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昔の新聞点検隊

世界の頂上で、「雪男だ」とさけぶ

永川 佳幸

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【当時の記事】

今日の問題 ヒマラヤの怪人

 英国のエヴェレスト登山調査隊は、ヒマラヤ山中で「半人半獣」の怪物の足跡を発見したと、その手記の中で書いている。シェルパ族のポーター(荷役)が雪の中で幾つかの奇妙な足跡を見つけ、「ヤティだ」と叫んだそうだ。ヤティというのは「いまわしい雪男」という意味で、そのポーターが二年前に仲間とともに見たのは、顔以外全身が赤茶色の毛でおおわれた身長五フィート六インチばかりの半人半獣であったという。足跡は大きな山グツよりも幾分長く幅も広く、三つの足指の跡もはっきりわかり、シプトン隊長も「これまでもヒマラヤで見たが、こんなにはっきりしたものは、はじめてだ」といっている。何か怪物が住んでいることには間違いなさそうだ。

 チベットでも、エヴェレストには魔性の雪男がいると信ぜられ、これは「毛深い人間」という意味の「スクパ」あるいは「ソクパ」と呼ばれている。スクパには王様がいてエヴェレストの頂上からいつも下界を監視し、手下に女、子供や家畜を襲撃させる。手で打つ力と足で飛ぶ力は、どんな動物もこれに及ばないそうだ。スクパに追いかけられた時は、山をかけ下りるほかはない。スクパは山を下りる時、長い前髪が垂れさがって目にかぶさり、目がよく見えなくなるからだという。

 これまでチベットからエヴェレストに登ろうとする探検隊は、スクパを恐れるチベット人が荷役を断わるのが悩みで、この迷信をまず打破しなければならないといわれたものだが、もしヤティとスクパが同じものであるとすれば、スクパの恐怖を架空の伝説だとばかりバカにするわけにはゆかないことになろう。赤色治下のチベットでは、もはやスクパの恐怖はものの数ではないかもしれないが。

(1951〈昭和26〉年12月21日付 東京朝日 夕刊1面)

【解説】

 人々を魅了してやまない謎は世界にいくつもありますが、「雪男」はその代表と言えるでしょう。古くから存在を主張する声がある一方で、決定的な証拠は見つからず、「野生動物の見間違いじゃないのか」という指摘も多くあります。

 今回取り上げたのは、イギリスの登山家がエベレスト(チョモランマ)で雪男のものらしい足跡に出あったという記事です。登山家はこの謎の足跡をおそらく世界で初めてカメラに収めていました。今なら掲載されても話題ものとして社会面か国際面でしょう。ですが、この時は衝撃がよほど大きかったのか、栄えある1面での掲載です。

 イギリスは1920年代から、当時未踏峰だったエベレストの登頂を目指して、多くの隊員を世界最高峰へと送り込みました。記事に登場するシプトン隊長もその一人です。登山家エリック・シプトン氏(1907~77)は33年に遠征隊に初参加。彼自身がその頂にたどり着くことはかないませんでしたが、20年間の活動により53年の登頂ルート開拓へ主導的な役割を果たしました。

拡大記事1=1952年6月15日付東京本社版朝刊3面
 朝日新聞は、登山記録をつづったシプトン氏の手記を日本で独占的に掲載。足跡の撮影に成功した事実も、その中で詳細に語られています。

 ――1951年11月8日、高度1万9千フィートの氷河を横断中、雪の上に奇妙な足跡を発見。3本の幅広い足指と、それとは別に横に張り出した大きな親指が確認できた。足跡の入り乱れた様子から、少なくとも2頭以上が同時に通ったものと思われる。跡を追って氷河を1マイルほど下った。しかし、雪上に岩石がむき出しになった場所で足跡は途切れてしまった。

 その足跡というのが、記事1。これを見る限りでは手記のとおり、少なくとも人間の足跡ではなさそうです。雪山の上でこんなものを見つけたら、「雪男だ!」と興奮する気持ちも分かります。

 ところで「高度1万9千フィート」とか「1マイル下った」と表記していますが、どれぐらいの距離か分かるでしょうか? いま一つピンと来ません。メートルに換算してみると、それぞれ約5790メートルと約1610メートル。やはりこちらの方がイメージしやすいです。

 日本で計量法が公布されたのはこの記事の半年前の1951年6月。計量法の規定でメートル法が実施されたのは59年でした。当時はまだ様々な単位が入り乱れていた時代だったので仕方がありませんが、現代風の記事としてはなじみのある単位にしたいところ。

 というわけで、記事1段落目に出てくる雪男の身長「五フィート六インチ」も分かりやすい単位に書き換えてもらいましょう。1フィートは30.48センチメートル、1インチは2.54センチメートルなので、約168センチになります。わりと小柄です。とてつもない大男を漠然とイメージしていただけに、少し意外。

 2段落目は、チベットで語り継がれている雪男像に触れています。標高約8800メートルのエベレストの頂上から常に下界を監視しているなんて、視力が0.1もない私からすると、想像すら出来ません。さすが伝説の怪物。

 と、驚いたのもつかの間、山を下るときは長い前髪が邪魔になって前がよく見えないとは……。弱点がお粗末すぎる。頂上で監視するときはどうしているんでしょうか? 手で前髪をかき上げる雪男の格好はあまり想像したくありません。

 雪男の異質さを際立たせるばかりの伝説っぷりです。しかし、納得がいかないところも。それは、雪男の「飛ぶ力」。「飛ぶ」というと、鳥のように大空をはばたくことをイメージします。誰もその存在を証明したことがないので完全に否定は出来ませんが、さすがの雪男にも羽は生えていないでしょう。当時は使い分けていなかったのでしょうが、今の記事ではジャンプ力を指す「跳ぶ」にしたいところです。

 あと一つ分からないのが、3段落目の「赤色治下」。治下という言葉からチベットが何かに統治されているということは読み取れますが、赤色って何でしょう?

 広辞苑の「赤」の項目には「血のような色」という一般的な意味のほかにも、「(革命旗の赤色から)共産主義などの略称・俗称」という意味もあります。なるほど、共産主義国の統治下だったと書き換えれば、ぐっと分かりやすくなります。

 では、その共産主義国とはどの国のことか。今回、取り上げた記事は1951年のもの。当時のチベット情勢を振り返ると、50年に中国の人民解放軍が侵攻、その翌年、協定締結により中国の実効統治下に置かれるなど、歴史上大きな節目にありました。ここでは「赤色=中国」を意味しているのでしょう。

拡大記事2=1958年12月14日東京本社版夕刊3面
 1887年にイギリスのローレンス・ウォーデル大佐がヒマラヤで謎の足跡を発見したことで世界に知られるようになった雪男。最近では、2008年にも日本の「イエティ捜索隊」がヒマラヤで正体不明の足跡を発見したと話題になっています。

 とはいえ、いくら足跡を積み重ねても決定打にはなりません。熊や猿などの誤認説もいまだ根強い。「正体は山奥に住む原住民の修道僧で、雪男なんていない」という報道も過去にはありました=記事2

 120年を超える未知への挑戦の物語。その結末が、「髪ボサボサのただのオジさんでした」とはならないことを祈るばかりです。

(画像には主な直しだけ朱を書き入れています。現在の朝日新聞の表記基準で認めていない漢字の音訓や、当時は入れていなかった句点を入れる等については、原則として記入を省いています)

【現代風の記事にすると…】

今日の問題 ヒマラヤの怪人

 英国のエベレスト登山調査隊が、ヒマラヤ山中で「半人半獣」の怪物の足跡を発見したと、その手記で書いている。シェルパ族のポーター(荷役)が雪の中でいくつかの奇妙な足跡を見つけ、「ヤティだ」と叫んだという。ヤティというのは「いまわしい雪男」という意味。その荷役が2年前に仲間と見たのは、顔以外全身が赤茶色の毛でおおわれた身長168センチほどの半人半獣であったという。

 調査隊が発見した足跡は大きな山靴よりも長くて、幅も広く、三つの指の跡もはっきりと分かるものだった。シプトン隊長は「これまでもヒマラヤで見たことがあるが、こんなにはっきりしたものは初めて」と話す。ヒマラヤに何か怪物がすんでいることは間違いなさそうだ。

 チベットでも、エベレストには魔性の雪男がいると信じられており、「毛深い人間」という意味の「スクパ」や「ソクパ」と呼ばれている。スクパには王様がいて、エベレストの頂上から常に下界を監視し、手下に人間の女性や子ども、家畜を襲わせているという。殴る力と跳躍力がすごく、どんな動物も及ばないそうだ。スクパに追いかけられたときは、山を駆け下りるしかない。スクパは前髪が長く、下りるときは目にかぶさって前がよく見えないからだという。

 チベットからエベレストに登ろうとする探検隊にとって、スクパを恐れるチベット人が荷役を断るのが悩みで、この迷信を打破しなければならないと言われていた。もしヤティとスクパが同じものであるならば、架空の伝説だと馬鹿にするわけにもいかない。とはいえ、中国統治下のチベットでは、もはやスクパの恐怖はものの数ではないかもしれないが。

(永川佳幸)

当時の記事について

原文どおりに表記することを原則としますが、読みやすさの観点から

  • 漢字の旧字体は新字体に
  • 句点(。)を補った方がよいと思われる部分には1字分のスペース
  • 当時大文字の「ゃ」「ゅ」「っ」等の拗音(ようおん)、促音は小文字に

等の手を加えています。ご了承ください