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昔の新聞点検隊

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【当時の記事】

本所の怪猫 七不思議以上の怪談

本所区長岡町四十三番地の一廓は其昔松平子爵邸にて十二年前迄は本所養育院なりしが同院の移転後は此処に多くの長屋が出来住む人も少からぬ数となりぬ さる程に廿三日の午後二時頃そぼ降る雨の最中に同番地家屋周旋業池田義敬方表口より何処よりともなく大きさ小犬ばかりもある赤白斑の一匹の古猫ニャンとも言はず台所に入り来り 両の前足にて団扇を挟みすっくと立ちて座敷の方へと進み入るにぞ折柄主人不在にて留守居し居たる下女おみね(十六)は此有様に仰天なし六畳の間に長女お安(三つ)を添乳し居たる義敬の妻お芳(二十七)を呼び起したるより斯くと見しお芳は傍なる雨傘取って打たんとするに件の猫は些の恐れ気もなく前肢挙げてお芳のそぶりを真似するよりお芳も今は怖気を立て其儘に打捨て置きしに猫の姿は程経て台所口より掻き消す如くに失せたりしが同三時頃又々同家の掾側に現れ其場にありし払塵子(はたき)を担いで踊り出す騒ぎにお峰は驚愕の余り早腰を抜かしぬ 猫は斯る間に表口を出でて行方知れずなりたれば同家にては其後の戸締り厳重にホッと息せし甲斐もなく同四時頃に至り三度台所の欄間より侵入し来りしにぞお芳は遂に夢中となり傍の襁褓(おしめ)を打附けしに今度は其を頭に被りて散々踊り散らして立去りしがこの以来長女お安は虫を起し犬を見ても怖い怖いと泣き立つる始末なるが此猫は同日昼頃同番地菓子商宇田川亀太郎方へ赴き同人妻の右手に咬附き翌二十四日には又同番地大工某方へ姿を現し白手拭の頰冠りにて踊る処を棍棒にてしたたか殴打せし為め其後は絶えて姿を見せずなりたれど雨が降らば又もやノコノコと現れ来るならん其時こそは美事に手捕にして見せんと近所界隈の若者等手ぐすね引いて待ち居るとぞ果して然らば奇猫とや云はむ珍猫とや云はん

(1909〈明治42〉年4月28日付 東京朝日 朝刊5面)

拡大本所七不思議のレリーフ。心なしかおどろおどろしい雰囲気がある=東京都墨田区の大横川親水公園
【解説】

 ときは明治末期。そぼ降る雨の中、東京・本所の住宅地に忍び寄る、あやしい猫の影――。

 3年目を迎えました、昔新聞点検隊。今回は、明治の紙面に残る怪談をご紹介したいと思います。見出しによれば、何でも「七不思議以上の怪談」とのこと。期待が高まります。いつものように点検をしながら、一緒に記事を見ていきましょう。

 ある家屋に現れたのは、「大きさ小犬ばかりもある赤白斑(ぶち)の一匹の古猫」。気になるのは、小犬ばかり「もある」という大きさ。大きいことを強調していますが、一体どのくらいか想像がつきますか? 現在の日本にはチワワやトイプードルのような小型犬もいるので、とりたてて大きいというイメージがわきません。当時は、今ほど多くの犬種はいなかったのでしょうが、いろいろな解釈ができる表現はできれば避けたいところ。例えば「柴犬ほどの」「体長約○センチの」といった具体的な表現にできないか、記者に確認してみることにしましょう。

 「赤白斑」は初めに読んだとき、純色の赤を想像してしまいました。毛色ですから、おそらく赤茶っぽい色を指しているのでしょう。日本では昔、白と黒しか色の概念がなく、次にできたのが赤と青だといわれています。このことは、これらが「色」をつけずに形容詞をつくれることばであることからわかります。「白い」「黒い」「赤い」「青い」とはいえても、「茶い」「黄い」とはいいませんよね。緑や紫など「色」をつけても形容詞をつくれないものは、さらに後になって生まれたことばと考えることができます。

 閑話休題。どうやら猫は、大きさも色もとりたてて奇妙なところはなさそうです。怪談はここから。「両の前足にて団扇(うちわ)を挟みすっくと立ちて座敷の方へと進み入る」。レッサーパンダの風太くんも真っ青、なんと二足歩行を始めました。最近では三輪車に乗るびっくり猫もいるくらいですから、「それってむしろかわいいのでは?」なんて考えも頭をよぎります。でも、突然家の中にそんな猫が現れたら……と想像すると、確かに怖いものがありますよね。

 不気味な猫に振り回される家の人たち。おみねさんは肩書が「下女」となっていますが、この職業を低く見るような印象がありますので、「家政婦」などとしてもらいましょう。おみねさんは2回目に出てくるとき「お峰さん」となっています。記者に確認を求めた上で、表記をそろえる必要があります。

 猫は同じ日のうちに3度現れ、はたきを担いだりおしめをかぶったりして踊るなど、家人を騒がせます。翌日には別の家で、白手拭いを頰かぶりにして踊っていたところ、こん棒で殴られて姿を見せなくなりました。「雨が降ればまた出てくるんじゃないか」との臆測が飛び、若い衆は「今度こそ捕まえてやる」と息巻いている――。今回の記事はここで終わっています。

 「怪猫」はこの後どうなったのか。続報を追いかけてみましょう。

 3日後の5月1日付朝刊。「本所三ツ目の怪猫」として評判が広まり、毎晩見物人であふれていると伝えています。マタタビをたらいに入れておびき寄せようとする者、生け捕って見せ物にしようと、徹夜で情報を集める者……。警察も巡査3人を警戒にあたらせました。

拡大「怪猫」が捕まったときの記事=1909年5月2日付東京朝日朝刊5面
 翌2日付朝刊にはついに、「本所の怪猫生擒(いけど)らる」の見出しが躍ります。池田さん方でワナをしかけていたところ、7匹目に目的の猫が捕まりました。お芳さんとおみねさんが「怪猫に違いない」と確認したそうです。一目見ようと、家の周りには黒山の人だかりができたといいます。

 4日付朝刊は、猫が売りに出されたことを伝えます。値がつり上がったため、「『三ツ目の猫』といっても目が三つあるわけじゃないし、大したもうけにもなるまい」などと負け惜しみを言って断念する人もいたとか。このころには記者も世間の関心が薄れていくのを感じたのか、「モー好(い)い加減にするがよい」と記事を結んでいます。

 さて、初めの記事に戻ります。見出しの「七不思議」に触れないわけにはいかないでしょう。世界七不思議、学校の七不思議などさまざまありますが、ここでは「本所七不思議」を指していると思われます。

拡大「置いてけ堀」のレリーフ=東京都墨田区の大横川親水公園
 本所は現在の東京都墨田区の地名です。本所七不思議でもっとも有名なのは「置いてけ堀」でしょうか。ある日の夕方、釣り人が帰ろうとすると、堀の中から「置いてけー」という声が聞こえてくる。しかし周りにはまったく人影がない。「空耳かな」と思って立ち去ろうとすると、足がすくんで動けなくなってしまう。気づくと、釣った魚がいなくなっている……。

 ほかにも、片側にしか葉が出ない「片葉の葦(あし)」、「火の用心」のあとに鳴らす拍子木が、打ち終えた後も繰り返し聞こえる「送り拍子木」などがあります。

 墨田区の大横川親水公園には、本所七不思議を伝えるレリーフがあります。ここにはぴったり七つぶんのストーリーがあるのですが、九つとする説など諸説あるそうです。

 なぜ九つなのに「七不思議」なのか? その理由を深く詮索してはいけません。こちらの世界に、帰ってこられなくなるかもしれませんから……。

(画像には主な直しだけ朱を書き入れています。現在の朝日新聞の表記基準で認めていない漢字の音訓や、当時は入れていなかった句点を入れる等については、原則として記入を省いています)

【現代風の記事にすると…】

大猫出没で大騒動 住民ら捕獲へ躍起 東京・本所 

 23日午後から24日にかけて、東京市本所区長岡町に柴犬ほどの大猫が出没。家に侵入し、人にかみ付いたりいたずらをしたりするため、住民たちが捕獲しようと躍起になっている。

 23日午後2時から4時ごろにかけて、同町の周旋業池田義敬さん方に3度も現れた。池田さん方の家政婦の●●おみねさん(16)によると、体長○センチほど、赤茶色と白のぶちの年寄り猫。義敬さんの妻お芳さん(27)が子どものおしめで追い払おうとしたが、猫はそれを頭にかぶったまま走り回り、台所から姿を消したという。お芳さんの長女お安ちゃん(3)は、以後犬も怖がるようになってしまったという。

 その前の正午ごろには近所の菓子商宇田川亀太郎さん方に現れ、亀太郎さんの妻△△さんの右手にかみ付いた。翌24日には近くの大工の□□さん方に。□□さんによると「白い手拭いをかぶって走り回っていたように見えた。こん棒で強く殴ったため、以後は姿を見せなくなった」。

 近所の若者たちは、「今度現れたら捕まえてやる」と息巻いているという。

 現場は旧松平子爵邸跡の一角で、12年前まで本所養育院だった。同院の移転後は多くの長屋ができ、住む人も増えている。

(森本類)

当時の記事について

原文どおりに表記することを原則としますが、読みやすさの観点から

  • 漢字の旧字体は新字体に
  • 句点(。)を補った方がよいと思われる部分には1字分のスペース
  • 当時大文字の「ゃ」「ゅ」「っ」等の拗音(ようおん)、促音は小文字に

等の手を加えています。ご了承ください