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昔の新聞点検隊

夫より犬を可愛がる人、募ります!

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【当時の記事】

ハズよりも犬を愛する花嫁ゐませんか
まんまと捜し当てた彼氏
サテこの幸福な御両人は
ワンクンが取もつ縁

 戌歳の新春を待って、この月半ばに挙げられるちょっと変った結婚式がある

 花婿は河野豊信君、二十九になった、(一部略)千葉の畜産試験所の芝田博士の指導をうけて、いまは木更津でしゃもの肥育をやってる

日本シェパード・クラブの会員で、一昨年の訓練競技会で一等の久邇宮杯をもらった

 シェパードは三匹ゐるし、しゃもは二千羽もゐるし、去年の暮近く、こんどは一人、お嫁さんを探すことにした、で、お嫁さん獲得に関する、同君のスローガン――

「シェパードを十匹以上飼ってないと、さみしうてさみしうてならぬ人」――「亭主より、シェパードの方を可愛がる人」――「従ってまた、亭主がお嫁さんよりシェパードの方を可愛がっても、決してキャンキャンいはぬ人」……

 (一部略)

 「スローガン」を見て「ホホ」と笑って「O・K」といったのが、中島百合子さん、芳紀二十四、世田谷経堂○○○、伯父さんの中島基熊氏は石炭会社の支店長なのだが「犬の用のあるときは、石炭のを方は放ったらかす」という条件つけてる、シェパードの飼育者として我国の第一人者だ

 花嫁百合子さんのゐる「黒狼荘」といふ、伯父さんの家へ行ってみた、花婿の河野君チャンとけふも来とる、例の三ケ条の協定守れるかどうかきいてみたら

 いや、もう駄目ですよ、矢張り犬よりは、こっちの方を可愛がってもらひたいですよ

といふのが、最初厳そかにスローガンを掲揚した当の御本人だ、お嬢さんは、「マア!マア!」とたもとで顔を隠してしまった

 (後略)

(1934〈昭和9〉年1月5日付 東京朝日新聞夕刊2面)

【解説】

 シェパードと一緒に、にこやかに笑う若い二人。犬に寄り添うように同じポーズで座る姿がほほえましく、写真を見ただけで幸せな雰囲気が伝わってきます。国立社会保障・人口問題研究所の調査によると、当時は7割がお見合い結婚で、本人の意思よりも家同士が決めた結婚が珍しくなかったのです。その二人を結びつけたものとはいったいなんだったのでしょう?――答えは、「ワンクンが取もつ縁」の見出し通り、シェパードだったのです。

 さっそく校閲していきましょう。

 新郎は千葉県在住の河野豊信さん、29歳。仕事は畜産試験所で軍鶏(シャモ)を育てること。日本シェパード・クラブの会員でもあり、シェパード3匹と一緒に暮らしているようです。そんな河野さんがお嫁さんを探すことにしました――さて、真っ先にチェックするのはこの「お嫁さん」。広辞苑(第6版)で「嫁」の項目を見ると、まず「息子の妻」という意味が載っています。つまり「家」から見た視線で女性を表しているのです。女性も一人の人として尊重される現代でも、「6月の花嫁」など「新婦」と同じ意味で使うことはありますが、記者の地の文では原則として「嫁」「嫁ぐ」などの表現は使いません。この記事が載った当時(1934年)は「女性は家のもの」という家制度が残っていたので違和感がなかったのでしょうが、「昔の新聞点検隊」は「今の基準」で点検するコーナーなので、「結婚相手を探すことにした」としてもらいます。

 さて、結婚相手を探し始めた河野さんが妻になる人の条件として挙げたのが次の三つ。

 ①シェパードを10匹以上飼っていないと寂しくてならない人
 ②亭主よりシェパードを可愛がる人
 ③亭主がお嫁さんよりシェパードを可愛がっても、キャンキャン言わない人

 ここでチェックが入る表現、わかりますか? 「亭主」という表現です。現代では夫婦は対等の関係ですから、主従関係を連想させるこの表現も通常使いません。条件③ならば「夫が妻よりシェパードを可愛がっても……」と変えてもらいましょう。

拡大2008年に夕刊で連載された「ただいま婚活中」。「婚活」という言葉は、07年にAERAの取材から生まれたと言われている=2008年8月18日付東京本社版夕刊15面

 自分よりも犬を大事にする人を結婚相手の条件にするなんて、さらに妻より犬を大事にすることをあらかじめ宣言するなんて、いくら大事なペットでも思い切った条件を挙げたものです。河野さんにパートナーは見つかるのかしら……と心配になりましたが、見事に見つかったのです!

 新婦は中島百合子さん、24歳。「芳紀」は「女性の若く美しいころ」という意味ですが、「若さ=美しい」と強調しているきらいがあるので、抜くことにします。また住所も「世田谷経堂」の後に番地まで入っていますが、現代は住所を入れるのは「○丁目」まで。ここは「経堂」までで止めてもらいます。

 中島さんの伯父さんは有名なシェパードの飼育者。石炭会社の支店長という要職なのに「犬の用がある時は、石炭はほったらかす」人なのだとか。めいの中島さんも犬好きなのでしょうか。そのあたりが書かれていないので、書き加えてもらいたいところ……というよりも、全体的に中島さんのコメントが圧倒的に少ないと思いませんか? だって、「ホホ」と「O・K」「マア!マア!」しかありません。

 せっかく記者が「3カ条の協定を守れますか?」と聞いているのに、河野さんが先に「犬より自分の方を可愛がってもらいたい」と答えているので、中島さんのコメントがほとんどない結果になっています。読者なら誰でも、スローガンを見てどう思ったか、シェパードと河野さんのどちらを可愛がるつもりなのか、聞いてみたいですよね。「中島さんの今の心境や、スローガンを見た時の感想が知りたいので、取材してみてもらえないでしょうか?」と記者にお願いすることにします。

 あと一つ、気になったのが見出しの「彼氏」。現代の若者ことばと思っていましたが、80年前から使われていたとは驚きです。日本国語大辞典(小学館)によると、昭和初期にタレント・徳川夢声が使ったのが最初だと言われています。朝日新聞の見出しで最初に使われたのは、この記事とほぼ同じ時期の1932年。当時の流行語といったところでしょうか。やわらかい内容の記事に、はやり言葉の見出しを付けるのは現代でもよくあります。ここは流行語ということでそのままにしましょう。

 畜産試験所の「芝田博士」も現代ならフルネームを入れるところですが、突き止められなかったので現代風の記事では仮に「芝田●●博士」としておきます。

 犬好きの伯父さんが引き合わせた2人。親族の紹介なので形は「お見合い」に近いかもしれませんが、スローガンを掲げて希望通りの相手に巡り合えるなんて、理想の「婚活」と言えるかも。7割がお見合い結婚だった戦前。この記事が書かれた翌年の1935年は69.0%がお見合い結婚で、恋愛結婚は13.4%に過ぎなかったそうです。

拡大私も婚活中?
 結婚情報サービス「オーネット」によると、登録した会員の中でペット好きが集まり、お相手を探すイベントも随時開かれているそうです。さすがに「夫よりも犬を大事にする人」を求めているかはわかりませんが、ペットを愛する気持ちを結婚につなげるのは、今も80年前も同じなんですね。

(画像には主な直しだけ朱を書き入れています。現在の朝日新聞の表記基準で認めていない漢字の音訓や、当時は入れていなかった句点を入れる等については、原則として記入を省いています)

【現代風の記事にすると…】

「夫よりも犬を可愛がる妻、募集します」
スローガン通り シェパードが結んだ「縁」、ここにあり

 「シェパードを10匹以上飼っていないと、寂しくて寂しくてならない人」「夫よりシェパードを可愛がる人」「夫が妻よりシェパードを可愛がっても、決してキャンキャン言わない人」―― 

 今月中旬に結婚式を挙げる千葉県木更津市の河野豊信さん(29)は、相手を探すとき、この三つのスローガンを掲げた。河野さんは日本シェパード・クラブの会員で、一昨年の訓練競技会で1等の久邇宮杯を獲得している愛犬家。本業は、同県内の畜産試験所の芝田●●博士の指導を受けながら、シャモの肥育をしている。

 三つのスローガンに「オホホ」と笑い、「OK」した女性が、東京都世田谷区経堂の中島百合子さん(24)だ。伯父の基熊さんはシェパードの飼育者の第一人者として知られている。石炭会社の支店長なのだが、「犬の用がある時は、石炭の方はほったらかす」という条件を付けているほどだという。

 中島さんのいる基熊さんの家を訪ねると、新郎の河野さんも来ていた。例のスローガンを守れるか聞いてみたところ、河野さんが先に「いや、もうだめですよ。やはり犬よりは、こっちの方を可愛がってもらいたいですよ」。中島さんは恥ずかしがって、着物のたもとで顔を隠してしまった。

 (梶田育代)

当時の記事について

原文どおりに表記することを原則としますが、読みやすさの観点から

  • 漢字の旧字体は新字体に
  • 句点(。)を補った方がよいと思われる部分には1字分のスペース
  • 当時大文字の「ゃ」「ゅ」「っ」等の拗音(ようおん)、促音は小文字に

等の手を加えています。ご了承ください