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昔の新聞点検隊

ああ無情……でもない?

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【当時の記事】

農大生を襲うて説諭され 悔悟して自白した泥棒
ジャンバルジャンの例を引いて 訓戒した渋谷署長の好意に感謝 無料宿泊所に引渡す

今月四日の夜渋谷警察署に一人の青年が悄然として「私は窃盗を致しました、どうぞ然る可く御処分を願ひます」と自首して出た、窃盗犯人の自首は全然類のないことではないが、何か理由があるらしいので同署の司法主任は

すぐ様一応取調べると青年は原籍神戸市●●●●●●目下住所不定の○○(二十)で、数年前下関区裁判所で矢張り窃盗の件で懲役一年六箇月の刑を受け昨年十一月末出獄後上京したのであるが、彼は郷里の某商店に奉公中遊蕩を覚え、遂に罪の人となったのだった、そして司法主任の取調べに関して彼が卒直に

申立てたところに依ると、彼は今月三日午後十一時三十分府下▲▲▲東大農学部三年生△△(二六)宅に窃盗の目的で忍び込み、夜半になって彼是と捜すうちに△△の家人が起き出たので止むを得ず奥六畳の押入れに身を隠したのを朝になって主人に発見された、△△氏に「君は誰だ」と問はれて○○は自分は

窃盗で昨夜当家に忍び入りこの始末に及んだことを包まず述べ、「私は全く悪いことをしました、どうか貴方の手で警察に引渡して下さい」と首垂れた、然し△△氏は「君はまだ若い身空でどうしてそんな馬鹿なことをする、そんなことは前途有為な青年の断じて執るべき手段でない、私は決して君を警察にも送らなければ密告もしない、見れば身体も健康のやうだ

悔悟して君自身の為めにも社会の為めにもウンと働かねばならない」と懇々と諭した上共に朝餐を喫して折柄の雨を避けるために雨傘と下駄を与へて「安心して帰るが可い」と送り出した

(中略)

この事に付いて渋谷署長前田佐門氏も感激した、そして○○が前科の所有者であることを知り乍ら彼に職を与へて世話をしてゐた本所区■■市営宿泊所主任臼井清氏を招いて、署長はユーゴーの大作「ミゼラブル」の梗概を説き、臼井氏に彼の罪の子ジャンバルジャンを幾度も許したシリエル僧正の決心と寛大さがあることを確めて臼井氏に○○を引渡し、検事局に対しては

○○の改悛の状の著るしいこと、希くは本件を起訴猶予にされ度きことを意見書に具して提出した、今○○は△△氏や前田署長や臼井氏等の揃ひも揃った温情を感謝しつつ臼井氏の手許に居る

(後略)

(1922〈大正11〉年7月23日付 東京朝日 夕刊2面)

【解説】

 校閲センターには、月1回の泊まり勤務があります。朝刊の仕事を夕方から夜中までした後、宿泊室で眠ります。しかし、何か突発的な事件が起こった場合は、号外を出さなくてはならないので、おちおち寝てもいられません。

 毎年大みそかの泊まり勤務は、たいてい「その年に入社したばかりの社員」がつくのが慣例です。明確な理由はわかりませんが、「若さに期待!」といったところでしょうか。

 大みそかが終わり、今年の元日。その「突発的な事件」が起こり、朝日新聞は号外を発行。泊まり勤務だった新入社員の女性は「元日から号外を発行する」という非常に珍しい経験をしました。その号外は、ご存じの通り「オウム平田容疑者逮捕」です。

 昨年12月31日深夜、平田信(まこと)容疑者は警視庁丸の内署に出頭、1日未明に逮捕監禁致死容疑で逮捕されました。17年近くに及ぶ逃亡生活でしたが、その供述から、31日に何度も出頭を試みた様子が明らかになりました。東京都品川区の大崎署に行きましたが「入り口がわからず」、警視庁本部の前にいた機動隊員に名乗り出ましたが「正月で忙しいから、丸の内署に行くように」と指示され、丸の内署でも警官に信じてもらえなかったので、「ほら、背も高いでしょ」と言ったそうです。

 17年間も逃亡を続けていた容疑者が突然目の前に現れ、すぐに見分けられなかったのも無理はありませんが、警察としての緊張感が足りなかったということは言えるでしょう。

 大正時代に、「私は窃盗を致しました」と警察に自首してきた男がいます。当時はどういう対応が取られたのでしょう。1922(大正11)年7月の記事から見てみましょう。

 当時の渋谷警察署でも、「窃盗をした」と言って自首してくるのはまったく例がないことではなかったようです。「窃盗犯人の自首は」とありますが、「犯人」というのは決めつけた言い方で、現在の新聞では「容疑者」としています。

 自首してきた男を見て「何か理由があるのではないか」と渋谷署の司法主任は「すぐ様一応取調べ」を行うことにしました。

 男は20歳で、「郷里の神戸の商店で奉公をしていたが、窃盗の罪で刑務所に入った。昨年出所した後、東京に来た」と言います。

 その男が盗みに入った家が、「府下」に住む東大農学部3年生の男性(26)の家です。1871(明治4)年に廃藩置県が実施された時、日本には「三府」がありました。大阪府、京都府、そして東京府です。1943(昭和18)年に都制が施行されるまで、東京は「府」でした。

 男は1922年7月3日の午後11時半に男性の家に忍び込み、色々と物色したものの、何も見つけられず、そのうち男性の家族が起き出してきました。「農学部三年生△△(二六)」「△△の家人」とありますが、被害者側なので、「△△さん」か「△△氏」にしましょう。

 男は押し入れに身を隠しましたが、翌朝、男性に見つけられました。男は観念し、「悪いことをしました。警察に引き渡してください」とうなだれました。

拡大「レ・ミゼラブル」(岩波文庫)
 男性は、懇々と諭します。「君はまだ若い。こんなことは、前途有望な青年がしてはいけない。私は、警察に届け出るようなことはしない。悔い改めて、君自身と社会のために働きなさい」

 その後、男性は男と一緒に朝食をとり、雨傘と下駄を与えて送り出したのです。

 この話に、渋谷署長の前田佐門氏も感激しました。そして「○○が前科の所有者であることを知り乍ら」男に職を与えて世話をしていた臼井清氏という人物を呼び出しました。 男の経歴はすでに書いているので、ここでは「世話をしている臼井氏」にしたほうがいいでしょう。さらに現在の朝日新聞では、容疑者に「前科がある」という書き方はまずしません。容疑者がある犯罪で逮捕された場合、「犯罪歴がある」という情報によって読者に先入観を与えるのを防ぐためです。

 署長は、フランスの作家ビクトル・ユゴーの大河小説のあらすじを話して聞かせました。記事には「ミゼラブル」とありますが、原題(Les Misérables)からいっても、「レ・ミゼラブル」とした方が良いでしょう。

拡大黒岩涙香訳の小説「噫無情」の広告=1906年1月5日付東京朝日朝刊5面
 この作品は、1902(明治35)年から翌年まで、「万朝報(よろずちょうほう)」という新聞に連載されました。同紙の創刊者である黒岩涙香が翻訳し、付けたタイトル「噫(ああ)無情」は、現在でもよく知られています。黒岩訳のこの小説は単行本も発売され、1920年代には日本人キャストによる芝居が上演されて好評だったようです。署長も、この小説をよく知っていたのでしょう。

 主人公のジャン・バルジャンは、姉の子どもたちのために1本のパンを盗み、19年間、刑務所に入っていました。やっと出所しましたが、彼の素性を知った宿屋たちは、ことごとく宿泊を断ります。そしてたどり着いたのが、ある僧正(司教)の家でした。

 本文には、「罪の子ジャンバルジャンを幾度も許したシリエル僧正」とありますが、名前と姓を区切るため「ジャン・バルジャン」、原文のスペル「Myriel」から「ミリエル僧正」としましょう。

 ミリエル僧正は清貧の人でしたが、唯一のぜいたく品として銀の食器と燭台(しょくだい)を持っていました。しかし、ジャン・バルジャンを泊めた翌朝、食器がなくなったことに気づきます。そして、僧正の家に、憲兵が「怪しい男を捕まえた。あなたに銀の食器をもらったと言い張っている」と駆け込んできました。

 捕まったジャン・バルジャンが驚いたことに、「食器だけでなく、燭台もあげたのに。なぜ一緒に持っていかなかったのか」と僧正は尋ねました。そして、燭台をジャン・バルジャンの手に握らせて、「正直な人間になるために、銀器を使いなさい。それを忘れてはなりません」と言います。「レ・ミゼラブル」の中で最も有名な場面かもしれません。

拡大「哀史(レミゼラブル)」の上演を告知する広告=1920年11月29日付東京朝日朝刊10面
 渋谷署長に呼ばれた臼井氏は、無料宿泊所の主任でした。署長は臼井氏に、ミリエル僧正と同じ寛大さがあることを認めて、男を引き渡しました。検事局には、男の反省の態度から、「起訴猶予にしてほしい」という意見書が提出されました。男は、盗みに入った家の男性、署長、臼井氏らすべての人の温情に感謝し、無料宿泊所に入ったということです。

 これは、大正時代の警察に自首し、「めでたし、めでたし」と言えるような結末を迎えた記事です。この男の続報も朝日新聞にのっているのですが、「鉄管工事の労働に汗を流した」とあり、まじめに働くことにしたようです。

 「レ・ミゼラブル」の中のジャン・バルジャンは、そう簡単にはいきませんでした。ミリエル僧正の家を出た後、小さい男の子からお金を奪い取るという罪を犯してしまいます。ジャン・バルジャンは後悔し、その男の子を捜し回って、自分に対する情けなさから涙を流します。結局男の子は見つからず、たまたま出会った牧師に「貧しい人に与えてください」とお金を託したのでした。それから、ミリエル僧正と約束した「善の人」になることを決心し、僧正の家の前で祈りを捧げたということです。

 150年以上前に書かれた小説ながら、この場面を読むと、「ユゴーは人の心理をよくわかって描いているなぁ」と感じます。悪いことをした人の心が一瞬にして変わるというのは非常に難しく、まれなことだと思います。

 平田容疑者は17年近くも逃げていたのですから、すぐに、何もかも隠さず話すというわけにはいかないでしょう。しかし、オウム事件の被害者のために、彼には話す義務があります。その義務が誠実に果たされることを期待しています。

(画像には主な直しだけ朱を書き入れています。現在の朝日新聞の表記基準で認めていない漢字の音訓や、当時は入れていなかった句点を入れる等については、原則として記入を省いています)

【現代風の記事にすると…】

東大生宅に侵入 諭され悔やみ自白した窃盗容疑者
 渋谷署長の厚意に感謝し無料宿泊所へ

 7月4日夜、警視庁渋谷署に、「窃盗事件を起こしました。処分をしてほしい」と男が自首してきた。「窃盗をした」と自首する容疑者はまったくいないわけではないが、何か理由があるらしいので、司法主任はすぐに取り調べることにした。

 神戸市出身の現在住所不定の男(20)で、数年前に窃盗の罪で懲役1年6カ月の判決を受け、昨年11月末に出所後に上京したという。

 3日午後11時30分ごろ、男は、東京都▲▲▲の東京大学農学部3年△△さん(26)宅に窃盗の目的で侵入。色々と物色していたところ、△△さんの家族が起き出してきたため、奥の部屋の押し入れに隠れた。朝になって△△さんが見つけ、「君は誰だ」と尋ねると、「窃盗をしようと、昨夜忍び込んだ」と話したという。

 「全く悪いことをしました。どうかあなたの手で警察に引き渡してください」とうなだれていたが、△△さんは「君はまだ若いのに、どうしてこんなことをするのか。盗みなんて、前途有望な若者がやることではない。私は決して君を警察に突き出したりしない。体も健康なようだから、改心して、君自身のためにも社会のためにもうんと働かないといけない」と懇々と諭した。さらに男と一緒に朝食をとり、雨が降っていたので雨傘と下駄を与えて「安心して帰りなさい」と送り出したという。

 この話を聞き、前田佐門・渋谷署長も感激した。そして、男に職を与えて世話をしていた市営宿泊所主任の臼井清さんに来てもらった。男にユゴーの大作「レ・ミゼラブル」のあらすじを聞かせた前田署長は、臼井さんには「罪を犯したジャン・バルジャンを何度も許したミリエル僧正の決心と寛大さがある」と考えたという。署長は臼井さんに男を引き渡した。検事局には、男が大変反省していること、今回の△△さん宅侵入は起訴猶予にしてほしい旨を意見書にして提出した。

 男は現在、△△さんや前田署長、臼井さんらすべての人の温情に感謝しつつ、臼井さんの無料宿泊所にいるという。

(永島葵)

当時の記事について

原文どおりに表記することを原則としますが、読みやすさの観点から

  • 漢字の旧字体は新字体に
  • 句点(。)を補った方がよいと思われる部分には1字分のスペース
  • 当時大文字の「ゃ」「ゅ」「っ」等の拗音(ようおん)、促音は小文字に

等の手を加えています。ご了承ください