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昔の新聞点検隊

女を泣かせるやつは許さん!

永川 佳幸

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【当時の記事】

酒席へ“寒波拳固”
年忘れの喜劇 粗忽男の猛勇編

二十一日夕方六時頃城東区亀戸町●ノ●●薬局主人、阿久津一作君(四三)が飲み仲間の同町●ノ●●矢沢巳之吉君(三二)と同町●ノ●●●小料理店さかり軒で年忘れの酒を酌んでゐると、阿久津君の長女和子さん(一五)が父の深酒を案じて迎へに来た、酔ひのまはってゐた矢沢君、和子さんの言葉を皆まで聞かず「まアまア心配しないで」と外へ押し出してしまひ和子さん困ってしまって泣き出した、ところがこの場面を見たのが通りかかりの浅草区●●町●●紙箱製造業、●●●●君(三四)

理由は判らないが雪の中で泣きじゃくる少女の姿に同情して傍へ寄り色々聞いて見たが少女は泣くばかりだ、予備海軍一等兵曹で相撲の選手であった江戸っ子肌の熱血漢●●君ここで痴漢が悪戯をしたものと思ひ込んで憤然、さかり軒に飛込み今しも阿久津君と献酬よろしくやってゐた矢沢君に「この出歯亀」と大喝するや否や物凄い拳固を顔面に二ツ三ツ、鼻血に塗れて昏倒するをそのまま意気揚々引きあげ

なほも泣いてゐる少女の肩を軽くたたいて歩き出したものだ、降って湧いた暴行に呆れてゐた料亭主人、近寄って殴られてはとおっかなびっくり尾行して亀戸天神橋交番に急報したので●●君忽ち御用――ここに和子さんもその父親も、被害者も傍にゐた者も呼び出されて事情究明の結果●●君頭を抱へて平謝り 殴られた矢沢君は全治十日間の負傷なので早合点の勇士は一晩亀戸署に泊められる事になったが

矢沢君も江戸っ子、飛んだ間違ひと判ってはこれもはれ上った顔をしかめて「それぢゃア俺の方も少し謝まらなけりゃならねエ」と寛大の処置を懇願、阿久津君は自分の酒故にこの騒ぎを起してすっかり恐縮し、雪の宵の喜活劇はしんみりした終幕…

(1936〈昭和11〉年12月22日付 東京朝日 朝刊11面)

【解説】

 百薬の長とも言われるお酒。アルコールが入ると気分がよくなり、ストレス発散にもなる貴重な飲み物です。しかし、悪酔いして絡み酒になってしまったり、飲みすぎて記憶をなくしてしまったり。思い出したくない経験をお持ちの方も、たくさんいらっしゃるのではないでしょうか。今回は、そんなお酒にまつわる失敗談の記事です。

 舞台は年の瀬の小料理屋。一年の締めくくりに、2人の男性がお酒を酌み交わしています。今年もいろいろあったな、来年はどんな年にしよう――。会話は弾んだことでしょう。「お父さん、飲みすぎてない?」と店まで迎えに来た娘さんの話もろくに聞かず、「心配しないで」と追い返してしまいます。

 まだ夕方の6時だというのに、2人はすでに出来上がっていたのでしょうか。とても30~40代のいい大人がすることとは思えませんが、さすがに「阿久津君と矢沢君」と「君付け」で呼ぶほど幼くはありません。「さん」としてもらいましょう。

 雪が舞い散る寒空の下、追い出されてしまった娘さん。どうしていいのか分からなくなり、泣き出してしまいます。それを通りかかりの男性が目撃し……。あれ? 「通りかかり」は変ですね。偶然その前を通りすがることを、動詞では「通りかかる」、名詞では「通りがかり」と言います。ここは名詞なので「通り『が』かり」としてもらいます。

 この男性、放ってはおけずに女の子の話を親身に聞いてあげようとします。しかし、泣きじゃくるばかりで要領を得ません。ただ、尋常ではない泣き方なのは確か。これは痴漢にあったに違いないと思い込み、店に乗り込んで「犯人」をとっちめてやろうと考えます。さすがは江戸っ子肌の熱血漢!……と記事にはありますが、この江戸っ子肌という表現は要注意です。江戸っ子というと、人情家で正義感にあふれ、意地っ張りでケンカっ早い、そんなイメージがありますが、それはあくまでイメージに過ぎません。引っ込み思案でおとなしい江戸っ子だっているでしょう。

 例えば、「女性らしいしなやかな動き」という表現を見聞きしますが、この「女性らしさ」は主観に基づくものでしかありません。新聞は多様な人たちが読むものであって、一方的なイメージを助長しかねない表現は慎む必要があります。こういったステレオタイプ的な言い回しはやめてもらいましょう。

 さて、憤然とした様子で店に乗り込んだ男性は、「犯人」にいきなり殴りかかります。相撲経験者が繰り出す一発は、それは強烈だったことでしょう。殴られた側はたまったものではありません。鼻血まみれで倒れてしまいます。勘違いと気付かない男性は、意気揚々と女の子の肩をポンとたたいて引き揚げます。

 しかし、ヒーロー気分でいられたのはここまで。人を殴ってケガをさせてしまったわけですから、当然、警察に逮捕されてしまいます。記事には、この男性の氏名をはじめ、住所や職業などの情報が載せられています。朝日新聞は実名報道が原則。しかし、万引きなど軽微な犯罪では、容疑内容と実名で報じることの重みのバランスを考える必要があります。実名を伝えることで、当事者に与える不利益や迷惑の方が大きいと考えられるような場合は匿名で報じる判断もあり得ます。

 今回の事件は、お酒を飲みすぎた男性が、女の子の話をろくに聞かず追い返してしまったのがそもそもの原因。被害者側も処罰を望んではいません。そうした事情をくんで、逮捕された男性は、一晩だけ署で頭を冷やして、釈放される見込みです。一方で、予備兵とはいえ軍隊に籍を置く公的人物が起こした犯罪という微妙なケースでもあります。このあたりの事情を踏まえて、実名のままでいいのか記者の判断を再度、仰ぐ必要があるでしょう。

 多くのお酒好きにとって、ついつい飲みすぎてしまって後で激しく後悔するというのはよくある話。記事の最後では「雪の宵の喜活劇」なんて書き方をしていますが、ひとごとだと笑ってすむものではありません。私も、飲み会の帰りに立ち寄った駅のトイレの個室で眠り込んでしまい、気づいたら朝だった経験が何度かあります。いつ、痴漢と間違われて殴られるかと思うと……。明日は我が身です。

(画像には主な直しだけ朱を書き入れています。現在の朝日新聞の表記基準で認めていない漢字の音訓や、当時は入れていなかった句点を入れる等については、原則として記入を省いています)

【現代風の記事にすると…】

痴漢と勘違い? 男性殴った疑いで海軍予備兵逮捕

 亀戸署は21日、東京市城東区亀戸町の小料理店で男性を殴ったとして、海軍予備兵1等兵曹の男(34)を傷害容疑で逮捕した、と発表した。

 亀戸署によると、21日午後6時ごろ、亀戸町の薬局店主阿久津一作さん(43)と矢沢巳之吉さん(32)が、同町の小料理店「さかり軒」で食事をしていたところ、店に飛び込んできた男がいきなり「この痴漢」と言って、矢沢さんの顔を殴ったという。矢沢さんは鼻から出血して倒れ、全治10日間のけがを負った。男は店から姿を消したが、店主からの通報を受けた署員が発見、逮捕した。

 男は、「店の外で女性が泣いていたので、てっきり痴漢をされたものだと思い込んだ」と話しているという。女性というのは、阿久津さんの長女和子さん(15)。その後の調べで、和子さんは父親の深酒を心配し店まで迎えに来たが、矢沢さんに「心配しないで」と追い出されてしまい、困って泣いていただけだったと分かった。

 男は早合点だと知って反省しており、矢沢さんも「俺の方も少し謝らなければ」と寛大な処分を望んでいることから、男は一晩亀戸署で過ごした後、釈放される見込みだという。

(永川佳幸)

当時の記事について

原文どおりに表記することを原則としますが、読みやすさの観点から

  • 漢字の旧字体は新字体に
  • 句点(。)を補った方がよいと思われる部分には1字分のスペース
  • 当時大文字の「ゃ」「ゅ」「っ」等の拗音(ようおん)、促音は小文字に

等の手を加えています。ご了承ください