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昔の新聞点検隊

明けましておめでとう 私は生きてます

永川 佳幸

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【当時の記事】

おれは生きてる 老人大憤慨
廿年振りで郷里へ年賀状を出して大いに驚く

十日午後二時半頃三田署へ出頭した人夫体の老人が一通の電報と封書を小沼司法主任の卓上にたたきつけて「おれは芝浦の沖人夫だがこの通り生きてるんだから」とはだぬぎになってたんかを切りだした、警察でも驚いていろいろなだめて次第を聞くと

この男は原籍佐賀県佐賀郡川上村○○○○○○現在芝浦日出町草野方同居人沖人夫藤岡佐吉(五〇)といふもので二十年前三十歳の時財産を弟作一(四五)に譲ってくれと書残して家出し以来音信もせず横浜海岸通内海健太郎方で沖人夫となり震災後芝浦に住み替へたが

本年の正月何となく郷里が恋しいので年賀状をだしたところ

実弟の名で電報が来「サキチシンデイルハヅ」とあり驚いてゐると重ねて手紙が来た

それによると大正十四年三月十八日付で佐吉の死亡診断書と遺骨が当時横浜市吉浜町長沢廻漕店扱ひで菰島徳一なる者から送られて来たので同二十一日葬儀を営み本年は三周忌にあたるといふので本人はあきれ返り憤慨して三田署に飛びこんだもので同署では単なる

悪戯とも見られず直に刑事を横浜に出張させ、同時に佐賀県に照会を発した、あるひは何者かが保険金詐欺でも行ってはゐまいかとも見られてゐる

(1928〈昭和3〉年1月11日付 東京朝日 朝刊7面)

【解説】

 2011年も残すところ、あと5日。旧年中お世話になった人への感謝の気持ちと、新年も変わらぬ厚情を願って送る年賀状。もう準備はお済みでしょうか? 私はというと、不真面目なことに、はがきは真っ白なまま。急がなければと思いながらも、ペンを持つ手はなかなか進みません。今年もまたメールで済ませてしまおうか――。よからぬ考えが脳裏をよぎります。

 今回の主役は、東京・芝浦に住む藤岡佐吉さん。20年も音信不通だったことが災いしたのでしょうか。何気なく実家に年賀状を出しただけなのに、「おまえは死んだはずだ」なんて返信が来るとは思いもしなかったでしょう。彼の慌てふためく様子が「おれは生きてるんだから」という魂の一言によく表れています。

 さて、驚きのあまり思わず警察署に駆け込んでしまった藤岡さん。記事では「出頭した」という表現が使われています。辞書によると出頭は、呼び出しに応じて官庁などに出向くこと。「○○容疑者が××県警に出頭した」というように、事件の重要人物に使われるのが一般的です。藤岡さんに使うのは違和感がありますね。「訪れる」などに変えてもらいましょう。

 見出しでは、50歳の藤岡さんに対して、「老人」とうたっています。現代の50歳ならば、まだ働いている人が大半。「老人」という見出しからイメージする年齢層とはかなりのギャップがありますね。今でこそ日本は世界一の長寿国と言われます。しかし厚生労働省によると、昭和初期の男性の平均寿命は44.82歳でした。そんな時代の50歳は、まさに「老人」というわけです。

 ですが、一個人に向かって「老人」と表現するのは、失礼な印象も受けます。ここは単純に「男性」としてもらった方がいいでしょう。

 また、藤岡さんの職業・沖人夫とは、船荷の積み下ろしで生計を立てている人のこと。現代では「沖人夫」だけではどういう仕事なのか分かりにくいので、書き換えを提案することにします。

 実家から藤岡さんに送られてきた手紙に「本年は三周忌にあたる」というくだりがあります。三周忌(三回忌に同じ)は、死後2年目の忌日のこと。今回のケースで考えてみます。藤岡さんが亡くなったとされた日ははっきりしませんが、「葬儀」をあげた1925年を基準にすると、三回忌は2年後の1927年にやってきます。ところが、記事は1928年のものです。「三」という数字から三回忌は3年目のことだと勘違いしたのかもしれません。手紙の内容を勝手に書きかえるわけにもいかないので、この一文を削ってもらうか、三周忌を「その後の法要」と表現してもらうのがいいでしょう。

拡大年賀はがきのデザインもいろいろ
 最後になりますが、今回の関係者の住所がいくつか載せられています。いまの基準では住所は「〇丁目」まで書くのが基本です。ただし、今回の記事であれば、細かな番地を書く必要はないので、削除してもらいましょう。

 さて、私はかなりの面倒くさがり。メールが来ても忙しさを言い訳にして、返信をついついさぼってしまう癖があります。親からのメールもしかり。最近では、「生きてる?」という件名のメールが届くようになってしまいました。年末年始は仕事で帰省できそうにありません。今年は私も実家に年賀状を出してみましょうか。藤岡さんのように死んだことにされていたら、たまったものではないですから。

(画像には主な直しだけ朱を書き入れています。現在の朝日新聞の表記基準で認めていない漢字の音訓や、当時は入れていなかった句点を入れる等については、原則として記入を省いています)

【現代風の記事にすると…】

「おまえは死んだはず」 年賀状出したら驚きの返信

 10日午後2時半ごろ、警視庁三田署を訪れた男性が「おれはこの通り生きてるんだから」とまくし立てる一幕があった。男性は1通の電報と封書を卓上にたたきつけ、怒りのあまり服の袖から腕を引き抜いて上半身裸になり出したため、署員も驚き、男性を落ち着かせて詳しい事情を聞いたという。

 三田署によると、男性は芝浦日出町の藤岡佐吉さん(50)。30歳のときに、財産を弟に渡してくれと書き残して家を出て以来、横浜の海岸近くに住み、船荷の積み下ろしの仕事をしていたという。芝浦には関東大震災後に引っ越した。

 この間、家族とは連絡をとらなかったが、今年の正月に故郷が恋しくなり、佐賀県川上村の実家に年賀状を出したという。だが、実家から送られてきたのは、弟の名前で「サキチシンデイルハヅ」と書かれた電報。続いて届いた手紙には、1925年3月18日付で藤岡さんのものとされる死亡診断書と遺骨が、横浜市吉浜町の廻漕店扱いで菰島徳一という人物から送られてきたため、同月21日に葬儀を営み、その後の法要もしているとも書かれていた。

 男性はあきれ返り、三田署に飛び込んだと話しているという。

 三田署は、何者かが保険金詐欺を企てた可能性もあるとして、横浜に署員を向かわせ、佐賀県にも照会している。

(永川佳幸)

 ※「昔の新聞点検隊」は年末年始も休まず更新します。次回は1月3日更新です。

当時の記事について

原文どおりに表記することを原則としますが、読みやすさの観点から

  • 漢字の旧字体は新字体に
  • 句点(。)を補った方がよいと思われる部分には1字分のスペース
  • 当時大文字の「ゃ」「ゅ」「っ」等の拗音(ようおん)、促音は小文字に

等の手を加えています。ご了承ください