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昔の新聞点検隊

【当時の記事】

拡大1927(昭和2)年4月12日付東京朝日朝刊2面。クリックすると大きくなります。画像には主な直しだけ朱を書き入れています。現在の朝日新聞の表記基準で認めていない漢字の音訓や、当時は入れていなかった句点を入れる等については、原則として記入を省いています

居すわるらしい口ぶりを漏らして 園公訪問の首相 大元気で帰京す

若槻首相は十一日午後二時半興津 漁荘に西園寺公を訪問 会談二時間にして四時半辞去 直に水口屋旅館に引あげ少憩の後同五時廿九分興津発列車で帰京したが当日首相は老公に対し第五十二議会の経過および支那動乱の現状、並に今後の政局の維持に対する所信等に関し詳細に報告して了解を求むるところあったが就中第五十二議会中における三党首会見の顛末並に政局安定策に対する所信および経済界の安定策等に関しては特にその意中を披れきして了解を求むる所あった 右に対し老公はある程度の了解を与へたものの如く首相は帰京の途次車中においてすこぶる元気で左の如く語る

老公は相変らず元気でした、十七日頃京都に行かれて梅雨頃には再び興津に帰られるさうです 老公と私との話は多くは雑談ですから堅苦しいことはない、然し話の内容は御想像に任せます 支那の問題ですがこれは

老公も非常に心配されてゐます アレは全く支那のために惜みます 彼等は革命によって支那を更生させるというて居るがあのやうな有様では更生どころか却ってますます支那自身を窮地に陥れることになると思ふ、この点は支那に対して切に注意を喚起したいと思ってゐる、元田君が水口屋に居られたが時間がないので逢はずに仕舞った、床次君や元田君はいろいろと政局の

前途についていはれてゐるやうだが自分とは何等の交渉はない、世間には自分で夢を作ってその夢を自分の有利なやうに解決しようと努むる人があるやうだが世の間違ひといふものは多くこんな所から起きて来ることがあるやうだ これは別に元田君等のことをいふのではないがマアネ……」

と非常な元気でこの模様では政府は支那問題財界問題軍縮問題等で居すわりを策したのではないかと思はれた

(1927〈昭和2〉年4月12日付 東京朝日 朝刊2面)

【解説】

拡大6月2日付東京本社版夕刊1面
 「震災対応に一定のめどがついた段階で、若い世代に責任を引き継ぎたい」

 6月2日の民主党代議士会での「辞意」表明から約3カ月。菅直人氏がようやく首相の座から降りました。8月29日に投開票された民主党代表選で新代表に選出された野田佳彦氏が、第95代首相に就任。新たなリーダーの下、東日本大震災からの復興に向けて待ったなしの中、政治もようやく前進するのでしょうか。

 

 さて、今回のテーマは「辞めない首相」。辞意を口にしながら、なかなか退かなかった菅氏に対して、野党はもちろん、身内の与党内からも「居座りだ」と批判が上がりました。「一定のめど」を巡って菅氏の発言は二転三転。鳩山由紀夫元首相に至っては、「ペテン師」とまで言って非難しました。

 そんな菅氏と同じように「居座り」と批判された人物が、第25代首相・若槻礼次郎氏です。内閣弾劾の上奏案を野党に提出され、行き詰まった若槻首相。身動きの取れない中、予算案だけは何とか通したかった首相は、野党側にこう持ちかけたのです。予算成立後に退陣するから、弾劾案を撤回してもらえないか。野党側はこの条件をのみ、若槻内閣は議会を乗り切ったのです。

 しかし、やはり若槻首相もすぐには辞めようとしませんでした。もちろん、野党は黙っていません。「ウソツキ礼次郎」とこき下ろし、猛反発しました。

 窮地に陥った若槻首相。そこで頼ったのが、今回の記事に登場する元老・西園寺公望(さいおんじ・きんもち)公でした。文部相、外相、首相などを歴任した西園寺公は最後の元老として、天皇に、次期首相にふさわしい人物を推薦する権限を持っていました。首相は、強い影響力を持つ元老の了承により、何よりも心強い後ろ盾を得ようと考えたようです。

 

 2人が会談を持ったのは、静岡・興津(現在の静岡市清水区)にあった西園寺公の別邸「坐漁荘(ざぎょそう)」。「座りながら釣りでもして、ゆっくりと過ごしたい」という思いを込めて名付けられたそうです。しかし皮肉にも、権力者の下へと集う政治家らは後を絶ちませんでした。

 さて、記事の1行目を見ると「 漁荘」となっており、「坐」が入るべき部分が空白になっています。新聞印刷の基になる活版を作る際に、1文字ずつ活字を拾っていく段階で「坐」だけ抜け落ちてしまったのでしょうか。もしくは、活版を作った後に誤字に気付き、文字を削り取ってしまったのかもしれません。

 朝日新聞では5~6年前まで、いったん紙面をつくった後に間違いに気づいたときに間違いの部分の字を削除する「削り」をすることがありました。削った部分はこの「坐」の部分のように空白になります。「削り」は空白の部分を飛ばしても文章として読めるようにするのが原則でしたが、当時は間違ったまま世に出るぐらいなら空白の方がまだいいという判断がなされていたのかもしれません。

 活字が抜け落ちるような事故はコンピューターで紙面編集をしている現在では起こりません。しかし、別の落とし穴が存在します。大量の記事が出稿された場合、紙面スペースは限られているので、すべての記事は入りません。その場合、編集者が記事の一部を削除して分量調整をするのですが、勢い余って削りすぎてしまい、必要な文字まで削除してしまうことがあるのです。また逆に、削り損なって余計な文字が残ってしまうことも。これらをチェックするのも校閲の重要な仕事の一つです。

 

 1段落目には「披れき」と、漢語の熟語を漢字と平仮名で書く「交ぜ書き」が出てきます。現在、朝日新聞では「改ざん」「急きょ」など一般に認知されているものを除き、交ぜ書きは極力使わないようにしています。熟語の一部を平仮名で表記すると文脈によっては読み取りにくくなったり、意味が把握しづらくなったりするためです。今回の場合は、ルビ付きで「披瀝(ひれき)」とする方法もありますが、引用やコメント部分でもありませんし今ではやや堅苦しく聞こえる言葉なので「報告」など別の言葉にした方が分かりやすそうです。

 

 これ以外の直しでは毎回定番ですが、記事に登場する4人の人物名はフルネームにしてもらいましょう。つい最近まで、首相や閣僚、党首など頻繁に登場する政治家名は特例で、初出でも名字と肩書だけで表記してもよいとされていました。一般的に著名な議員が就任するので、名字だけで名前がなくても問題ないと考えられていたからです。しかし、2009年の政権交代で読者になじみの薄い人物も閣僚に起用されることが予想されたため、フルネームに変更しました。

 また、以前このコーナーでも触れたことがありますが、「支那」は現在使いません。日本が中国を植民地にしようとした時代に日常的に使われていた言葉のため、いいイメージを持たない人が多くいるからです。また、今では「中国」と呼ぶのが一般的ですので、ここも「中国」としてもらいます。

 最後に、2段落目から若槻首相のコメント部分が始まりますが、カッコ開きが抜けているので、補ってもらいましょう。

 これで一通り校閲は終了です。

 山積する問題を理由に延命を試みたかに見えた若槻首相ですが、結局はこの記事から8日後の4月20日に内閣総辞職し、首相から退きました。批判の嵐の中で居座り続けるのも、楽ではないようです。

拡大1927年4月17日付東京朝日号外

 一方、孤立無援の状態で3カ月間、首相の地位にとどまり続けた菅氏。震災被害に苦しむ日本のため、あえていばらの道を選んだのか、それとも単に権力の座に恋々としていただけなのか。いずれにしても、政権運営に行き詰まり短期間で退けば「放り投げだ」と批判され、辞めずに粘れば「居座りだ」と批判される。そんな見苦しい政局劇は今回で最後に、と切に願うばかりです。

【現代風の記事にすると…】

若槻首相、居座り画策? 西園寺公と会談

 若槻礼次郎首相は11日午後2時半、静岡県興津町の坐漁荘を訪れ、元老の西園寺公望氏と2時間会談した。元老に第52回帝国議会の経過や中国動乱の現状、今後の政局に関して報告。特に、第52議会での3党首会見の経緯、不安定になっている政局や経済情勢の打開策などを重点的に報告し、了解を求めたとみられる。

 会談後、首相は坐漁荘近くの水口屋旅館に立ち寄り、国鉄興津駅を午後5時29分発の列車に乗り帰京。車内で記者の取材に応じた。

 「老公は相変わらず元気だった。17日ごろ京都に行って、梅雨時には興津に戻るそうだ。話の多くは雑談で、堅苦しいことは話していない。内容は想像に任せます」

 中国動乱に関しては、「老公も非常に心配している。中国にとって実に残念な出来事だ。彼らは『革命によって中国を更生させる』と言っているが、あのような有様ではますます中国自体を窮地に陥れることになると思う。この点は特に注意を喚起したい」と述べた。

 また首相は、「元田肇議員が水口屋旅館にいたのだが、時間がなくて会えなかった。床次竹二郎議員や元田議員はいろいろと政局の前途について言われているようだが、私とは何の関係もない。世間には自分で夢をつくって、その夢を自分の有利なように解決しようとする人がいるようだが、そのせいで多くの間違いが起きる。いや、これは別に元田議員らのことを言っているのではないのだが……」とも話し、終始上機嫌だった。

 首相の報告に元老から一定の了解を得られた模様。中国動乱や経済情勢、軍縮など山積する問題を理由に首相は居座りを図っているのではないかとみられる。

(永川佳幸)

当時の記事について

原文どおりに表記することを原則としますが、読みやすさの観点から

  • 漢字の旧字体は新字体に
  • 句点(。)を補った方がよいと思われる部分には1字分のスペース
  • 当時大文字の「ゃ」「ゅ」「っ」等の拗音(ようおん)、促音は小文字に

等の手を加えています。ご了承ください