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昔の新聞点検隊

【当時の記事】

拡大1941(昭和16)年2月7日付東京本社版朝刊7面。クリックすると大きくなります。画像には主な直しだけ朱を書き入れています。現在の朝日新聞の表記基準で認めていない漢字の音訓や、当時は入れていなかった句点を入れる等については、原則として記入を省いています

退散せよ、乞食と野犬
お米通帳制は余地を与えず

 

近く始まるお米の新体制「通帳制度」が思ひがけぬところで微苦笑の波紋を投げた――米一粒も配給となった暁はお貰ひのルートを断たれて相当数の乞食、ルンペンはあがったり ここにも転失業? の問題だが一方畜犬にも配給がなくて廃犬が続出する……通牒ならぬ通帳をめぐってワン公にも「緊迫せる時局」の到来

 

その一

一定のすみ家を持たぬルンペンや乞食階級は各家庭の節米の強化から残飯の貰ひ喰ひは今や昔の夢、わづかに一合二合と買ひ溜めた米を公園の隅などで怪し気に炊いていた有様だが、調査票の申告も終り、通帳制度ともなれば彼等は一粒の米も買へぬこととなる

警視庁の調査によれば現在市内にゐる彼等の数は約三百人(内女約五十人) 畜犬のためにさへ何とか代用食を考へてやらねばならぬのに彼等をそのままにして置くわけにも行かず、経済保安課でも頭を絞った挙句、この際市や防犯課と協力出来るだけ早急に彼等を狩り集め市の訓練所や養育院へ送りこむことになった

米の新制度が彼等を正業に返へらせ、都市美の一助にもなればと当局もこの意外な効果を狙って意気ごんでゐる

 

その二

節米強化によって最近各家庭で廃犬するものが多く帝都の野犬も年々殖えて警視庁管下の昨年一ケ年の野犬捕獲数は二万八千五百頭に上り、一昨年より三千頭増加したが

お台所から出る残飯もグッと減った上に、厨芥の処理も次第に励行されて、特に郊外方面では御馳走にありつけない飢ゑた野犬群が横行、性質も兇暴になって通行人に咬傷を負はせたりする例も少くなく、都市美の上からも捨て置けずと、警視庁獣医課では近く管下各署に通牒、野犬捕獲の成績昂揚に努めることになった

 

米の通帳制では、軍用犬を除く一般畜犬への米の配給は認められないから、当局では廃犬数は更に増加するものと見て、愛犬家に次のやうな注意を喚起してゐる

一、 畜犬の飼養にはできるだけ米の代用食を研究すること

一、 やむを得ず廃犬する者は必ずその犬を連れて、所轄署へ届出ること、絶対に捨て犬せぬこと

          (1941〈昭和16〉年2月7日付東京本社版 朝刊7面)

拡大4月からのお米通帳制度の実施を伝える1941年3月21日付東京本社版夕刊2面の記事
【解説】

 お米の通帳ってご存知ですか? 若い方にはなじみがないかもしれません。第2次世界大戦中の食糧不足から日本では米の生産・流通を政府が管理することになりました。そこで、交付されたのが「米穀通帳」。通帳で年齢や職業に応じた各人の割当量を管理するというもので、家庭用、旅行者用、業務用などの種類がありました。1941年4月にまず6都市で「米穀通帳制」がスタート。今回紹介するのは、当時の混乱ぶりを伝える記事です。

 通帳発行のために調査票が各家庭に配られ、世帯主・住所などを記入しました。住居がないホームレスの人々には通帳が発行されず、米の配給を受けられません。また、「節米」が叫ばれた時代で、人でさえ食べる米に困っているのだから、犬にまで手が回りません。さてどうしたものか、となったわけです。

 

 記事を点検していきましょう。

 まず驚くのが乱暴な見出し。「退散せよ」と命令形。威圧的で、なにごとが起きたのかと思います。今の新聞では、取材した記者が記事を書き、編集者が内容を表す見出しをつける、という流れで紙面を作っています。もう少し穏便な言い方はないものか、編集者に相談しようと思います。

 前文にある「通牒」。いまなら「通達」とか「通知」にしたいところです。ここでは「通牒」と「通帳」のダジャレで、使っているので、現代文もそのままにしておきましょう。

 本文を見ると、話題ごとに「その一」「その二」と示しています。いまの新聞なら、それぞれに小さな見出しを入れて、さらに読みやすくします。

 

 「その一」では、通帳が発行されない人々について書いています。決まった住み家を持たない人をさして「乞食」「ルンペン」とあります。今ではこの呼び方を避け「ホームレス」「路上生活者」などとすることが多いです。「乞食」は金銭や食べ物を他人にもらって生活すること、その生活をしている人。今では生活困窮者を侮蔑的に呼ぶときに使われることが多い言葉です。「ルンペン」はドイツ語のLumpen(ぼろ・古着)からきており、ぼろをまとった人という意味があります。「浮浪者」などもさげすむニュアンスが強く感じられる表現です。また、「乞食階級」とあるのも気になります。江戸時代の身分制度のように、苦しい生活からなかなか抜け出せないでいる人たちが貧しいまま固定化されるのを当然と見ているように感じます。

 

 現代では、住まいを持たない人がすべて路上で暮らしているというわけではありません。2008年のリーマン・ショック以降の世界的な不況では失業者が増え、貧困問題に注目が集まりました。住居がなくネットカフェや24時間営業のファストフード店で寝泊まりする「ネットカフェ難民」などの呼び名が登場したのは記憶に新しいところです。

 記事では、市内の「彼ら」の人数は約300人、とありますが、「彼ら」がどんな人々なのか、定義があいまいだと思いませんか。統計調査などのデータでは、調査対象の情報は不可欠な要素。もっと詳しい説明がほしいところです。住み家を持たず路上にいる人なのか、一時的な寝場所を転々としている人なのか、もしくは定住場所を持たない人すべてなのか……。もっとも、当時は「ネットカフェ」「漫画喫茶」などはなかったでしょうから、一定の住み家を持たない人=路上で暮らしている人、と思って読めばいいのかもしれません。

 また、「市」の名前が記事のどこにも書いてありませんので、明記してもらいます。「警視庁」「帝都」とあるところから、「東京市」(当時)と考えられます。

 

 この記事では呼称の問題のほかに、これらの人たちを見下した書き方をしているのが気になります。「お貰ひのルート」「貰ひ喰ひ」は「米を手に入れる手段」などに直してもらいましょう。「怪し気に炊いて」は公園の隅でひっそりと炊いている様子を表しているのかもしれませんが、路上にいる人たちは怪しいというマイナスのイメージを助長する表現です。「ひっそりと炊いて」、単に「炊いて」など別の書き方にしてもらいます。

 さらに違和感があるのは、動物を捕獲するかのように、「狩り集め」「送りこむ」と書いているところ。「職業訓練の施設に入ってもらうことにした」などとするべきでしょう。

 最後の段落にある「正業」は、社会で容認されているまともな職業、堅気の商売を指します。なにをもってまとも、とするのか疑問ですし、職業に上下があると決めつけることはできません。「正業に返へらせ」では路上で生活している人たちは「まともでない」といっているようにも読めます。ここも「就職できるように」など他意を感じさせない表現にするよう提案します。

 さらに「都市美の一助にもなれば」。現在も、行政がホームレスを一掃しようとすることがあります。それは、住民の苦情を受けたり、治安をよくするためです。「都市美」と書くと、それこそ「ホームレス」をごみのように扱っていると思われます。表現を工夫するようにアピールします。   

 当局は「意外な効果を狙って意気込んで」いるようですが、米の通帳制度の話が出てくる前から、もっと本腰を入れて取り組むべき問題なのでは……。行政の対応が後手に回るのはいつの時代も同じようです。

 

 「その二」は、犬の米問題について。米の管理制度の下では、軍用犬を除き、犬には米の割り当てがありませんでした。「畜犬」は今ではあまり使わない言葉ですが、飼い犬のこと。「家畜」の使い方と似ていますね。現代なら「ペット」でしょうか。

 

拡大1941年2月19日付東京本社版朝刊7面
 当時の愛犬家たちが「犬のために何とか配給」を、と陳情したという記事がありました=左の画像。飼い主たちの必死の願いにも、東京府の経済部長は「何とかして他の方法を考えて、犬用の米の配給がなくても飼えるようなことにしてもらいたいと思っており、現段階では全然犬に米の配給をしようなど考えていません」とすげない返事です。

 飼い主たちの行動を考えると、記事の最初の前文に出てくる「ワン公」はちょっと嫌な感じがしませんか? 犬を擬人化した表現ですが、「ポリ公」「先公」と同様に相手をあざける意味もあります。同じ「公」でも親愛の情を込めて「ハチ公」などと呼ぶ用法もありますが、文脈からここでは違うように思えます。陳情した飼い主たちは自分の愛犬を「ワン公」とは呼ばれたくないかもしれない……? 飼い犬や愛犬、もしくは、親しみをこめて呼びたいというのなら「ワンちゃん」などとしてはどうか提案してみます。

 

 表記が紙面のルールにのっとっているかも確認しましょう。朝日新聞では、動物は「匹」で数えるのを原則にしているので、野犬捕獲数の助数詞を「頭」ではなく「匹」にしてもらいます。牛などの大型の獣類は「頭」で数えることもあります。

 

 米の通帳は、戦後米穀事情が好転するにつれて、その存在意義も薄れますが、しばらくは身分証明書として使われていたそうです。今の運転免許証や健康保険証のような役割を担っていたのですね。1960年代にはすでに、通帳をつくる費用や事務作業の手間をかけてまで、配給に使わない通帳を発行する意味はあるのかという声が世間から上がっていましたが、食糧管理法に規定があるという理由で発行が続けられます。やっと廃止されたのは81年の食糧管理法の改正によってでした。「仕分け」ブームの昨今でもなかなか減らないお役所仕事のムダ。お米通帳の最後にも「仕分け」が必要だったようです。

【現代風の記事にすると…】

ホームレスと野犬を減らそう
通帳制で「米入手の余地なし」

 近く始まる米の新体制「通帳制度」が思いがけないところに波紋を広げている――。米一粒まで配給となったら、定住場所や米を入手する手段がない相当数の人々は、それこそ路頭に迷うことになる。一方、飼い犬のための米の配給がなく犬を手放す家庭が続出する……。「通牒」ならぬ「通帳」をめぐって、かわいいペットたちにも緊迫した事態がやってくる。

 

ホームレスは通帳持てず

 一定の住居がないホームレスの人々は、各家庭が以前より一層米の節約に励んでいるため今は残飯を食べる機会もほとんどない。わずかに1合、2合と買いためた米を公園の隅などでひっそりと炊いていたが、調査票の申告も終わり、通帳制度ともなれば彼らは一粒の米も買えなくなる。

 警視庁の調査によれば、現在、東京市内で路上生活をしている人は約300人(うち女性約50人)。飼い犬のために何とか代用食を考えなければならないし、彼らをそのままにしておくわけにはいかない。経済保安課で検討した結果、この機会に市や防犯課と協力し、出来るだけ早急に彼らに市の職業訓練の施設や養育院に入ってもらうことになった。

 米の新制度開始をきっかけに路上生活者の就職を助け、その人数を減らし、安心できるまちにしようと当局も意気込んでいる。

 

捨て犬が野生化

 米の節約が強化されるにつれ、最近、飼っていた犬を放り出す家庭が増え、東京の野犬も年々増えている。警視庁管下の昨年1年間の野犬捕獲数は2万8500頭になり、2年前に比べて3千頭増加した。

 台所から出る残飯もグッと減った上、残飯処理の徹底も励行されて、とくに郊外では餌にありつけず、飢えた野犬群が横行している。性質も凶暴になり、通行人にかみついて傷を負わせる事件も少なくない。都市の衛生上の観点からもこのままにはしておけないと、警視庁獣医課では近く管下各署に通達し、野犬捕獲に一層努めることになった。

 米の通帳制では、軍用犬を除く一般家庭犬への米の配給は認められないから、当局では廃犬数は更に増加するとみて、愛犬家に次のように注意を喚起している。

 一、犬の飼養にはできるだけ米の代わりとなる餌を研究する

 一、やむを得ず犬を手放す者は、所轄署へ必ず犬を連れて行き、届け出ること。絶対に捨て犬にしない

(松本理恵子)

当時の記事について

原文どおりに表記することを原則としますが、読みやすさの観点から

  • 漢字の旧字体は新字体に
  • 句点(。)を補った方がよいと思われる部分には1字分のスペース
  • 当時大文字の「ゃ」「ゅ」「っ」等の拗音(ようおん)、促音は小文字に

等の手を加えています。ご了承ください