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昔の新聞点検隊

あっちもこっちもタイタニック

広瀬 集

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【当時の記事】

【伯林特電(日独郵報社取次)】
●大汽船遭難(同上)   ※同上=十五日伯林特約通信社発

▽初航海の氷山と衝突

白星(ホワイトスター)汽船会社汽船チタニック号(四万五千噸)は其初航海に当り全速力を出して航行中浮漂せる氷山と衝突し船首は全く破壊し船体は直に沈没を始めたれば無線電信を以て救助を求めたりしに救助船各所より来り 乗客は無事なるを得たり 又二隻の汽船直に救助に赴けり 右の報道は伯林無線電信局に達せしものなり

「チタニック号は昨年の建造に懸りオリムピック号と姉妹船なるが不思議なるはオリムピック号も其初航海に当りソレント海に於て巡洋艦ハウケ号と衝突し大損傷を蒙れり」

【路透電報】
●大汽船沈没(同上)   ※同上=十六日上海経由路透社発

今日海上に浮べる最大汽船たるタイタニック号は四月十日英国サザムプトンを出発し最初の航海に上りたるが無線電信に依りて其氷山と衝突せしことを告げ救助を求めたり 依ってワ゛ージニヤン、オリムピン、バルチック等諸汽船は救助の為め遭難地に急行し居れり 目下ワ゛ージニヤン号はタイタニック号を距る百七十浬の場所にバルチック号は同じく二百浬の場所に在り タイタニック号よりワ゛ージニヤン号に寄せつつありたる最後の無線電信は俄然不明となり中止したり

レース岬(ニュファウンドランド州)よりの報に依ればタイタニック号は船首の方より沈没しつつあり 婦人乗客は救命船に移され居たり 同号は昨夕(?)十時二十五分氷山と衝突し直に救助を求めたりと 最初の紐育来電に依ればタイタニック号は昨朝二時二十分沈没したり 死人無しとあり 但し後報は多数の溺死者ある旨伝え来れり

【倫敦タイムス特電】
●汽船氷山衝突   十六日タイムス社発

紐育来電==マーカンチル、メリーン会社に達したる汽船オリムピック号船長の私信に依れば白星汽船会社の大汽船タイタニック号はサザムトンを発 最初の航海に上りしに十五日午前二時二十分北米ニュファウンドランド州レース岬付近にて氷山と衝突し沈没したり 乗客二千三百五十八名の内唯だ六百七十五名丈け汽船カーパシア号に救助せられたり

(1912〈明治45年〉4月18日付 東京朝日朝刊2、4面〈市外版〉)

拡大記事1 1998年3月25日付東京本社版朝刊35面。ジェームズ・キャメロン監督の映画「タイタニック」が米アカデミー賞史上最多タイの11部門を受賞したことを伝える紙面
【解説】

 イタリアの豪華客船・コスタ・コンコルディア(11万4500トン、乗客乗員4200人)が座礁した事故は、多くの注目を集めました。死者・行方不明者が30人を超え、事故時の船長の対応などに批判が集まっていますが、後世のためにもきちんとした検証がのぞまれます。

 この事故の一報を見聞きしたとき、あの大船の事故が頭に思い浮かんだ方は少なくないと思います。

 豪華客船・タイタニック。ちょうど100年前、1912(明治45)年に起きた沈没事故は、今なお語り継がれる最大級の客船事故。これまでに何度も映画化されていますが、1997(平成9)年に公開された映画「タイタニック」は記憶に新しいところ(別記事1)。この作品でこの事故を把握された方も多いでしょう。

 今回はそのタイタニックの事故が当時の朝日新聞でどのように伝えられたのか、のぞいてみましょう。

 まずはメーンで取り上げた記事。今回は記事データベースに収録されている東京朝日の4月18日付の「市外版」の画像を使いましたが、「市内版」や大阪朝日(別記事2)は17日付に間に合っています。

拡大記事2 1912年4月17日付大阪朝日朝刊1面。赤の囲み内が今回と同じ記事

拡大記事2 1912年4月17日付大阪朝日朝刊2面。赤の囲み内が今回と同じ記事

 市内版、市外版は東京市の内外、ということでしょう。市内版のほうが締め切りが遅く、一報が間に合ったのだと考えられます。14日深夜から15日未明の事故ですから、翌日には社に情報が届き、2日後には読者に伝えられたことになりますね。

 現在の新聞と大きな違いがありました。当時の紙面では、外国のニュースはそれぞれ地域の通信員や提携の通信社ごとにまとめられていたのですね(別記事3)。

拡大記事3 1912年4月18日付東京朝日朝刊2面(市外版)の全面。赤囲みが今回の記事

 現在の紙面ではなるべく出来事ごとに記事を一本化し、複数の情報元がある場合は「○○によると……、××では……と伝えている」等の書き方をしています。一本化できない場合でも、関連記事としてすぐ隣に掲載し、まとめて読めるような紙面作りをします。

 この日の市外版では、タイタニック関係記事は2面にベルリン電と「路透」電、3面にタイタニックの写真だけ、4面に英タイムズ電と飛び飛びに掲載されていました(別記事4、5)。

拡大記事4 1912年4月18日付東京朝日朝刊3面の全面。タイタニックの写真だけがポツンと掲載(赤囲み内)
拡大記事5 1912年4月18日付東京朝日朝刊4面の全面。赤囲みが今回の記事

 ベルリンからの情報は「チタニック」、「路透」および英国タイムズ紙の電報は「タイタニック」と、いきなり船の名前から表記がばらけています。記事の掲載場所もバラバラ、表記もバラバラでは、同じ事故なのかどうか分かりにくいですね。当時は難しかったかもしれませんが、大阪朝日の紙面ではベルリン電も「タイタニック」にそろえてあるので(別記事2参照)、無理難題とまではいかないはず。現代の校閲としては看過できませんし、船名で「オリムピック」「オリムピン」、地名でも「サザムプトン」「サザムトン」とばらつきがあるので併せて指摘しましょう。なおオリンピックはタイタニックの姉妹船。ほぼ同じ形でこちらの方が先にデビューしていました。

 その他、ベルリン電の見出し「初航海の氷山と衝突」は、氷山が航海しているように読めます。この「の」は「初航海であって、氷山と衝突した」という意味で使われているのかもしれませんが、字数が限られているので分かりにくいですね。「で」とすればすんなり読めそうです。

 「白星(ホワイトスター)」は運航会社のホワイト・スター・ライン社、「マーカンチル、メリーン」は白星社の親会社、国際海運商事(International Mercantile Marine)と推察されます。現代であれば海外の会社名もなるべく忠実に記載したいところですが、電信ですので省略して伝えられたのかもしれません。

       

 ところで先ほどから登場している「路透」。周りが「伯林(ベルリン)」や「北京」といった地名なので、どこの都市なのか頭を悩ませましたが、大阪の紙面を見て謎が解けました。大阪では「ルーター」と表記しています。これは英国のロイターのことでした。今でも紙面に登場しますね。ロイターは1851年、英仏間の金融情報を配信するところから始めた通信社。現在はカナダの企業に買収されていますが、世界的通信社として有名です。ロイターの中国向けのサイトでは今も「路透」と表記していました。

 テレビもネットも無い明治時代、本社のわずかな海外勤務記者と現地通信員だけでは海外ニュースをカバーしきれません。しかし時代は日清戦争(1894~95年)・日露戦争(1904~05年)を迎え、読者の目も海外に向くようになりました。そのニーズに応えるため、ロイターと契約を結んだのは1897(明治30)年。紙面でも「一日早く海外の重要事項を読者に報道」できると発表しています(別記事6)。同じ面に内外の通信員を充実させる旨の記事もありました。

拡大記事6 1897年12月30日付 大阪朝日朝刊1面。内外の通信網を広げる宣言とともに、ロイター通信との特約締結を発表(2段目)

 社史によると、日本の新聞では東京の時事新報(後に産経新聞と合同)がこの年の4月、いち早くロイター電を掲載できる契約をし、他紙は1日遅れで追いかけるという状態が続きました。そこで大阪朝日は、西日本地区の独占権を認めてもらうという形の契約を結び、対抗したようです。

拡大記事7 1907年1月15日付大阪朝日朝刊1面。タイムズとの契約を発表
 しかししばらくして、東京では各紙共同で契約を結ぶことで独占状態が解消されました。また西日本では、大阪朝日が他紙に独占契約を奪われます。そこで朝日が講じた策は、英国のタイムズ紙と契約を結ぶことでした。タイムズは1785年に創刊した、老舗中の老舗(「タイムズ」と名がつくのは1788年から)。1907(明治40)年1月、大阪朝日は1面で、タイムズとの契約締結を発表します(別記事7)。社史によると、月に2千語、という契約内容だったようです。

 ロイターが「通信を商売」としているのに対し、タイムズは「信用と確実とを旨とし世界第一の新聞たる品位と格式とを保持」と紹介。他紙との差別化をはかったのでした。今回の紙面でもロイターとタイムズは柱を立てて別枠で紹介されているのは、こういう経緯があったからでしょうか。

 話を戻しましょう。今回はそれぞれの記事があるため、タイタニック事故の報道の経緯が分かります。ベルリン電は15日付。沈没し始めたが死者は無く、2隻が救助に向かったとあります。ロイターは16日付。船体は15日午前2時20分に沈没、多数の死者がいるとの報もあるとしており、タイムズも16日付で、救助された人数まで入っています。これを見ると、タイムズ電が一番新しそうです。特約契約を結んだかいがありましたね。

 以降、連日のように事故の記事が載ります。大阪朝日の掲載日で見ると

 【18日付】
・ 乗客2200人、675人救助も一等客のみ(16日、ベルリン電)
・ 汽船カルパチアが868人救助、1300人不明、破片広範囲に散乱(17日、タイムズ)
・ 乗客乗員2358人、救助868人中乗客675人、不明1508人、評論家ステッド氏など著名人も乗船、カルパチア以外の船には遭難者の姿無し(17日、ロイター)
・ 外務省着電では死者1431人、遭難者に日本人も?(東京電話)

 【19日付】
・ 各新聞、船員の規律正しい行動を称賛、船長は泰然と沈没の運命を待った、独保険会社の保険高は150万マルク(17日、ベルリン電)
・ 米タフト大統領が巡洋艦2隻派遣、カルパチア乗船の遭難者705名、避難ボート不足に非難集中(18日、タイムズ)
・ 日本の管船局長「沈没は予想外、実に遺憾」(東京電話)

 【20日付】
・ 大陸各汽船、ニューヨーク航路を南に変更(18日、ベルリン電)
・ 鉄道院副参事の細野正文氏乗船、他に日本人名なし、カルパチア到着(19日、タイムズ)
・ 設備の不備や無線の誤用に民衆は激高、カルパチアがニューヨーク到着予定(19日、ロイター)
・ カルパチアからの無線、行方不明1032人、生存705名、細野氏無事(18日、ニューヨーク電)


記事8 1912年4月21日付大阪朝日朝刊1面。上段部分が社説。中段左から細野氏の談話(クリックすると拡大画像が見えます)
 沈没と運命をともにした船長は、今回のイタリアの事故とどうしても比べてしまいます。そして日本人も乗船していたのですね。生き延びた細野正文氏はミュージシャン・細野晴臣さんの祖父としても知られています。21日付の1面では、その正文氏の談話が掲載されます。遭難者を乗せたカルパチアが、無事にニューヨークに着いたのでした。破格の2段分のスペース、「タ号沈没の惨状」との見出しで、タイタニック事故特集とでもいうべき展開をしています(別記事8)。

 当時の大阪朝日では、1面で2段ぶち抜いて記事を載せることはめったになく、例えば1909(明治42)年に伊藤博文が暗殺された時など、よっぽどの大事件の時だけだったようです。1912年だと1~3月上旬に連日展開した、辛亥革命で混乱する中国情勢の報道のみ。それ以来のぶち抜きです(東京朝日はいずれも1段で、この頃まだ段をぶち抜く習慣がなかったようです。1面は当時全面広告でした)。日本でもそれほど大きな衝撃を与えた事故だったといえるでしょう。

 避難の間、楽隊が演奏し続けた、との乗客の証言も見えます。映画にもあった描写ですね。細野氏は「甲板一杯に群集せしが不思議にも騒がず急がず一切静粛なりしは今に至るも感に堪ヘず」「唯一人の邦人卑怯の振舞ありてはと覚悟を極めし」「明方尚三箇の氷山の悪魔の如く横はるを見たるが、それまでは沈没の原因更に分らず」といった話をしています。いずれも臨場感あふれる生々しさで、今読んでも背筋が寒くなるようです。

 この2段特集の上に、「巨船沈没の教訓」という社説が載っていました。印象深い一節があります。「人類が科学の進歩に依頼して、『自然』の感情の爆発を無視するの、如何に危険なるかを示したり」「船舶に対する監査が、可なり発達し居れるに拘らず、そが単に慰安と愉楽とに向ひたる為、遂に此の過ちあり」……。100年前の事故に際しての警鐘ですが、ほとんどそのまま現代にも向けられているように思えてなりませんでした。

(画像には主な直しだけ朱を書き入れています。現在の朝日新聞の表記基準で認めていない漢字の音訓や、当時は入れていなかった句点を入れる等については、原則として記入を省いています)

【現代風の記事にすると…】

大汽船遭難 初航海で氷山と衝突

 ベルリンからの報道によると15日、初航海中の汽船タイタニック(4万5千トン、ホワイト・スター・ライン社)は全速力での航行中、氷山と衝突した。船首は完全に壊れ、船体はすぐに沈没し始めた。無線で救助を求めたところ、各所から救助船が来て乗客は無事だという。また2隻の汽船もすぐに救助に向かった。ベルリンの無線電信局に届いた知らせによると、タイタニックは昨年建造され、オリンピックと姉妹船。オリンピックも初航海時にソレント海で巡洋艦ホークと衝突する事故を起こしている。(ベルリン特約通信社=日独郵報社取り次ぎ)

大汽船沈没 

 英サウサンプトンを10日に出港し初航海にのぞんでいた世界最大の汽船・タイタニックが、無線で氷山との衝突を伝え、救助を求めた。バージニア、オリンピック、バルチックなどの船が現場に急行している。バージニアは170カイリ(約320キロ)、バルチックは200カイリ(約370キロ)離れている。タイタニックからバージニアへの最後の無線は途中で途切れた。

 ニューファンドランドのレース岬からの知らせによれば、タイタニックは船首から沈没しつつあり、女性の乗客は救命船に移された。同船は14日午後10時25分、氷山と衝突し、すぐに救助を求めたという。

 ニューヨークからの電信によると、タイタニックは15日午前2時20分に沈没。死者はないとのことだったが、続報で多数の溺死(できし)者がいると伝えられた。(ロイター〈上海経由〉)

汽船、氷山に衝突

 16日の英タイムズ紙は、ニューヨークからの情報として、国際海運商事に汽船オリンピックの船長から私信が届いたと伝えた。ホワイトスター社の大汽船タイタニックはサウサンプトンを出発し初航海に臨んだが、15日午前2時20分、北米ニューファンドランドのレース岬付近で氷山と衝突、沈没した。乗客2358人のうち、675人だけが汽船カルパチアに救助されたという。

(広瀬集)

当時の記事について

原文どおりに表記することを原則としますが、読みやすさの観点から

  • 漢字の旧字体は新字体に
  • 句点(。)を補った方がよいと思われる部分には1字分のスペース
  • 当時大文字の「ゃ」「ゅ」「っ」等の拗音(ようおん)、促音は小文字に

等の手を加えています。ご了承ください