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昔の新聞点検隊

深夜の銀座を象歩く 初代花子来日

松本 理恵子

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【当時の記事】

シャム嬢お輿入れ 都大路ゆく花恥しい巨体 深夜時ならぬ賑ひ

上野動物園にはるばるシャムからお輿入れする当年とって廿歳の大きな象のパンジー嬢は予定通り特別仕立ての貨車に乗って四日夜八時半汐留駅に着いた、シャムのお友達から贈られたといふので地元の芝区桜川、新橋の少年団少年少女が制服姿で到着ホームに待ち受けた他黒山のやうな人だかり 古賀園長は約五十名の係員をトラックにのせてやって来る、そのうちにシャム公使夫妻も令息令嬢共々自動車で

 姿を見せる、沸き立つ人気をよそに巨体の当の嬢ちゃん、長い船と汽車の旅にあって貨車の中で後足の太い鎖を切断してゐた為駅構内に入ってから大事をとりやっと十時過ぎにお目見得となる 超大貨車の扉が開かれると獣医といふ肩書きもある白ズボンの若い象使ひヴィドイル・ノッパクーラ君以下二人に次いで椰子の葉をまるめた長い棒や、ジャガ薯、その他の御持参食料品が数人の人夫の手で投げ出されいよいよ

嬢の番だ

分厚い鉄板が並べられて足場が出来ると大きなお耳を団扇のやうにパタパタさせ長い鼻をプラプラさせ、「でっかいはんこ」のやうな足を大地に踏み付けて頭の上に乗ったノッパクーラ君の指図通り小さな眼をショボショボさせてホームに現れた 「でっかいの」あらあら屋根につかへるよ」 少年達の中から感嘆詞が飛び出す シャム公使は親切にあれこれと世話をやいて注意する 日暹親善のなごやかな色を添へて広場に立った小山のやうな彼女

賑かな歓迎に長い鼻を上げたり下げたり御馳走にも有りついてパンジー嬢は大喜び、警戒のお巡りさん以下約百人もの人手をかけ午前一時、七百貫といふ巨体をゆすって三人の象使ひの命令に従ひ昭和通りを上野に向って出発した

 深夜のアスファルトの大路を幅が狭いといった形でのっしのっし、沿道は提灯の列、珍しさに埋まった群衆でまるで花嫁行列の騒ぎだ、人の波、高い建物、ネオン・サイン、自動車の響きに心をはずませて(?)それでもおとなしく約二時間かかって午前三時近く動物園の裏門から先住象君夫妻のとなりの調度もすがすがしい新居に入った、五日からすぐにデヴュウしかたはら向ふ四ケ月間ノッパクーラ君にみっちり芸を仕込まれることになってゐる 尚八日午後二時シャム公使、同令息も列席して盛んな式が挙げられる【写真銀座裏をゆくパ嬢】

(1935〈昭和10〉年6月5日付 東京朝日 朝刊11面)

【解説】

 東日本大震災の復興のシンボルとして、仙台市の八木山動物公園に中国からパンダがやってくることになりました。いつの時代も動物園の人気者は、見る者に力を与えて、国と国との親善大使の役目を果たしています。

拡大2頭の象が神戸に着いた様子を伝える記事。うち1頭が東京・上野動物園に来た初代花子。もう1頭は大阪・天王寺動物園に向かった=1935年6月4日付東京朝日夕刊2面
 今年の元日、東京・井の頭自然文化園のアジアゾウ「はな子」が65歳になり、日本で飼育された象の長寿記録にならびました。はな子は1947(昭和22)年生まれとされていますが、正確な誕生日はわかりません。そこで、元日に一つ年をとることにしているのです。象の65歳は人間にすると100歳をこえるといいます。2月5日に同園でお祝いの会が開かれますが、長寿記録の更新はもちろん、まだまだ元気に長生きしてほしいものです。

 はな子は1949年に戦後初めて日本にきた象ですが、「はなこ」としては2代目。今回は「初代」が日本に来たときの熱狂ぶりを伝える記事を紹介します。

 1935年6月5日、上野動物園にシャムから象がやってきました。「シャム」は、タイの当時の国名です。タイの少年団から日本の少年団に友好のしるしとして贈られました。紙面では名前が「パンジー」とありますが、上野動物園百年史によると、のちに「ワンリー」と言いならわされています。当時の新聞では「ワンジー」「バンディー」など様々な発音で表記されたようです。20歳の雌で、体高が2.4メートル、体長3.5メートル、体重2.7トンでした。

 「お輿(こし)入れ」は時代劇などで聞くことがありますね。昔は結婚するときに女性が乗った輿を相手の家に担ぎ入れたことから、結婚して相手の家に入ることをいいます。今の制度では相手の家に嫁ぐという概念はなく、輿に乗っていくこともありませんから、使わなくなりました。「到着」や「来園」に言い換えてはどうかとアピールします。上野動物園には当時ジョン(雄、18歳)とトンキー(雌、16歳)の2頭の象がいました。ゆくゆくはジョンとの間に子をもうけてほしいと期待されていたことがうかがえます。

 象の運搬は、たくさんの人手が必要です。動物園からきた係員は「五十名」と「名」で数えていますが、今の紙面では「50人」と書くことにしています。この記事でも他の箇所では「百人もの人手」「三人の象使ひ」などとしているので統一する必要もあります。

 到着したパンジーを一目見ようと少年団をはじめ、多くの人が集まりました。大きな象を見た少年たちの感激の声、「でっかいの」に続く「あらあら屋根につかへるよ」ではアタマのカギが抜けています。補うよう指摘しましょう。

拡大当時の汐留駅付近にある「旧新橋停車場」。1923年の関東大震災で焼失した駅舎が再現されている
 パンジーは体が大きく、運べる車がなかったので、当時の汐留駅から約7キロを歩いて上野動物園に向かいました。汐留駅は貨物専用駅でした。今の「旧新橋停車場」のあたりです。深夜の東京・銀座の近くを象が悠々と歩く様子を想像するとわくわくしませんか。

 「ネオン・サイン」は「・」(中黒)で区切ってありますが、2語からなる外来語は区切らずに表記することにしているので、「ネオンサイン」としてもらいます。

 記事にはパンジーがちょうちんの列やネオンサイン、自動車の音などに「心をはずませて(?)」歩いた様子が描かれています。それを表したのが大きな見出しの「花恥しい巨体」というわけですね。「花恥ずかしい」の意味は「花も恥じらうほどに初々しく美しい。娘の恥じらうさまにもいう」(大辞泉)。初めての日本の地でパンジーは大きな体ながら初々しい様子をみせていたのでしょうか。

拡大象の名前の公募で、「ハナ子」が多かったと伝える記事=1935年6月14日付東京朝日夕刊2面
 汐留駅を5日午前1時に出発したパンジーは象使いの指示で、昭和通り―御徒町―上野広小路―動物園裏門というコースを約2時間かけておとなしく歩き、午前3時ごろに到着しました。

 パンジーは5日からすぐに「デヴュウ」するとあります。Debutは紙面では「デビュー」と書きます。象使いの名前「ヴィドイル・ノッパクーラ」も「ビドイル・~」となります。ヴァ、ヴィ、ヴュなどは使わず、バ、ビ、ビュ……と表記します。ちなみに上野動物園百年史では「ウィドラ・ノッパクーラ」とされています。深夜の大通りを歩いて翌朝すぐに一般公開とは、もうちょっと寝かせてよ~と愚痴も言いたくなりそうなハードスケジュールですね。

 「パンジー」はタイでの名前で、この後公募により日本名で「花子」と命名されました。当時の紙面によると「キリンのときと同じ伝で今度ははなをもじったハナ子さんが絶対多数を占めているようだ」と、長い鼻だから花子?という拍子抜けする説もあるようです。でも女の子の代表的名前でかわいらしく、パンジーにピッタリだったから「花子」にしたという理由をとりたいものです。

 花子は動物園の人気者になりますが、戦争で悲しい最期をむかえます。空襲で動物園から脱走すると危険だとされ、猛獣は処分されたのです。戦時中の餌不足の事情もあるでしょう。ライオンやクマなど多くの動物が殺され、毒入りの餌を食べなかった3頭の象も絶食させられて力尽き、餓死します。花子が死んだのは43年9月11日。8月25日に絶食が始められて18日目のことでした。この実話をもとにした童話「かわいそうなぞう」(金の星社)にでてくるワンリー(花子)、トンキー、ジョンの3頭の話は教科書に採用されたり、ドラマ化されたりしたので、ご存じの方は多いでしょう。

拡大今は井の頭自然文化園で静かに暮らす2代目はな子
 戦後、東京の子どもたちから上がった「象を見たい」という声に応えて49年にインドとタイから上野動物園に象がくることになりました。そのうちの1頭、タイからやってきた当時2歳半の子象が、いま井の頭自然文化園で暮らしている「はな子」なのです。タイでの名前を「ガチャ」といいましたが、公募で「はな子」と名付けられたのは先代の花子への思いを多くの人が残していたからでしょう。

(画像には主な直しだけ朱を書き入れています。現在の朝日新聞の表記基準で認めていない漢字の音訓や、当時は入れていなかった句点を入れる等については、原則として記入を省いています)

【現代風の記事にすると…】

シャムから上野に到着 通りを行く大きな体 深夜に人だかり

 東京・上野動物園に、はるばるシャムからやってきた20歳の大きな象のパンジーは予定通り特別仕立ての貨車に乗って、4日午後8時30分汐留駅に着いた。タイの友達から贈られたというので地元芝区の桜川、新橋の少年団の子どもたちがユニホーム姿でホームに待ち受けたほか、一目見ようと黒山のような人だかりができた。上野動物園の古賀忠道園長は約50人の係員をトラックに乗せて来た。シャム公使夫妻も娘と息子と一緒に自動車で到着した。

 周囲の騒ぎをよそに主役のパンジーは、長旅の間、ずっと後ろ脚にしていた太い鎖を外され、汐留駅に入った後も大事をとってしばらくゆっくりしていた。

 午後10時過ぎ、超大型の貨車の扉が開かれた。白いズボンをはいた獣医で象使いのウィドラ・ノッパクーラさん(23)と、ほかの2人が現れた。続いて数人がヤシの葉をまるめた長い棒や、ジャガイモなどの餌を投げ出した。いよいよパンジーの登場だ。

 分厚い鉄板が並べられて足場が出来ると、頭の上に乗ったノッパクーラさんの指示どおりに、パンジーがホームに現れた。大きな耳をうちわのようにパタパタ、長い鼻をプラプラ、小さな目をショボショボさせ、大きなはんこのような足で大地を踏みしめた。「でっかいの」「あらあら屋根につかえるよ」。子どもたちが感動の声を上げる。日本とシャムの親善のなごやかな雰囲気の中、パンジーは広場に出現した小山のようだった。

 にぎやかな歓迎に、パンジーは長い鼻を上げたり下げたり、ごちそうも食べて大喜び。警察官ら約100人が警備したり世話をしたりする中、5日午前1時、3人の象使いの指示に従い、昭和通りを上野に向かって歩き出した。

 深夜のアスファルトの大通りを2.7トンの巨体がのっしのっしと歩くと、道が狭く感じられる。沿道にはちょうちんの列。道路は珍しいもの見たさの人々で埋まり、まるで結婚パレードのような騒ぎだ。人の波、高い建物、ネオンサイン、自動車の響きに心をはずませながらも(?)、パンジーはおとなしく約2時間歩き、午前3時近くに動物園の裏門から、先住の2頭の象のとなりの新居に入った。5日から一般公開でデビューし、今後4カ月間ノッパクーラさんにみっちり芸を仕込まれる。なお8日午後2時シャム公使親子も列席して盛大な歓迎式が開かれる。【写真は銀座をゆくパンジー=5日午前1時】

(松本理恵子)

当時の記事について

原文どおりに表記することを原則としますが、読みやすさの観点から

  • 漢字の旧字体は新字体に
  • 句点(。)を補った方がよいと思われる部分には1字分のスペース
  • 当時大文字の「ゃ」「ゅ」「っ」等の拗音(ようおん)、促音は小文字に

等の手を加えています。ご了承ください