベントが多く取り上げられていました。こうしたイベント名ならともかく、比喩として使うには少し認知度が低いことばという気もします。後ろに「野外劇」などと入れてもらえないか提案してみましょう。

 続いて「カンカン帽」。麦わら帽の一種ですが、漫画「ワンピース」の主人公ルフィがかぶっているようなやわらかそうなものではなく、かたく編んだものを指します。てっぺんとつばが平らになっているのも特徴です。流行した大正から昭和初期にかけてはもっぱら男性用でしたが、最近では女性にも人気があるようです。

 「よひ待草(宵待草)」は「草」からわかるように植物名ですが、正式にはオオマツヨイグサ(大待宵草)といいます。異名のほうが知られているのは、竹久夢二のつくった詩のためでしょう。

 まてどくらせどこぬひとを

 宵待草のやるせなさ

 こよひは月もでぬさうな。

 1913年に発表されたこの詩は、5年後に曲をつけて出版され、人気を博します。夢二自身も早稲田実業学校の生徒であったことや、記事にも「月」が出てくることから、この部分は夢二の作品を念頭に置いて書かれた可能性が高そうです。

 「ゴー・ストップ」は、交通信号機のことを当時こう呼びました。信号機はa traffic signalが正しい英語で、「ゴー・ストップ」は日本人がつくりだしたことば、いわゆる和製語です。今回のテーマである「ナイター」も和製語のひとつですが、記事の中で「夜間の野球」としているところを見ると、まだ「ナイター」ということばは生まれていなかったのかもしれません。

拡大日本のプロ野球公式戦初のナイターの結果を報じる1948年8月19日付東京朝日朝刊2面
 ちなみにプロ野球で初めてナイターが行われたのは、記事から15年たった1948年8月17日。横浜・ゲーリッグ球場での巨人対中日の一戦でした。当時の照明はまだ暗く、「フライが上がると途中で消えた」とコメントした選手もいたそうです。

 安部が言うように、夜の試合は選手も観客も目が疲れるもの。最高のプレーを気持ちよく観戦するために、明るい照明は不可欠でしょう。しかし選手も観客も望んでいないのなら、無理して夜に野球をする必要はありません。被災地が復興に向かい、電力にも心配がなくなったとき、誰もが楽しめるかたちでナイターが復活するといいと思います。

(画像には主な直しだけ朱を書き入れています。現在の朝日新聞の表記基準で認めていない漢字の音訓や、当時は入れていなかった句点を入れる等については、原則として記入を省いています)

【現代風の記事にすると…】

「夜の太陽」の下で初野球 早大戸塚球場 選手「飛球は苦手」

 太陽への挑戦――10日午後6時、照明設備が完成した東京・新宿の早稲田大グラウンド(戸塚球場)でナイターが行われた。早大の2軍と新人チームの対決。日本初ということもあり、涼を求めるファンで球場は埋め尽くされた。詰めかけたファンの服装も、浴衣の着流しにうちわなど、昼間とはちょっと違っていた。

 開場式で、山本体育会長の経過報告、田中穂積総長、鳩山一郎文相の祝辞などがあった。その後打撃練習があり、午後7時に「設計者上田博士のスイッチで……」というアナウンスが終わった途端に、パアッ!と6基156個の照明(約1700万カンデラ)が一斉に輝き、満場の拍手に包まれた。

 濃紺の空に輝く六つの「夜の太陽」

     ×……○

 午後7時40分、鳩山文相による始球式が行われた。戸塚の空にサイレンが鳴って試合開始、偉大な「夜のページェント(野外劇)」は始まった。カンカン帽がさき乱れる観客席は、月光を浴びた宵待草の丘のようだ。

 選手はだいだい色の地面に白く浮かび、夢の中の人物を思わせる。第1球は「ストライク」。中堅後方のスコアボードに緑の灯が蛍のようにポッと光った。ボールが赤で、アウトがだいだい色。信号機を遠くから眺めているようだ。

     ×……○

 試合は11対6(7回)で2軍の勝ち。選手には言い分もある。「飛球のとき照明が目に入ると、六つの太陽を見たようでもう駄目」「速球は打者にも守備陣にも見づらく、後半は特に目が疲れる」

戸塚球場を創設した安部磯雄・元早大野球部長の話

 大体成功だったが、打者の視力が問題になると思う。見ている方も、涼しくて気持ちよいが目は疲れる。選手の顔もぼんやりとしか見えないので、どうも物足りない。

 【写真説明】夜間試合の光景=10日、戸塚球場

(森本類)

当時の記事について

原文どおりに表記することを原則としますが、読みやすさの観点から

  • 漢字の旧字体は新字体に
  • 句点(。)を補った方がよいと思われる部分には1字分のスペース
  • 当時大文字の「ゃ」「ゅ」「っ」等の拗音(ようおん)、促音は小文字に

等の手を加えています。ご了承ください