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昔の新聞点検隊

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【当時の記事】

狸盗人捕はる

 三十日午前三時頃風変りな狸泥棒犯人千葉県生れ●●●●●(三一)が日本堤署員に捕まった、この男去る十六日埼玉県下の農家で副業に飼ってゐる見事な狸夫婦を盗み出したのを手はじめに同県下で狸八頭(約一千円)を盗み殺すと値が安くなるので生きたまま東京まで持って来て浅草区吉野町付近で売ってゐた事を自白したが刑事の肩書を刷った名刺も持ってをり偽刑事の疑ひもある

(1938〈昭和13〉年3月31日付 東京朝日 夕刊2面)

※人権上の配慮のため、名前を伏せています。

【解説】

 東日本大震災ではたくさんの動物も被災し、飼育している馬のために避難せずにとどまっている人の話も報じられています。新燃岳の噴火でも畜産家と多くの牛が被災し、ここ数年の鳥インフルエンザなど、家畜にとって困難な出来事が続いています。今回取り上げるのは、そんな家畜を盗んだという記事です。

 まず、いつも通り校閲していきましょう。「風変り」は「おもむき・ありさま・性格・行動などが普通とはちがっていること」(広辞苑第6版)。珍しい事件だから「風変り」としたのかもしれませんが、逆に「普通な犯罪」とはなんでしょうか。記事をおもしろく仕立てたいのかもしれませんが、ここは抜いてはどうかと提案してみます。

 次に「見事な狸夫婦」ですが、「狸」は常用漢字表に含まれないのでカタカナにしてもらいます。また、「見事」というのもよく分かりません。単純に大きいのか、質や血統が良いのか。お金に換算するといくらか、という点にかかわるなら具体的にした方がいいでしょう。さらに「夫婦」。現在は、動物を必要以上に擬人化して表現しないようにしています。例えばパンダが死んだ時は「亡くなる」ではなく「死ぬ」などとします。「死亡」は丁寧な表現なので、動物に使用することに違和感がある人も多くいます。広辞苑第6版では「死亡」を「人が死ぬこと」としています。子ども向けの記事だったり、心がほんわかするような話題だったり、人と同じような表現をすることで感情を込めたいものならば「夫婦」でもよいと思いますが、この場合、事件記事なので「つがい」とか「ペア」でいいでしょう。

拡大ホンドダヌキ
 最後に「偽刑事」のくだりです。突然タヌキから偽刑事の話になって面食らってしまいます。偽の名刺で相手を安心させて売っていたのでしょうか。まったく違う余罪の話かもしれません。タヌキとどんな関係があるのか、補ってもらう必要がありそうです。

 これで校閲作業は終わりですが、私は大きな疑問もいだきました。「なぜタヌキなのか」。お金になることも、副業として飼っていることも、現在の感覚ではよく理解できません。当時は戦時中なので「食用なのかな」とも思いました。そこで調べてみたところ、毛皮をとるために、当時政府が主導して「養狸(ようり)業ブーム」が起きていたようです。

 タヌキの毛は襟巻きや上着の襟飾りなどに用いられ、特に毛筆の材料は中国からの輸入に頼っていたようです。それが、日中戦争に突入して以降、輸入が滞って材料不足になりました。そこで政府は、毛皮を防寒具や毛筆の材料に振り向けることにし、毛皮をとるための動物の養殖を研究する「毛皮獣養殖所」を設立、1937年1月に初代の所長を任命しました(1月14日付東京朝日朝刊2面)。そして副業として毛皮獣養殖をするよう本格的に奨励し始めます。

 その後、キツネとタヌキの飼育がうまくいったようで、ちまたにも飼育法の本が出回るようになります。「養狸業の秘訣」「最新養狸家必携」「養狐養狸の実際」……。なんだか受験用の参考書のようです。

拡大1938年4月30日付東京朝日朝刊6面
 1938年4月30日付の紙面=右の画像=では、飼育法について写真付きで詳しく展開しています。タヌキはあまり跳び上がらないので柵の上部を内側に折り返せば天井は不要。飼料は干しニシンやカエル・タニシなどに、米・柿・ホウレンソウ・白菜などを混ぜる。繁殖には静かな環境が必要で生後6カ月から売り物になる、など。政府の力の入れようがわかります。

 1939年までの間に種狸(繁殖用のタヌキ)を売る会社も広告を出しています。種狸は1匹100円(現代なら数十万円)くらいします。1回の繁殖で1千円の収益があったとか、600円の資金で3年間に1万円もうかったとか、成功例をあげ、「一坪の空地で簡単に飼育が出来」「婦女子にも娯楽的に出来る好副業」と売り込んでいます。

 こうして養狸業は全国に広がります。雄雌のペアが600円で売れるようになったとの記述も残っており(岡山県畜産史)、さながら「タヌキバブル」の様相を呈していきます。今回の記事は、まさにその最中の事件です。

 しかし、バブルはいつかはじけるもの。40年になるとタヌキは売り物にならなくなったようです。原因は戦争の長期化。飼料や資材の値段が高騰して採算が取れなくなり、タヌキの価格がタダ同然にまで下落。養狸業はもうからない商売になってしまいました。紙面にも売れないタヌキを抱えてしまった人の記事が載っています(40年7月1日付東京朝日朝刊7面)。

 先述したタヌキの広告も40年には見られなくなりますが、かわりにウサギが登場します。これもだめだったのか、続いてテンを売り出します。それも年内には消えたようで、ついに毛皮獣ブームは去りました。

拡大1939年7月23日付東京朝日夕刊2面
拡大1940年1月12日付東京朝日夕刊2面
拡大1940年3月8日付東京朝日夕刊2面

 気になるのは、売り物にならなくなった動物たちのその後です。当初の予定通り毛皮になったかもしれない。野に放たれたとしたら、周囲の生態系のバランスが崩れたかもしれない。当時人は食糧難だったけれど、動物の世界は今よりも食糧は豊かだったかもしれないから、田畑を荒らして人に捕まることもなく野山に帰ることができたかもしれない。都内の実家の庭先に現れるタヌキを思い出して、そんな想像をしました。欧州では、毛皮をとるために持ち込まれたタヌキが養狸小屋から逃げ出し、もとはタヌキがいなかった国へ広がっていったという例があるそうです。

 日本中、世界中の動物たちの受難も、一日でも早く過ぎ去るようにと思います。

(画像には主な直しだけ朱を書き入れています。現在の朝日新聞の表記基準で認めていない漢字の音訓や、当時は入れていなかった句点を入れる等については、原則として記入を省いています)

【現代風の記事にすると…】

タヌキを盗んだ疑いで逮捕

 30日午前3時ごろ、タヌキを盗んだとして千葉県出身の●●●●●容疑者(31)が日本堤署員に逮捕された。●●容疑者は16日、埼玉県内の農家が副業として飼っていたタヌキのつがいを盗んだのをはじめ、同県内で計8匹(約1千円相当)を盗んだ疑い。タヌキは死んでしまうと値が安くなると考えて、生きたまま東京市内に運び、浅草区吉野町付近で売っていたという。同署は、●●容疑者が容疑を認めているとしている。

 また、●●容疑者は刑事の肩書が書かれた名刺も所持しており、刑事と偽って活動していた疑いもある。

(森ちさと)

当時の記事について

原文どおりに表記することを原則としますが、読みやすさの観点から

  • 漢字の旧字体は新字体に
  • 句点(。)を補った方がよいと思われる部分には1字分のスペース
  • 当時大文字の「ゃ」「ゅ」「っ」等の拗音(ようおん)、促音は小文字に

等の手を加えています。ご了承ください