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昔の新聞点検隊

金時計はいらんかえ?

永川 佳幸

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【当時の記事】

列車に現れる
憎むべき詐欺師
 急病を装ってニセ金時計
 を乗客に売りつけ
  飛下りて逃ぐ

【八王子電話】十日午後十二時二十八分飯田町発中央線松本行旅客列車が中野国分寺間

進行中年齢四十歳前後色あをざめた男が突然苦もんし始めたので同乗者が介抱してやると男は自分は名古屋へ帰るものだが金はなし病気まで出て全く途方に暮れて居るとて金時計を出し之をかたに二十五円程貸して貰ひたいとのことに乗客中の高尾山、参詣者群馬県桐生市松本某が同情して二十五円を

貸与へた所男は列車が国分寺駅を発車せんとする際飛降り行方不明となった、時計はメッキのにせ物で病気を装ひ巧妙なる列車詐欺を働いたものと判明目下其筋で厳探中

(1925〈大正14〉年9月12日付 東京朝日 夕刊2面)

【解説】

 会社からの帰り道、細い路地に入ると、通りをふさぐようにして止まる1台の車が目に入った。パワーウインドーが下がり、中から男が声をかけてくる。「フリーマーケットの帰りなんだけど、売れ残ったから、これあげるよ」。彼は窓越しにそう言って、金色に輝く時計を手渡してきた――。

 突然ですが、詐欺に遭ったことはありますか?

 冒頭の出来事は、私が3年前に詐欺の標的とされた際の体験です。当時はまだ、就職で上京したばかりで右も左も分からなかったころ。予想もしない展開です。「こんなことがあるなんて、さすが東京」と、私ものんきなものでした。

 「質屋で売ればけっこうな額になるから」「交渉次第で10万円は取れる」。格好のエモノ(=私)を前に男は冗舌です。しかし、残念。怪しさが全開なんです。しゃべればしゃべるほど、うさんくさい臭いがプンプン漂ってきます。

 途中で帰ろうかとも考えましたが、しばらく様子を見ることにしました。それは、男がいかにしてお金をだまし取ろうとするのか、その手口に興味があったからです。こんな千載一遇のチャンスをみすみす逃す手はありません。金時計とか言っちゃって、実はメッキの偽物なんでしょ? 詐欺、ご苦労様です――。疑いの気持ちを視線に込めつつ、とりあえず話を聞くフリを続けました。

 すると、何を勘違いしたのか、勝算ありと見た男はしたり顔でこう切り出してきたのです。「時計をゆずる代わりに、これから居酒屋で飲むから、その代金として5万円ほど出してくれないか」

 なるほど、そう来たか! ストレートすぎる要求です。当時の私は20代前半。5万円はいくらなんでも無謀だと考えなかったのでしょうか。あともう少しのところで、「じゃあ自分で質に入れて、そのお金で飲めよ」と口に出してしまいそうになりました。

 さて、言葉巧みにお金をだまし取ろうとする人間がいるのは今も昔も変わらないようです。過去の紙面を探してみると、私と同じように偽の金時計を使った詐欺に遭った人がいました。手口が似ているだけに、被害者のことを他人とは思えません。無念をはらすためにも(?)、全力で校閲にあたりましょう。

 被害者がだまし取られた25円は、現在の価値でいえば3万円ほど。いい勉強になったと自分を納得させるには高すぎる代償です。編集者も憤慨しながら見出しをつけたのでしょう。「憎むべき詐欺師」。気持ちがよく表れています。

 しかし、現在は裁判員裁判もあり、読者に先入観を与えないためにも、慎重な報道が求められます。編集者の主観でしかない「憎むべき」は必要ありません。また、「詐欺師」は「詐欺を働いた人」という断定的な表現なので、まだ事件の疑いがあるに過ぎないことを明確にした見出しに変えてもらいましょう。

 また、見出しで「飛下りて」とありますが、記事では最後の段落に「飛降り」と違う字を使っています。どちらかにそろえてもらいましょう。今の紙面では「飛び降り」と書くことにしています。

 2段落目の後ろから3行目。「」という一見「と」のように見える文字がありますが、ちょっと違います。これは、「こ」と「と」を組み合わせた仮名合字と呼ばれるもの。これ1字で「こと」と読みます。

 3段落目の「時計はメッキのにせ物で病気を装ひ巧妙なる列車詐欺を働いたものと判明」という書き方は改める必要があります。気をつけたいのは、確定事項なのか、それとも容疑なのか。列車から飛び降りた人物は本当に体調が悪かったのかもしれないし、お金も後で返すつもりだったかもしれない。それは当人にしか分かりません。まだ逮捕されていない段階で、断定的な書き方をするのは危険です。確定事項(金時計は偽物)と容疑(病気を装った詐欺)ははっきりと書き分けてもらいましょう。

 あとは不足しているデータがないかどうかを見ます。

拡大飯田町駅の跡地に立つ碑
 中央線は、東京都千代田区の東京駅から愛知県名古屋市の名古屋駅までを結ぶ総延長約424キロの路線です。全国版に載せる記事だとしたら、駅名だけではどの地域の話なのか把握できない人もいるかもしれません。少なくとも事件が起きた現場の駅には所在地をいれてもらいましょう。

 ちなみに記事に出てくる4駅の中で飯田町駅は今では廃駅になっており、跡地には碑が残るのみとなっています=写真。同駅は東京都千代田区飯田橋3丁目、JR中央線飯田橋駅の近くにありました。民間の路線、甲武鉄道の駅として1895年に開業。甲武鉄道は1906年の国有化で中央線の一部となり、飯田町駅では1930年代まで旅客営業を続けました。

 3段落目の最後の部分。逃げた男の行方を「厳探中」とありますが、誰が捜しているのかが書かれていません。もちろん、容疑者を捜すのは警察のはず。事件記事に警察署など捜査する組織名は必須の情報なので、盛り込んでもらいます。

 さて、逃げたと言えば、思い出すのは冒頭の私が遭遇した金時計の男。計画が失敗に終わった彼は、時計を強引に奪い取り、豪快な舌打ちを残して走り去ってしまいました。その後、男がどうなったのか、知る由もありません。

 警察庁によると、2009年に全国で確認された詐欺の件数は約4万5千件。近年、減少傾向にあるものの、オレオレ詐欺や還付金詐欺、架空請求詐欺など、手口は多様化し、より巧妙なものになっています。

 そんな中、彼はというと、80年以上前にはすでに存在していたベタすぎる手口を使っていたわけです。伝統的手法が一番堅実だということなのか、それとも単に流行に乗り遅れただけなのか。金時計だけでなく、その古臭い手法もメッキがはがれていることに気付いていなかったのでしょうか。

(画像には主な直しだけ朱を書き入れています。現在の朝日新聞の表記基準で認めていない漢字の音訓や、当時は入れていなかった句点を入れる等については、原則として記入を省いています)

【現代風の記事にすると…】

病気を装った詐欺事件か 「金時計」と見せかけた男が逃走

 【八王子電話】●●署は病気を装って現金を詐取した疑いがあるとして、東京府国分寺村の国鉄中央線国分寺駅で列車から逃亡した男の行方を捜している。

 ●●署の調べによると10日午後0時28分ごろ、中野-国分寺間を走行中の飯田町発松本行きの中央線列車内で、40歳前後の男が突然苦しみ出した。男は「名古屋へ帰るところなのだが、お金がなく、病気にもなり途方に暮れている。これを担保に25円ほど貸してほしい」と言って、金時計を乗客に差し出したという。高尾山を参詣した帰りだった群馬県桐生市の松本さんが25円を渡したところ、男は国分寺駅を発車する寸前に列車から飛び降りて行方不明となった。

 時計はメッキの偽物と判明。●●署は詐欺容疑で逃げた男の行方を捜している。

(永川佳幸)

当時の記事について

原文どおりに表記することを原則としますが、読みやすさの観点から

  • 漢字の旧字体は新字体に
  • 句点(。)を補った方がよいと思われる部分には1字分のスペース
  • 当時大文字の「ゃ」「ゅ」「っ」等の拗音(ようおん)、促音は小文字に

等の手を加えています。ご了承ください