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昔の新聞点検隊

寄付金付き切手のデザイン騒動

山室 英恵

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【当時の記事】

高橋さん(新宿)作を採用
 もめた「ガン征圧切手」

 既発表の作品に似たものが続出し盗作問題でもめていた「ガン征圧切手」について、郵政省は十三日審査員と協議した結果、入選作品のなかから東京都新宿区神楽坂●●●広報デザイン研究所内高橋透さんの作品「放射機の写真を扱ったもの」を選び、七円記念切手(三円の寄付金つき十円売り、三千万枚発行)に採用することを決めた。

 この切手のデザインははじめ特選の●●市●●●●会社員▲▲▲▲さん(■)の作品「顕微鏡」を採用したが、これが盗作にまぎらわしいことがわかって採用取消しとなった。続いて入選作品の中から●●県●●●●▲▲▲▲さんの作品「手術台」が候補に上ったが、これも既発表の作品の中に着想が似ているものがあることから見送りとなり、十二日から十三日にかけての審査員の間の審査で入選作品三点、佳作四点の中から高橋さんの作品が選ばれたもの。

(1966〈昭和41)年7月13日付東京本社版夕刊9面)

拡大6月21日に日本郵便から発行される予定の東日本大震災寄付金付き切手=日本郵便提供
【解説】

 日本郵政グループの郵便事業会社(日本郵便)から21日、東日本大震災の被災者の救助などを目的に、寄付金20円付きの80円切手が発売されます。発行枚数は7千万枚。1日に発売された寄付金付きはがきとあわせて、完売すれば15億円超が寄付されます。

 このような災害復興向け寄付金付き切手の発行は、これで4回目。1995年の阪神大震災の時も発行されました。災害復興以外でも37年に航空事業振興のために発行された日本初の寄付金付き切手「愛国切手」をはじめ、64年に開催された東京五輪のためや2003年に発行されたキトラ古墳の保護などを目的とした寄付金切手などが発行されています。

 さて今回取りあげる記事は、図案を一般から募った寄付金付き「がん征圧切手」をめぐる騒動です。校閲をする前に、がん征圧切手に関する報道を少したどってみましょう。

 がん征圧切手は1966年10月に東京で開かれた国際がん会議を記念して発行されました。3円の寄付金付き7円切手3千万枚と、5円の寄付金付き15円切手2500万枚が発行されることが決まったと、同年3月19日付の夕刊の紙面で報じています。

 この切手の図案は公募で、「日本郵便」「NIPPON」「がん征圧」「1966」と切手の値段の「7+3」か「15+5」を入れることなどが条件となっていました。図案の公募は1953年の皇太子(当時)の英国戴冠(たいかん)式からの帰国記念切手以来だったそうです。

 余談ですが、条件にある「NIPPON」という表記は、万国郵便条約の改正により国名をローマ字で入れる義務が生じたため、1966年1月1日以降に新規発行された切手に入りました。「NIPPON」か「NIHON」のどちらにするか検討され、NIHONは「ニオン」と発音されるおそれがあるため、「NIPPON」になったそうです=下の画像

拡大切手にNIPPONと入れることになった理由を説明する記事=1965年9月10日付東京本社版朝刊15面
 図案公募の記事から約2カ月後の5月24日に応募作品2881点から入賞が決まり、特選となった2点が記念切手に使われることになったと当時の記事は報じています。ところが、また約2カ月後の7月11日に、2点のうち1点が雑誌「アイデア」に載った作品に似ていることがわかり、採用が取り消されました。7月12日付朝刊では、その制作者は盗作を否認していると伝えています。「アイデアをねるのに20日間かかったし、作図にも4、5時間かけている」という制作者のコメントも掲載しています。

 同12日に新たな図案を公募の入選作品から再び選ぼうとした郵政省(現・総務省)ですが、入選作品にも雑誌「アイデア」に載っていた作品と着想が似ていたものがあったそうです。

 1966年7月13日付の記事はこうした報道ののち、掲載されました。

 では、校閲をしましょう。冒頭の「盗作問題でもめていた」という部分。はじめに取りざたされた「顕微鏡」の作品の制作者は盗作を否定しています。また、次に取り上げられた「手術台」も着想が似ていたというものでした。この記事を読む限りでは「盗作」と断定できる状況にはなさそうです。直前に、「既発表の作品に似たものが続出」という記述もあるので、抜いてもらうなど表現を弱めてもらいましょう。

 次に「入選作品のなかから」とありますが、最後の文章を読むと入選作品3点と佳作4点の中から選んだとあります。そこで、入選作品の直後に「佳作」も入れてもらいましょう。また、「なか」の表記が平仮名と漢字に分かれているので、漢字にそろえてもらいます。

 現在と大きく違うのは住所と氏名の表記の基準です。まず住所から見ていきます。今回の記事では現在の基準に照らして既に黒く塗りつぶしています。元の記事では戸番まで書かれていました。今では特に必要な場合以外は家まで特定できる住所は掲載しません。訃報(ふほう)など郵便物の送り先として正確な住所が必要な時は戸番まで入れます。今回は必要ないので、細かい住所は抜いてもらうことにします。

 氏名も見ましょう。誰の作品ががん征圧切手になるのかということは大きな関心事項ですから、切手のデザインに決まった高橋透さんの氏名は、フルネームで掲載します。また、年齢が書かれていませんが、いくつぐらいの方の作品なのかも気になります。普段なら「年齢を入れませんか?」とだけ提案しますが、今回はのちの紙面から20歳であることがわかったので、「(20)」と入れてもらいます。

 この騒動では盗作かどうか疑惑の段階なので、はじめに特選となった「顕微鏡」の制作者と入選作品「手術台」の制作者を実名で報じるかどうか、現代なら検討する必要がありそうです。もし実名で報じる場合は、短くても「本人は否定している」と入れたいところです。今回は現代の基準に合わせて、「当時の記事」も墨塗りにしています。

 では、他の直して欲しい箇所をサッとみていきます。

 「ガン」は切手に書かれている文字も平仮名で書かれており、片仮名で表記する固有名詞というわけでもないようなので「がん」としてもらいます。

 「放射機」はこの記事が出た後、実は「照射機」が正しいことが分かりました。ただ、現在ならインターネットなどで検索して間違いを発見出来るでしょうが、記事が載った当時ならそういうものがあるということを知らなければ、音も似ているので気付けないかもしれませんね。

 一件落着かと思われたこのがん征圧切手の図案。実はこの「照射機」のデザインも特定のメーカーのものであったため、「公共性をもつ切手の図案に特定業者の製品を取り上げ宣伝するのはけしからん」(1966年7月20日付毎日新聞)と他のメーカーから苦情が出たそうです。そこで、「“赤ランプ”などの部分品をとりつけて某社製とわからないようにした」と報じています。

 がん征圧切手は同年10月に、予定より500万枚増刷されて計6千万枚が発行されました。「発行枚数が通常の記念切手の倍もあったのと、PR不足」(1966年12月13日付朝刊)などの理由で売れ残りが心配され、販売期間を1967年1月20日までに1カ月延長したところ、順調に売れて最終的には寄付金は2億円を超えたようです。

拡大初の寄付金付き切手は、海外からも注文が殺到したという=1937年6月9日付東京朝日朝刊12面

(画像には主な直しだけ朱を書き入れています。現在の朝日新聞の表記基準で認めていない漢字の音訓や、当時は入れていなかった句点を入れる等については、原則として記入を省いています。個人情報保護のため、当時出ていた住所などを塗りつぶしています)

【現代風の記事にすると…】

高橋さんの作品を採用 二転三転「がん征圧切手」

 デザインを公募して選定したが、既に発表されていた作品に似ている応募作が続出して、注目された「がん征圧切手」について、郵政省は13日、審査員と協議した結果、入選作品・佳作の中から東京都新宿区神楽坂の広報デザイン研究所高橋透さん(20)の作品「照射機の写真を扱ったもの」を選び、7円記念切手(3円の寄付金つきで1枚10円、3千万枚発行)に採用することを決めた。

 この切手のデザインは、はじめは特選の会社員の作品「顕微鏡」を採用したが、既に発表された作品に似ているとして採用が取り消しとなった。続いて入選作品の中から「手術台」が候補に上がったが、これも着想が似ている作品が発表されていることから採用が見送られた。

 審査員が12~13日に改めて審査し、入選作品3点、佳作4点の中から高橋さんの作品を選んだ。

(山室英恵)

当時の記事について

原文どおりに表記することを原則としますが、読みやすさの観点から

  • 漢字の旧字体は新字体に
  • 句点(。)を補った方がよいと思われる部分には1字分のスペース
  • 当時大文字の「ゃ」「ゅ」「っ」等の拗音(ようおん)、促音は小文字に

等の手を加えています。ご了承ください