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昔の新聞点検隊

伝説たちの甲子園1 沢村投手の短い夏

広瀬 集

【当時の記事】

拡大1934(昭和9)年8月15日付東京朝日夕刊1面。クリックすると大きくなります。画像には主な直しだけ朱を書き入れています。現在の朝日新聞の表記基準で認めていない漢字の音訓や、当時は入れていなかった句点を入れる等については、原則として記入を省いています

台北市岡に拮抗し 最初の補回大熱戦 京商沢村の剛投空し

【大阪電話】第一日早くも大試合の展開に待ち兼ねたファンの気をそそった本社主催第二十回全国中等学校優勝野球大会は第二日も快晴に恵まれた上、地元代表市岡中学・京都商業等の登場で一段と人気を煽り京阪神の球狂児等は早朝から甲子園球場に吸込まれてゆく、今日の第一戦を承る市岡中学は五年振の出場とあって地元ファンの厚い支援を受けて常夏の国からの遠来チーム台北商業を迎へての一戦に幸先よきスタートを切らんと入念の仕切に油断なき攻防振 さすがに洗練された巧緻を見せるが台北もさるもの守勢を取りつつもよく腕の冴えを発揮して拮抗し大会最初の補回試合となり十一回市岡一点を奪って勝つ、第二戦を承るものは甲子園初登場の京都商業、近畿、中国に鳴り響く剛球投手沢村の怪腕を擁して山陰の古豪鳥取一中にいどみかかる、鳥取の付目は京商バックの弱い所を見て取り間断なく小銃を放って進む作戦、投手中心の京商としては頗る面食らひの体、鳥取は伝統の偉力に守り堅く京商の急追も甲斐なく古豪鳥取に名を成さしむ

(1934〈昭和9〉年8月15日付 東京朝日夕刊1面)

 

【解説】

 今年も暑い夏、そして熱い夏がやってきました。高校球児のひたむきな一投一打は、日本の夏に欠かせません。全国高校野球選手権大会、夏の甲子園です。今大会もはや3回戦に突入しましたが、好試合が続出。東日本大震災があったこともあり、例年にもまして記憶に残る大会になりそうです。純粋に白球を追いかける姿に励まされる人も少なくないと思いますが、球児の皆さんには、自分たちの積み上げてきた努力の成果を存分に発揮することに集中してほしいと思います。

 朝日新聞は、第1回大会から主催してきたので、初期の大会でも記事が豊富で、様子がよく分かります。今回はその中でも第20回大会を取り上げました。不世出とも言われるあの沢村栄治投手が出場した、唯一の夏の甲子園です。しかもこの大会は、沢村投手以外にも、後の日本のプロ野球史に名を残す偉大な選手が出場していました。

拡大沢村投手が大リーグ打線を1点に抑える快投だったが、静岡で行われたためか短行で扱いも小さい=1934年11月21日付東京朝日朝刊3面

 沢村栄治といえば現在、プロ野球でその年最も活躍した先発投手に贈られる「沢村栄治賞」に名を残す投手。今回とりあげた20回大会の直後、日本選抜の一員として大リーグ選抜と戦い、ベーブ・ルースやルー・ゲーリッグといったスーパースターが並ぶ強力打線を、ゲーリッグのソロ本塁打1本に抑えて完投した試合が有名です(右の記事。試合は0-1で敗戦。沢村投手はこの日以外にも登板していて、他の試合では打ち込まれてもいるようですが、それを差し引いても快挙でしょう)。その後に発足したプロ野球では巨人に在籍。1937(昭和12)年春には30試合に登板して24勝、防御率0.81と驚異的な数字を残して最優秀選手(MVP)を獲得しています。

拡大20回大会開会式の様子。スタンドには観客がぎっしり=1934年8月14日付大阪朝日夕刊1面
 その大投手の、唯一の夏の甲子園。まずは記事を見てみましょう。これは紙面全体の内容をまとめて冒頭に書く「前文」です。当時すでに甲子園の大会は大人気で、球場はいつも観客でいっぱいでした=左の記事。熱烈なファンも多かったでしょうが、「球狂児」は少し言いすぎでしょうか。「狂」は印象の良い字ではありません。「熱心なファン」等に言い換えましょう。

 この日の第1試合は台北商対市岡。市岡「中」とありますが、当時は「全国中等学校優勝野球大会」で、間違いではありません。現在の大阪府立市岡高校で、第2回大会では準優勝しています。台北商は台湾の代表。当時は日本の統治下だったため、台湾と朝鮮、旧満州からも代表校が参加していました。

 そして第2試合が沢村投手を擁する京都商(現・京都学園高校)と鳥取一(現・県立鳥取西高校)の対戦。京都商が「初の甲子園出場」としていますが、実は京都商は、すでに前年とこの年、春の選抜大会に出場しています。春ではありますが「甲子園出場」は果たしていますので、「初」とは言えません。ここは「夏の甲子園出場」としておきましょう。

拡大第10回選抜2回戦、京都商-大正=1933年4月7日付大阪朝日夕刊2面

 ちなみに選抜大会で京都商は、33年の10回大会でベスト8進出(沢村投手は3試合で37奪三振)、34年の11回大会で2回戦敗退(2試合で奪三振29)という成績を当時の朝日新聞の記事で確認できました。主催が大阪毎日新聞だったせいか、夏に比べ扱いはかなり小さいですが……=上の記事

拡大京都商のチーム紹介=1934年8月9日付東京朝日朝刊3面
 その活躍もあって、夏の大会直前の戦力分析でも、「その速度と見事な曲球はかれ多年の巧味と相俟(あいま)ってなんら不足を唱へるところはなく、最近では桃山、京都第一工などをノーヒット、ノーランに射止め、最後の強豪平安を一安打に防御して快勝を博したなど京商はやはり沢村投手のチームといふべく、かれの好投こそ大いに期待されてゐる」と大絶賛していました=右の記事。ただ、2度のノーヒット・ノーランのうち、桃山戦は5回コールドだったようなので、現在なら「参考記録」になります。なお、「曲球」は「くせ球」ではなく「曲がる球」、つまり変化球のことのようです。

 沢村投手が相手とあって、鳥取一打線は、対策として大きい当たりを狙わない作戦をとったようです。その表現が「間断なく小銃を放って進む作戦」とは、おだやかではありません。前年に国際連盟を脱退し、徐々に戦時色が見え始めるこの頃、野球にもこのような戦争を想起させる文章がよく見あたります。しかし学生野球は教育の場でもあります。各地域の対決を必要以上にあおるような表現や、戦争に結びつけるような表現は、今の世の中にはふさわしくありません。選手たちは、厳しい練習で鍛えてきた自分たちの力を発揮するために試合をするわけで、決して地元の名誉のために戦っているわけではありません。ショートを「遊撃」、アウトのことを「殺」など、定着してルールブックでも使われているような用語は仕方ないですが、野球はあくまでスポーツ。「小銃を放つ」は、「コツコツ当てていく」等の表現に変えてもらいましょう。

 

 そのほか、高校野球の紙面では一つの試合について両校をなるべく平等に書くようにしています。いずれの試合も、両校が力を出し合って成り立っているからです(そのぶん、各地域面では地元校の記事を満載します)。また、試合全体の様子を伝えるメーンの記事の見出しに、個人名を入れることもあまりありません。誰か一人が活躍したとしても、それはチーム全体の勝利です。活躍した選手は、今の紙面だと「はま風」や「きらり」といったコーナー記事で名前を挙げてクローズアップするようにしています。今回の記事では見出しに「京商沢村」とありますが、現代の校閲なら編集者に念のため注意喚起をするところです。

拡大1面まるまる高校野球の大阪夕刊=1934年8月15日付大阪朝日夕刊1面
 では、指摘はこれくらいにして試合を見てみましょう。上の朱入りの画像は東京の紙面ですが、こちらは大阪の紙面=左の記事。さすがはお膝元、夕刊1面全部野球の記事です。東京紙面もそうですが、写真の中に見出しを入れるなど、なかなか凝った作りです。毎夏、大阪本社の各部署は高校野球の紙面を作る特別チームを結成して、いかに魅力的に伝えるか知恵を絞るのですが、すでにこの頃から、その傾向が見られます。ただ、1試合ごとに見出しを立てて、イニングスコアとテーブル(選手の安打数などを示した表)、写真を組み合わせる基本的な部分は、今も昔も同じです。先ほど挙げた、大会直前の戦力紹介などを載せるのも、今とほぼ同じですね。ただ、何日の第何試合なのか、何回戦なのかが少し見にくいでしょうか。今は本文の外にカットを入れるなどして分かりやすく表示しています。

 大阪の夕刊は戦評も収録していました。「外角を狙った速球は制球力を欠き余儀なく真ん中に投げ込む好球を鳥取勢に狙ひ打たれて」初回に2点取られたとあり、立ち上がりが不安定だったことが分かります。3回にも二塁打2本で1点を追加されますが、4回以降は1人の走者も許さず、「好投手の面目を躍如たらしめた」ともあります。先制されても崩れずに調子を取り戻していくあたり、大投手の片鱗(へんりん)を感じます。

拡大22代表校の主将を紹介する選手権大会の記念別刷りに載っていた沢村投手の写真=1934年8月13日付大阪朝日別刷り
 一方、京都商は打線がふるいません。3回裏に無死一、二塁で強攻策に出たことを当時の記者は敗因に挙げています。この回、沢村投手自らのタイムリーで1点を返すのが精いっぱい。結局3回の2安打以外は抑え込まれてしまい、12奪三振の沢村投手を援護できず。試合時間2時間足らずで、京都商の夏は終わりました(この試合の経過記事も分かりやすく起こしましたので、興味のある方は2ページをご覧ください)。今なら選手の談話も多く掲載するのですが、この紙面には選手たちの心情をうかがえる記事が見あたらないのが残念です。せめて写真でも、と思って探しましたが、鳥取一の先制点の場面以外に試合中の写真は見あたりませんでした。ただ、開幕直前の別刷りで代表校の各主将を紹介する特集があり、そこに沢村投手の姿がありました=右の記事。写りが良くありませんが、沢村投手の映像や写真はあまり残っていないので、プロ入り前の貴重な一枚と言えるでしょう。

 この大会後、沢村投手は京都商を中退し、先述した全日本選抜チームに参加。巨人でも大活躍しますが、実は輝きを放っていた期間は、ほんの数年でした。戦争に召集され、手投げ弾の投げすぎで肩を壊してしまったため、と言われています。応召と復帰を繰り返しますが、3度目の召集の時、台湾沖で命を落としてしまいます。享年27。あまりに若く、あまりに惜しく。悔やまれます。沢村投手にふれる時、どうしても戦死のことは避けられず、毎回なんとも空しい気持ちになります。多くの命はもちろんのこと、戦争で失ったものはたくさんありますが、野球もまたそのひとつだと思います。沢村投手の他にも戦死した名選手は少なくありません。

 昨日は66回目の終戦記念日でした。改めてその無念さをかみしめ、この悲劇を二度と繰り返さないようにとの思いを新たにしたところです。

 ※この大会に出場していた沢村投手以外の大選手たちのお話を来週も続けます。お楽しみに。

 ※今回取りあげた鳥取一と京都商の試合の経過記事を分かりやすく起こしました。興味のある方はこちらをご覧下さい。

【現代風の記事にすると…】

台北商と市岡 互角の勝負 今大会最初の延長大熱戦
京都商豪腕 熱投及ばず

 第1日から好試合が続き、待ち兼ねたファンの心を躍らせた第20回全国中等学校優勝野球大会は第2日も快晴。地元の代表市岡、京都商の登場で一段と盛り上がり、京阪神の熱心なファンは早朝から甲子園球場に詰めかけた。

 第1試合は5年ぶり出場の市岡が地元の熱い応援を受けて登場、台湾から出場した台北商と対戦した。幸先良いスタートを切ろうと攻守ともに油断のない市岡に、台北商は守勢にまわったが、随所で好プレーを披露し、試合は伯仲した。今大会初の延長となり、11回、市岡が1点を奪って接戦を制した。

 第2試合は初出場の京都商が、近畿・中国地方にその名をとどろかす剛球投手・沢村を擁して古豪・鳥取一と対戦。京都商の不安定な守備をついてコツコツ当てて走者を進める鳥取一の作戦が奏功。京都商も追撃を試みたが、鳥取一が伝統校の迫力と堅守で振り切り、1回戦を突破した。

(広瀬集)

2ページに鳥取一と京都商の試合の経過

当時の記事について

原文どおりに表記することを原則としますが、読みやすさの観点から

  • 漢字の旧字体は新字体に
  • 句点(。)を補った方がよいと思われる部分には1字分のスペース
  • 当時大文字の「ゃ」「ゅ」「っ」等の拗音(ようおん)、促音は小文字に

等の手を加えています。ご了承ください