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昔の新聞点検隊

梅干し足りぬ 日の丸弁当が生んだ危機

永川 佳幸

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【当時の記事】

鉄箒 梅干尊重の説

 ◇梅干は重要な皇軍への供出品である。しかも来年の夏梅の実の熟する頃まで待たなければ、何千万円の献金があらうとも、何千万人の銃後の労力奉仕があらうとも、決して現在以上の増産は不可能なのである。即ち梅干は一個といへども大切にして、皇軍将士のお役に立てるべきであると信じる。

 ◇精神鍛錬、節約強調の一手段として近頃流行する所謂「日の丸弁当」といふものも、この点から考慮を要すると思ふ。

 ◇今年は特に事変を見越して沢山梅干をつくったわけではないのに、お役所のおとっつあんから小学校の一年生まで、日の丸弁当を持参すれば上役に感心され、先生に賞められる。念の入った学校では日の丸弁当を持参の日は一銭づつ皇軍に醵金させる。かくて軍部供出の梅干には不足をきたす憂ひがあり、価格は騰貴し、一銭二銭の節約目標には換へがたいものがあると信じる。

 ◇発育盛りの子供にカロリーの少い日の丸弁当を一週に何度と持参させたり、第二の国民をつくるべき女子に粗食を重んずべきであるといふ精神を植つけたりしたら社会保健省さへ出来ようといふ今日、重大問題ではないか。

 ◇美食は勿論いけない。節約勿論結構である。が皇軍で御入用な品を内地で盛んに使ってしまはなくても、他に方法はなからうか。梅干も銃後で節約すべきものの一つではあるまいか。(正寄)

(1937〈昭和12〉年11月17日付 東京朝日 朝刊3面)

【解説】

拡大仕分けられる梅干し=2011年6月、和歌山県田辺市
 人生、不思議なことが起こるものです。

 2カ月ほど前、朝日新聞東京本社の校閲センターに一つの小包が届きました。あて名は「永川佳幸様」。そう、私の名前です。和歌山県の郵便局から発送されたもので、送り主の欄には、あるお笑い芸人の名前が書かれていました。

 いったい誰からの贈り物なのか、心当たりがありません。和歌山には旅行で1度行ったことがあるくらい。縁もゆかりもありません。もちろん、その「芸人」とは赤の他人です。連絡先として書かれていた住所と電話番号は、朝日新聞の関係先のものだったので、恐らく偽名でしょう。

 えたいの知れない小包。報道機関という場所がら、危険物という可能性も考えなくてはなりません。センター内に緊張が走ります。恐る恐る小包を開けると、そこにはなんと! それはそれは粒が大きくて、立派な梅干しがぎっしりと詰まっていたのです。

 う、梅干し……? 予想もしない中身に周囲は騒然となりました。校閲記者は一般の記者と違って、取材する機会は多くなく、私も数えるほどしかありません。いったいどこで私が朝日に勤めていることを知ったのでしょうか。そもそも、なんで梅干し? それも、わざわざ和歌山県から? 謎に次ぐ謎。どれだけ記憶をさかのぼっても、梅干しを送りつけられる覚えがないのです。

 善意の贈り物か、それとも悪意による嫌がらせなのか。謎は明らかにならないまま、現在に至ります。

 というわけで、これも何かの縁、今回は梅干しにまつわる記事を取り上げてみました。

 梅干しが足りない、みんな節約しよう! 朝日新聞の投書欄「声」の前身である「鉄箒(てっそう)」の中で、一人の読者が強く訴えています。気軽に食べられるはずの梅干しに、いったい何が起きたのでしょうか……。

 北京郊外の盧溝橋で演習中の日本軍が何者かに銃撃された、いわゆる盧溝橋事件が起きたのが1937年7月。今回の記事は、それから約4カ月後に掲載されたものです。

 事件を契機に、日中両国は開戦したばかり。国内では、兵士のために献金しようという動きが広がります。そこで注目を浴びたのが日の丸弁当でした。質素な食事で食費を削って献金分を捻出しようというわけです。当時は同じ「鉄箒」欄で、全社員の昼食を日の丸弁当に替え、節約分を献金しているという企業を紹介し、「時宜を得た快挙」「日の丸弁当の全国的実施の統一を」と力説する読者もいました。

 しかし、この宣伝が効いたのかどうか、事態は思わぬ方向に進んでしまいます。運動が広がりすぎてしまい、全国的に梅干しが不足するようになったのです。節約のための運動も、貴重品となった梅干しの値段が高騰し、かえって出費がかさむ本末転倒な結果となってしまいました。

 影響は戦地にも広がります。前線で展開する兵士に食事を届ける「給食隊」。頭上を弾丸が飛び交う中、銃も持たず地面をはうように進み、前方の仲間めがけて弁当を放り投げて届けるのが彼らの任務です=下の画像。開戦当初は、栄養価の高い梅干しの入った弁当が支給されていましたが、それもいつしか具のない握り飯に。「食物のなんとお粗末であることよ。握り飯だけでは食欲も減退しヴヰタミンなど栄養にもこと欠く」。給食隊に従軍した記者も嘆いています。

拡大1937年10月27日付東京朝日夕刊2面

 その後も梅干し不足は深刻さを増すばかり。日の丸弁当には、梅干しではなくシソや漬け物を入れるようにと提案する自治体まで登場する始末。こうして、「梅干しを食べ過ぎないように」という今回の呼びかけにつながったわけです。「日の丸弁当で節約しよう」と訴えてからわずか2カ月。事態の急変ぶりがうかがい知れます。

 では、校閲に取りかかりましょう。

 校閲センターの仕事は、正しい日本語にするだけではありません。読者が不愉快に感じないようにしたり、差別的表現をなくしたりするのも仕事の一つです。そこで今回のポイントはジェンダー。「男はこうあるべきだ」「女はこうあるべきだ」といった、社会的につくられた性差のことを言います。性別による役割分担は時に、その人らしく生きることを難しくする場合があります。

 現代の新聞としては、こうした偏りを固定化させるような表現は避けたいところ。そのため、今回は二つ直さなければならない箇所があります。

 まずは、3段落目の「お役所のおとっつあん」。妻が朝早く作ってくれたお弁当を手に、夫は仕事に精を出す。それ自体はとてもほほえましい光景です。しかし、「おとっつあん」と男性に限定する必要はあるでしょうか? 「男は外で働き、女は家を守る」というジェンダー意識を助長しかねない表現で、見過ごせません。女性の社会進出がそれほど進んでいなかった当時は、仕方のない面もあります。しかし、現代なら夫が弁当を作り、妻が働きに出る家庭があっても何の不思議もありませんよね。ここでは性別には触れず、単に「公務員」とか「職員」にすればいいでしょう。

 次に、4段落目の「第二の国民をつくるべき女子」。第二の国民とは、もちろん子どものことです。「女性は子どもを産む機械」と発言して批判を浴びた国会議員がいましたが、出産に関して他人にとやかく言う権利はありません。産むか産まないか、その判断は当事者にゆだねられるべきものです。他に言い換えようもありませんので、この部分は丸ごと削ってもらいましょう。

拡大昨年載ったイラスト。「家事は女性の仕事」という意識はなかっただろうか……
 最近では、ここまで露骨な表現に出あうことは少なくなりました。しかし、ジェンダー意識は根深いもの。結果として微妙な表現となってしまうことはままあります。

 右の図をご覧ください。これは昨年掲載されたもので、国の予算を一般家庭の家計に例えると、という内容です。4人のイラストはある家庭を表したもので、左上の男性が父親、中央の女性が母親、下がその子どもなのでしょう。

 注目していただきたいのは中央の女性。エプロンをしていますね。恐らく図の作製者は主婦をイメージして、この女性を描いたのだと思います。これも先ほどの「おとっつあん」と同じように、「家事は女性の仕事」という意識が多少なりとも影響したのではないでしょうか。しかし、家族の形態はさまざま。できればエプロン姿は改めたかったところです。

 この他、「お役に立てるべきである」「御入用な品」といった日本軍への丁寧すぎる言い回しが目立つのも気になります。戦時中なので仕方ありませんが、「皇軍」という今は使わない呼称も含め、今の時代に合った表現に直したいところです。

 さて、時は流れて現代。和歌山県から届いた梅干しはというと、気味が悪くて処分してしまいました。しかし、恐らく結構な値段だったでしょうから、今回の記事を読むうちに「もったいないことをしたかな」と若干の後悔を覚えています。

 結局、誰からどういう意味を込めての贈り物だったのか、何一つ分からないまま。「芸人」さんは私のことを知っているのに、私は向こうのことを知らない。なかなか奇妙な気分です。解明されることなく、このままうやむやになるのも気持ちが悪いし、かといって、第2弾の贈り物が来たら来たでそれも困る。梅干しの呪縛から解き放たれるのは、果たしていつになるのでしょうか。

(画像には主な直しだけ朱を書き入れています。現在の朝日新聞の表記基準で認めていない漢字の音訓や、当時は入れていなかった句点を入れる等については、原則として記入を省いています)

【現代風の記事にすると…】

鉄箒 梅干しも節約しよう

 ◇梅干しは軍隊への重要な供出品だ。何千万円の献金があろうとも、何千万人もの国民が献身的に働こうとも、梅の実が熟す来夏まで待たなければ、現在以上の増産は決してできない。梅干しは1個といっても大切にして、軍兵士のために役立てるべきである。

 ◇精神鍛錬、節約強調の一手段として近頃流行している、いわゆる「日の丸弁当」というものも、この点から考慮が必要だと思う。

 ◇公務員から小学校の1年生まで、日の丸弁当を持参すれば上司に感心され、先生にほめられる。日の丸弁当を持ってきた日は1銭ずつ軍隊に献金させる、念の入った学校まであるという。しかし一方で、今年は特に事変を見越して梅干しを大量につくったわけではなく、軍に供出する梅干しが不足する恐れがある。結果、価格が高騰し、1銭2銭の節約目標には代えがたいものがあるだろう。

 ◇発育盛りの子供にカロリーの少ない日の丸弁当を1週間に何度も持参させたり、粗食を重んじるべきだという精神を植え付けたりしたら、社会保健省さえ誕生しようという今日、問題ではないか。

 ◇美食はもちろんいけない。節約も大いに結構である。しかし、軍隊に必要な品を国内で盛んに使ってしまわなくてもいいのではないか。梅干しも節約すべきものの一つである。(正寄)

(永川佳幸)

当時の記事について

原文どおりに表記することを原則としますが、読みやすさの観点から

  • 漢字の旧字体は新字体に
  • 句点(。)を補った方がよいと思われる部分には1字分のスペース
  • 当時大文字の「ゃ」「ゅ」「っ」等の拗音(ようおん)、促音は小文字に

等の手を加えています。ご了承ください