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昔の新聞点検隊

生きていたタロとジロ/南極観測と朝日新聞

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【当時の記事】

一年ぶり昭和基地に灯 隊員にじゃれる犬 電池時計もコチコチと

【昭和基地で山本隊員(朝日新聞東京本社社会部員)十五日発】 昭和基地は健在だった。空から見下す永田隊長やわたしたちの目に、あざやかなオレンジイエローの建物がぱっととび込んで来た。そして去年基地に残した犬たちのうち「タロー」「ジロー」の兄弟がよく命を守りぬいて、降り立ったわたくしたちにかけ寄って来た。食堂には電池時計が六時間ちがいの一時を指してコチコチと動いていた。

(1959〈昭和34〉年1月16日付 東京本社版朝刊1面)

【解説】

 木村拓哉さん主演のTBSドラマ「南極大陸」が放送されました。1950年代、日本の科学者たちが様々な困難を乗り越え、南極を目指した史実がベースです。

 科学者たちと一緒に、南極に足を踏み入れる新聞記者が登場します。緒形直人さんが演じていますが、朝日新聞の記者がモデルとみられます。「朝日新聞社史」などをもとに、歴史を振り返ってみます。

 

●全機能をあげて後援

拡大1955年9月27日付東京本社版朝刊1面

 終戦から約10年たった55年、春のころです。朝日新聞東京本社の社会部記者が取材で、世界各国が協力して南極探査計画を進めていることをキャッチします。

 朝日新聞は明治末期、白瀬矗(のぶ)陸軍中尉の南極探検を支援したことがありました。「明治の時の縁もあるし、社の企画として参加できないか」。日本学術会議や文部省で検討され、「朝日新聞が支援する国家事業」という方向で進むことになりました。

 55年9月、朝日新聞は朝刊1面に、「本社、南極観測の壮挙に参加 全機能をあげて後援」とする社告を載せます=画像。読者へ寄付を呼びかけ、全国から4千万円が寄せられたほか、社として1億円を拠出。国家予算が1兆円程度の当時、国は9億円の予算を組みます。観測船は、海上保安庁の灯台補給船「宗谷」を大改造して使うことになりました。

●昭和基地建設 そして越冬

 56年11月、宗谷を見送るために8千人が、東京・晴海の桟橋に集まりました。第1次観測隊53人の出発です。朝日新聞からは記者や通信・航空担当者ら6人が乗り込みました。

 翌57年1月、南極大陸を4キロ先に望む東オングル島に上陸。一帯は「昭和基地」と命名されます。

 昭和基地で1年間「越冬」できるかどうかは、無線通信が可能かどうかにかかっていました。朝日新聞から通信担当として参加した作間敏夫氏は、何度も失敗します。「このままでは日本に帰れない。もう1回だけ」。そう思って千葉の銚子無線局に打電すると、モールス信号が返ってきました。「感度良好! 聞こえます」

 宗谷が離岸する前日、越冬が決定。作間氏ら朝日社員2人を含め、11人が「越冬隊」に選ばれます。57年2月から1年間を南極で過ごすことになりました。

●置き去りにされたカラフト犬

 1年後の58年2月、第2次観測隊を乗せた宗谷は昭和基地の手前120キロまで進みました。しかし、厚い氷で接岸できず、上陸を断念。昭和基地に残っていた越冬隊は、朝日新聞の航空部員が飛行機で7往復し、宗谷へ収容しました。

 このとき、一つの悲劇が起こります。犬ぞりを引くカラフト犬のうち、子犬と母犬の計9頭は救出できましたが、雄の成犬15頭は残されたのです。天候の悪化などによるやむを得ない決断でしたが、全国から非難や抗議の声があがりました。

拡大1959年1月16日付東京本社版朝刊1面

●生きていたタロとジロ

拡大1970年8月11日付東京本社版夕刊9面
 それからまた1年。第3次観測隊は59年1月、昭和基地に到着。そこで、奇跡を目の当たりにします。置き去りにされたカラフト犬のうち、タロとジロの2頭が生き残っていたのです。2頭の奇跡は隊員とじゃれ合う写真とともに紙面で紹介され=上の画像=、日本中が喜びに沸きました。

 冒頭で紹介したのは、その記事の前文です。今の新聞記事とあまり変わりませんね。今の紙面に載せるとして指摘するところは、(1)人名は最初に出てくるところはフルネームで(2)電池時計が指していた「六時間ちがいの一時」はもう少し説明が欲しい、などでしょうか。(2)は現地時間と日本時間、どちらと6時間違うのか分かりません。そもそもこの記事は現地時間(あるいは日本時間)で何時の出来事なのでしょう。せめて午前か午後だけでも入れたいところです。

 タロとジロの奇跡は83年、高倉健さん主演の「南極物語」として映画化。当時の邦画配給収入の歴代最高は、黒沢明監督「影武者」の約27億円でしたが、約60億円と記録を大きく塗りかえました。

 ジロは60年に昭和基地で病死、タロは無事に帰国して70年まで生き、15歳の天寿を全うしました=右の画像。いまでは、南極に生物を持ち込むことは条約で禁止され、犬ぞりが活躍する場面はありません。剥製(はくせい)となったタロは北海道大学の植物園、ジロは東京・国立科学博物館に所蔵されています。

(画像には主な直しだけ朱を書き入れています。現在の朝日新聞の表記基準で認めていない漢字の音訓や、当時は入れていなかった句点を入れる等については、原則として記入を省いています)

【現代風にすると……】

1年ぶり昭和基地に灯 隊員にじゃれる犬 電池時計もコチコチと

 昭和基地は健在だった。空から見下ろす永田武隊長や私たちの目に、あざやかなオレンジイエローの建物がぱっととび込んで来た。そして去年基地に残した犬たちのうち「タロ」「ジロ」の兄弟がよく命を守りぬいて、降り立った隊員たちにかけ寄って来た。食堂では電池時計がコチコチと動いており、6時間違いの1時を指していた。(昭和基地=山本武)

(高島靖賢)

当時の記事について

原文どおりに表記することを原則としますが、読みやすさの観点から

  • 漢字の旧字体は新字体に
  • 句点(。)を補った方がよいと思われる部分には1字分のスペース
  • 当時大文字の「ゃ」「ゅ」「っ」等の拗音(ようおん)、促音は小文字に

等の手を加えています。ご了承ください