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昔の新聞点検隊

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【当時の記事】

関西弁丸出し 駄々ッ子のA氏
渡辺倉庫事件公判

八日東京地方裁判所に開廷されたA、B両氏の渡辺倉庫乗っ取り事件公判は午後二時半再開、なほB氏に二三訊問ありA氏の調べに移る、最初に家族、財産等の訊問あったがA氏息子の名前を間違へたり盛んにとんちんかんな答弁をするので法廷内にしきりに笑声が起る

財産については「二、三千万円かな」とあっさり答へ裁判長から「予審では五千万円といってゐるが」と問はれ「あれから大部暴落しとりますので」

と関西弁丸だしで不得要領の答弁をして本筋にいる

渡辺銀行には百五十万円の手形債権の外なほ三百万円程の貸しがあり同行破産のうはさを耳にしC氏等に矢の催促をした模様を述べるが肝腎の質問には明答を避けつづけるうち

「一寸失礼さしてもらひます」とさっさと便所に立上るので裁判長も苦笑して三時四十五分休憩、五分間休憩後A氏は渡辺銀行破産後いよいよ猛烈に催促を始め昭和三年十一月廿三日付で最後の通牒をだした事を弁明する

この時弁護士側から「この程度で閉廷願ひたい」と希望が出たがA氏「私はかまやしまへん」と頑張るので弁護人も困って「被告は元気だが一年前の事をいったりとんちんかんな事ばかりいって居りますから」と、とりなせばA氏くるりと後を振向き「そんな事はありまへんが私に不利ならこの次にしてもらひまひょう」

とぺこり頭をさげそのまま四時十五分閉廷となる

(1931〈昭和6〉年12月9日付 東京朝日 朝刊11面)

 

【解説】

 今から80年前、被告人として法廷に立ったのは、関西金融界の大物実業家。親族が経営する会社を利用し、金銭を不当にだまし取ったとして罪に問われました。

拡大二審では証拠不十分で無罪判決が出た=1933年3月31日付東京朝日夕刊2面
 金融業を営んでいた被告人は、銀行を通じて巨額の債権を所有していました。ところが、1923(大正12)年の関東大震災後に銀行の経営は悪化、被告人は危機に直面します。もし破綻(はたん)でもして債権を回収できなくなれば、大損失となるからです。

 そんな事態を避けるために、被告人は弟が社長を務める会社(渡辺倉庫)を利用したと、検察はにらんだのです。弟を通して会社の経営権を掌握し、他の経営陣の承認を得ないまま偽の保証書を作成。150万円を被告人に支払うと保証する内容で、被告人は保証書の内容に沿って譲り受けた会社の土地や建物などを売却、損失の穴埋めに使った――これが検察の描いた事件の構図です。

 一審・東京地裁では検察の主張が認められ、被告人は懲役1年の実刑判決を受けました。しかし、被告人はこれを不服として控訴。二審・東京控訴院(現在の高裁)では証拠が不十分だとして、逆転無罪判決を勝ち取っています。

 

 今回取り上げた記事は、一審での被告人の様子を伝える法廷雑観。渦中の人物となった大物実業家に世間の注目は集まり、会社乗っ取り事件は連日紙面をにぎわせました。

 では、まずは裁判記事における基本的な箇所から押さえていきましょう。

 今回の記事には裁判記事なら盛りこんでおきたいデータが欠けています。被告人の罪名と裁判長の名前です。過去の記事を調べると、被告人は弟をそそのかし偽の保証書を作らせたとして「背任」の罪に問われています。裁判長名も「小泉」であることが分かりました。書き加えてもらうように記者に指摘しましょう。裁判長名についてはフルネームにしてもらうことも併せて伝えます。

拡大陸山会事件の初公判の紙面では、被告の呼称は最初が「被告」、ほかは「氏」=2011年10月6日付東京本社版夕刊1面
 また現在の裁判記事では、被告人の呼称は「被告」とするのが原則です。政治家や会社経営者など公人・公的人物が被告人となった裁判では、「議員」「社長」といった呼称を用いることもあります。最近の事例では、小沢一郎・元民主党代表の初公判の記事でも、初出箇所で「被告」とした以外は「氏」となっていました。今回の被告人も著名な実業家であるため、最初に「被告」として、その後「社長」などの肩書呼称や「氏」にするか、全て「被告」とするよう出稿部に伝える必要があります。

 

 次に、事件の引き金となった「渡辺銀行」。1927(昭和2)年に休業を余儀なくされ、昭和の金融恐慌を引き起こした銀行として知られています。正しくは「東京渡辺銀行」という名前です。初出から縮めた書き方をしているのであれば、好ましくありません。「東京」と入れるように促しましょう。

 この記事は「法廷雑観」と呼ばれるもので、裁判の様子を伝えています。そのため、被告人の行動を「とんちんかん」と表現したり、傍聴人から「しきりに笑声が起る」などの言い回しが使われています。記者は、厳粛な雰囲気で進むふだんの裁判とは違い、予定が変更されたり、笑い声が出たりすることにびっくりしたのでしょうか。「被告人の行動を皮肉った」記事と受け止められそうです。裁判記事ですから、見出しも含めて、より中立的な記事にする必要がありそうです。

 まず見出しにもある「駄々ッ子」という表現。恐らく、トイレに中座したり、弁護人からの閉廷の申し出を断って裁判を続けてもらおうとしたりしたことから見出しに取ったのでしょう。しかし、経験を積んだ大人を「駄々ッ子」と呼ぶのはいかかでしょうか。

 それから「関西弁丸出し」。被告人は神戸市の出身で、関西弁を話すのは当たり前です。法廷では標準語を使わなくてはならない、なんてことはないでしょう。「関西弁丸出し」という指摘は的外れのように感じます。

 

 1930年代といえば、まだテレビもない時代。東京に住む人にとって関西弁は聞きなれないものだったのかもしれません。もの珍しく感じるのも無理はないかとも思います。

 私も大阪出身の人間。上京して間もなく、つい癖で「なんでやねん!」とツッコミを入れてしまった時、相手から向けられたあの視線、今でも忘れることができません。恐らく彼にとって初の生「なんでやねん」だったのでしょう。「本当に『なんでやねん』って言うんだ」という心の声が聞こえてくるようでした。「大阪の人って朝ごはんに何食べるの?」という質問を受け、返答に窮したこともあります。

 80年前ならいざ知らず、現代でも奇異の目で見られる私って一体……。

(画像には主な直しだけ朱を書き入れています。現在の朝日新聞の表記基準で認めていない漢字の音訓や、当時は入れていなかった句点を入れる等については、原則として記入を省いています。また、人権上の配慮から一部名前を伏せたり画像を修整したりしています)

 

【現代風の記事にすると…】

財産「二、三千万円」と訂正 A被告
渡辺倉庫事件公判

 渡辺倉庫乗っ取り事件で、背任の罪に問われたA、B両被告の公判が8日、東京地裁であった。午後2時半から再開された公判は、前回に引き続きB被告への質問が二、三あった。その後、A被告への質問になった。家族関係、財産などが調べられたが、A被告が息子の名前を間違えるなど、質問と回答がかみ合わず、法廷に失笑がもれる場面もあった。

 A被告は現在所有する財産について、予審で明らかにした5千万円とは違い、「二、三千万円かな」と訂正した。金額が違う点を小泉○○裁判長に問われると、「あれからかなり暴落していますので」と答えた。

 またA被告は、東京渡辺銀行に対して150万円の手形債権のほか約300万円の債権を所有しており、同行破綻(はたん)のうわさを耳にしてC氏らに立て続けに返済を迫った様子については述べたが、質問に対しては明確な返答は避けた。その後「ちょっと失礼させてもらいます」といってトイレに行ったため、小泉裁判長も苦笑いして、3時45分から5分間の休憩を入れた。

 再開後、A被告は同行が破綻した後は猛烈に催促をするようになり、1928年11月23日付で最後の通達を出したと話した。このとき、弁護人が閉廷を申し出たが、「続けてもらって構わない」と閉廷を拒んだ。弁護人が「被告は元気だが、1年前のことをいったりして、答えが一貫していませんから」とたしなめると、A被告はくるりと振り返り「そんなことはありませんが、私が不利になるなら次回にしましょう」と頭を下げた。この日の公判はそのまま午後4時15分に閉廷した。

(永川佳幸)

当時の記事について

原文どおりに表記することを原則としますが、読みやすさの観点から

  • 漢字の旧字体は新字体に
  • 句点(。)を補った方がよいと思われる部分には1字分のスペース
  • 当時大文字の「ゃ」「ゅ」「っ」等の拗音(ようおん)、促音は小文字に

等の手を加えています。ご了承ください