メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

昔の新聞点検隊

職業婦人のさきがけとは?

拡大1931(昭和6)年6月13日付東京朝日朝刊10面。クリックすると大きくなります。画像には主な直しだけ朱を書き入れています。現在の朝日新聞の表記基準で認めていない漢字の音訓や、当時は入れていなかった句点を入れる等については、原則として記入を省いています。また、【当時の記事】で省略した部分には灰色の網掛けをつけています

【当時の記事】

働く女は 一九三一年の女性のほこり タイピスト学校御紹介

 イギリスのやうに女大臣や女巡査が出るまでにはまだ相当の年月がかかりさうですが女性の職業は日を追うて開拓され、一九三一年の女性のほこりは、「働く女」であるとさへいはれてをります。

 現在女性に拓かれた職業は数にして百を越えるが、田舎から出て来たり女学校を出ただけの資格で働く愉快さのある職業といへば、さう沢山あるわけではありません。専門的な技術を修得するか、心にもない愛敬をふりまかなければ、少くとも女一人が自活したり、嫁入支度に十分の満足が得難いやうです。比較的修業期間が短く、学費も低廉で、就職の暁には働きに嫌味がなく収入も比較的多い商売の一つに、タイピストが挙げられませう。

 今から三、四年前、大阪のある女学校が希望者にタイプライテングを課外に教へたのがはじまりで現在女学校でタイプライターを正科にしてゐるところが随分あるのも道理でせう。

(中略)

 (タイピスト女学校への)入学の資格は制限がありません。邦文なら小学校卒業程度の漢字、英文なら女学校程度の英語を知ってゐればそれでいいので、生徒さんも十四五歳のお下髪の人から二十二三の娘さんが大部分といった有様です。(以下略)

(1931〈昭和6〉年6月13日付 東京朝日朝刊10面)

 

【解説】

 昔の新聞を見ていると、記事内容はもちろん、新聞広告も当時の社会風俗を表していて面白いんですよね。私が気になったのは、大正期末~昭和初期に「タイピスト募集」の広告が多いこと。タイピストとは、パソコンやワープロが普及するずっと以前に、印刷機のタイプライターでデータを打ち込むのを職業としていた人のこと。1931(昭和6)年の記事を見てみると、タイピストが女性にとって人気の職業だったことがよくわかります。なんといっても「女性のほこり」ですから!

 

 ではさっそく校閲していきましょう。

 まず「女大臣」や「女巡査」という言葉。現在の新聞では、特に必要のある場合を除いて職業に性別を付けません。この記事は「働く女性が増えた」という趣旨なので性別を付けるのはよいとしても、「女」のみだと乱暴に聞こえるので「女性の閣僚」「女性の警官」としたいところです。

 

 次の段落は行頭がなぜか2字下がっていますね。でももっと気になるのが「田舎から出て来たり女学校を出ただけの資格」という箇所。大都市の方が求人が多くて、特殊技能を持っている人が就職に有利というのは今も80年前も変わらないと思わず感じ入ってしまいます。ですが、「出ただけ」とすると女学校出身者を低く見ているような感じがしますし、「田舎から出て」も就職するのに地方出身者は不利なの?と受け取ってしまいます。ここは「『特別な資格を持っていなくても』などの表現で十分意味は伝わるのでは?」と筆者に提案してみることにします。

 

 また「愉快さのある」という小さな見出しが目立ちますが、これは見出しではなく記事の一部を一回り大きくしているんですね。当時の紙面作りの特徴なのでしょうか。長行の記事を読みやすくするため、小さな見出しを途中に付けることは現代もありますが、これも記事の内容を生かした見出しでないといけません。筆者ではなく記事をレイアウトする編集者に、「見出しを付けてはどうでしょう」と提案するとともに、ついでに2字下げも直してもらいます。

 

 次は「心にもない愛敬をふりまかなければ」という表現。今この記事を読むと「仕事の能力ではなく、愛敬を振りまくのが働く女性の存在意義」と言っているように受け取れます。女性をおとしめる表現といえるでしょう。ここはまるごと削ってもらいます。「働きに嫌味がなく」には筆者の主観が入っているのでしょうか。おそらく「働きやすい」といった趣旨だと思うのですが、意味が分かりにくいですね。「もっとわかりやすい表現に変えては?」と聞いてみましょう。

 

拡大杉本氏が実用的な邦文タイプライターを発明したことを報じる記事=1915年10月3日付東京朝日朝刊4面
 「大阪のある女学校が課外に教へたのがはじまり」ならば、画期的なこの学校の名前はぜひ知りたいところ。「読者にも興味のある事柄と思うので、わかっているならば具体的な校名を入れてはどうでしょう」と提案することにします。

 さて、タイプライターの実用化は19世紀末に米国で始まりました。日本でも1915(大正4)年、杉本京太氏が実用的な邦文タイプライターの発明に成功。そこからタイピストが職業として広がり、ほとんどが女性だったそうです。この時代に、女性が生計のために家業以外の仕事を持ち始め「職業婦人」などと呼ばれました。企業によって差はあったようですが大正末期のタイピストの平均月給は約40円。コーヒー1杯が10銭だった時代です。事務員や店員の32~33円と比べても高く「花形」職業だったのでしょう。電話交換手などとともに女性の知的職業として人気がありました。

 作家・林芙美子の小説「浮雲」は戦中・戦後にかけて激しく揺れ動く恋愛模様を描いた彼女の代表作。主人公・ゆき子はタイピスト学校で学んだ後、1943(昭和18)年にベトナムにタイピストとして派遣されています。

拡大タイピストは「前途洋々」と書いた記事=1932年12月21日付東京朝日朝刊7面
 「大正期の職業婦人」(村上信彦著)によると、初期のタイピスト養成所の主な仕事はタイピストよりもタイプライターを企業に売り込むことにあったようで、1台売るごとにセットで1人のタイピストを推薦する形だったそうです。タイプライターの普及に伴い、養成所への入学希望者も増え、タイピストという職業にも光が当たりました。

 1932(昭和7)年の記事では、タイピストについて「前途洋々たる新女性の職業」と題し、「数万の女性がこれに携はってゐる事は誠に偉大なるかな」としています。女性の社会進出のさきがけといえるのでしょう。

【現代風の記事にすると…】

働く女性は世の誇り お勧めの職業「タイピスト」

 英国のように女性の閣僚や警察官が生まれるまでにはまだ相当の年月がかかりそうですが、女性が就く職業のジャンルは日々増えていて、1931年の女性の誇りは「働く女性」であるとさえ言われています。

 現在、女性が就くことのできる職業は100を超えますが、特別な資格を持っていなくても働ける職業となると、そうたくさんはありません。専門的な技術を習得しなければ、一人暮らしができるまでの収入は期待できないようです。

 比較的修業期間が短くて学費も安く、収入も安定している職業の一つに、タイピストが挙げられるでしょう。

 3~4年前、大阪の●●女学校が希望者にタイプライターでの入力を課外授業として教えたのが始まり。今ではタイプライターを正科にしている学校がたくさんあります。

 (中略)

 入学に資格はいりません。日本語なら小学校で習った程度の漢字、英文なら中学卒業程度の英語を知っていればいいので、学生も十四、五歳の三つ編み姿の女性もいれば、二十二、三歳の女性もいる様子です。

(梶田育代)

当時の記事について

原文どおりに表記することを原則としますが、読みやすさの観点から

  • 漢字の旧字体は新字体に
  • 句点(。)を補った方がよいと思われる部分には1字分のスペース
  • 当時大文字の「ゃ」「ゅ」「っ」等の拗音(ようおん)、促音は小文字に

等の手を加えています。ご了承ください