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昔の新聞点検隊

そのとき組閣の真っ最中だった 関東大震災(3)

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【当時の記事】

兼任の多い新内閣 二日夜の親任式

内閣組織の大命を拝した山本権兵衛伯は去月二十九日以来築地水交社に於て組織に着手し先づ挙国一致内閣を組織すべく政友、憲政両党首を始め各方面の有力者に其賛否を求めた処高橋、加藤両子の入閣拒絶で所謂挙国一致内閣実現不能となって第二の人材内閣組織に着手して準備を進めてゐた処一日正午の大震災で伯自らが纔に躬を以て難を遁れたる有様で内閣組織談は一先づ中止の形となって爾来伯は芝白金なる財部海相私邸に避難してゐたが一方新閣員たる後藤新平子は未曽有の災害に対し幾多の新施設を要するものあるに拘らず政局の安定を欠くが如きは容易ならぬことであると一日午後山本伯を訪問して意見を述べたるに伯も同意で此際閣員の顔が揃はずとも急速に新内閣を成立せしむべしと其方法を講じた 而も既に閣員たることを承諾したるも震災の為所在容易に判明せず顔触決定難であったが二日午前は後藤子山本伯を再訪し協議の結果愈新内閣を成立せしむることに決し同日午後山本伯は赤坂離宮に参内し摂政宮殿下に閣員名簿を奉呈したるに同午後七時四十分赤坂離宮に於て親任式を行ふことになった(東京電話名古屋経由)

任内閣総理大臣兼外務大臣 伯爵 山本権兵衛
任内務大臣 子爵 後藤新平
任大蔵大臣 井上準之助
任陸軍大臣 男爵 田中義一
任逓信大臣兼文部大臣 犬養毅
任農商務大臣兼司法大臣 男爵 田健治郎
任鉄道大臣 山之内一次
任海軍大臣(留任) 財部彪
任内閣書記官長(一等) 樺山資英

 

(1923〈大正12〉年9月4日付 大阪朝日 朝刊2面)

【解説】

 今回紹介するのは、関東大震災の発生直後に成立した山本権兵衛内閣の記事です。組閣に至る経緯と閣僚の顔触れが書かれています。

 一読して感じるのは一つの文章が長いこと。句点がないのは仕方がないとしても、冒頭から7行目の「成立せしむべしと其方法を講じた」まで320字余りも切れ目がありません。今の新聞なら、もっと短く簡潔な文章にするでしょう。

 また、現在の朝日新聞では使わない表記や難しい漢字が、いくつか登場します。

 「遁れ」は今なら「逃れ」、「爾来」は「その後」、「愈」は「いよいよ」と書くところです。

 関東大震災が起きたとき、日本に首相はいませんでした。首相だった加藤友三郎が8月24日、病死。「政治空白」のなか、後を継ぐことになった山本が組閣を進めている最中だったのです。

拡大山本権兵衛は震災時、組閣の真っ最中だった
 「日本宰相列伝 山本権兵衛」(時事通信社)などによると、海軍出身の山本は挙国一致内閣をつくろうとしました。政友会の高橋是清、憲政会の加藤高明、革新倶楽部の犬養毅らに入閣を要請。犬養には受け入れられましたが、高橋と加藤には断られました。そんななか、組閣本部があった海軍関連施設「水交社」の2階で、平沼騏一郎に入閣要請していたとき、大震災が起こったそうです。

 山本や平沼は揺れが弱まると2階から下り、庭にあった藤棚の下に椅子を並べて座ります。握り飯で腹ごしらえした後、話し合いを続けましたが、入閣交渉はうまくいきませんでした。早急に組閣を完了させる方針を決めて午後4時にいったん切り上げ、翌2日に組閣を終えました。

 余震と火災が続き、街のガス灯や電灯が消えたままの2日夜、赤坂離宮で親任式が行われました。明かりといえるのは、警護の人たちがかざすちょうちんぐらいだったそうです。

 未曽有の震災対応に当たった山本内閣でしたが、思いも寄らぬ事件が起きます。震災の年の暮れ、12月27日、後の昭和天皇が暴漢に襲われる「虎ノ門事件」が発生したのです。翌年1月7日、山本内閣は総辞職しました。

 ちなみに、山本内閣で内務大臣に就任した後藤新平は、「帝都復興院」の総裁を兼務。都市再生に大きな役割を果たしました。機会を改め、当時の紙面とともにお伝えする予定です。

(画像には主な直しだけ朱を書き入れています。現在の朝日新聞の表記基準で認めていない漢字の音訓や、当時は入れていなかった句点を入れる等については、原則として記入を省いています)

【現代風の記事にすると…】

兼任多い新内閣 全閣僚決めずに発足

 

 組閣の大命を受けた山本権兵衛氏は先月29日から、挙国一致内閣を目指して組閣作業を進めた。政友会、憲政会の総裁ら実力者と協議したが、高橋是清氏、加藤高明氏は入閣を拒否。1日正午前の関東大震災で組閣作業を中断し、東京・芝白金にある財部彪海相の私邸に避難した。

 同日午後、後藤新平氏が山本氏を訪ね、組閣は難しい状況だが、未曽有の震災対応のためにいくつもやることがあり、早期に政局を安定させることで一致。全閣僚は決まらなくても、新内閣を成立させることにした。

 入閣に同意した人の所在を確認するのは容易ではなかったが、山本氏は2日午後、摂政宮さまに閣僚名簿を提出。夜7時40分から赤坂離宮で親任式を行うことになった。新閣僚の顔触れは以下の通り。(敬称略)

 内閣総理大臣兼外務大臣 伯爵 山本権兵衛▽内務大臣 子爵 後藤新平▽大蔵大臣 井上準之助▽陸軍大臣 男爵 田中義一▽逓信大臣兼文部大臣 犬養毅▽農商務大臣兼司法大臣 男爵 田健治郎▽鉄道大臣 山之内一次▽海軍大臣(留任) 財部彪▽内閣書記官長(一等) 樺山資英

(高島靖賢)

当時の記事について

原文どおりに表記することを原則としますが、読みやすさの観点から

  • 漢字の旧字体は新字体に
  • 句点(。)を補った方がよいと思われる部分には1字分のスペース
  • 当時大文字の「ゃ」「ゅ」「っ」等の拗音(ようおん)、促音は小文字に

等の手を加えています。ご了承ください