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昔の新聞点検隊

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【当時の記事】

大煙突の頂辺から応援
警官を手古ずらせる若者

【川崎電話】四十余日にわたって闘争中の富士紡川崎工場争議は両三日前から幾分悪化の形勢であったが十六日午前五時の始業時に同工場構内の高さ三百尺の大煙突の頂辺に年齢二十四、五歳の男がよぢ登り頂上の避雷針に赤の大旗を結びつけ小旗を振りながら高声でストライキの扇動をしたため一時場内は騒然としたが警戒中の警官が駆つけ非常動員を行って厳重警戒したため平常通り就業したが居合せた争議団員●●●●外二十一名は総検束にあひ青年は五日分の食糧を携帯し頂上で握り飯を食ひながら赤旗を振って手こずらせてゐる

(1930〈昭和5〉年11月17日付 東京朝日 朝刊7面)

【解説】

 1930年11月、日本列島には昭和恐慌の嵐が吹き荒れていました。労働者の不安は頂点に達し、紡績会社・富士紡の川崎工場でも労働条件の改善を求める争議が続けられていました。そんな時に現れたのが今回ご紹介する「煙突男」です。なぜ煙突男かって? その名の通り、高さ300尺の煙突のてっぺんで130時間にわたり、この労働争議に声援を送り続けたのです。

 紙面に煙突男が登場したのは11月17日付朝刊。若い男が争議中の川崎工場構内の煙突のてっぺんに登り、大声でストライキを扇動している様子を写真とともに掲載しています。

 煙突の高さは300尺。1尺は約30センチなので現代風に直すと約90メートルとなります。大阪の通天閣(すみません、関西人なので)が約100メートルですから、相当な高さです。「5日分の食糧を携帯し」とありますので、数日間は下りないつもりで煙突に登ったようです。

 男は誰なのか、目的はストライキをあおることだけなのか。渦中の人物は煙突の上で、当時は携帯電話などあるはずもありませんから取材することもできないし、とりあえず見たままを伝えた初報であることがわかります。

 続報では、心配そうに煙突を眺めている争議団員の妻や面白がって遠くから見物に来ているやじ馬の様子も伝えています。一方、問題の男は下界の人々の心配など知らぬように小用は上から済ませ、たばこを吸うなどなかなかふてぶてしい様子。煙突の煙で顔は真っ黒だし、身元は謎のまま。下りるよう説得するため労働組合の男性が煙突に登ったものの、全身真っ黒のため誰だかわからないまま下りて来てしまったほど。男の名前が判明したのは事件発生から4日目、19日のことでした。

 煙突のてっぺんの構造がどのようになっていたのかは不明ですが、18日付夕刊には「油紙を敷いてその上に外たうをかけて寝てゐる模様」とあります。11月となると夜は相当冷え込むはず。寒さのため夜は眠らず朝になってから寝ていたようです。

 それにしても煙突に油紙が敷けるの? 高さは約90メートルだけど、幅はいったい何メートルぐらい? 人間が寝られるスペースがあるの? まだまだわからないことだらけなので、ここは記者に取材をしてもらい、続報で書き込んでもらいましょう。

 当時の新聞は、連日この男の様子を追いかけています。見出しをたどっていくと「まだ降りない煙突上の男」「滞空七十時間の怪男子」「滞空今や八十時間」――こうやって当時の記事をまとめて読んでいる私でさえ、正直言って目が離せず展開が気になって仕方がありません。リアルタイムで見守った当時の人たちは、一目でも見に行きたくてうずうずしたことでしょう。

拡大1930年11月22日付東京朝日夕刊2面

 22日付夕刊(上の画像)を見て下さい。煙突男が地上に下りることになった21日には、なんと1万人もの見物客が集まりました。1万人というと、大阪城ホールのコンサートでの収容人数とほぼ同じ。午前8時半にはすでに2千人が集まり、10時には5千人。現場の川崎工場のそばにある川崎大師にお参りに来た人たちが、ものはついでと立ち寄ったようです。群馬県、埼玉県など、遠方からわざわざ汽車に乗って来た人もいたそうだから大したもの。当時はテレビ放送もまだ始まっていませんから、新聞でこの騒ぎを知って集まってきたのでしょうか。

拡大「300尺」だったはずの煙突が続報では「130尺」に=1930年11月22日付東京朝日朝刊7面
 おでんやお酒、今川焼きなどの屋台が立ち並んだほどですから、不謹慎ではありますがまさにお祭り騒ぎ。ここでは、集まった人たちの感想を聞いてみたいですよね。記者に見物客の取材をしているかどうか、聞いてみることにします。現場近くには急ごしらえの望遠鏡を貸す店まで出現したそうです。

 さて、続報をたどっていくうちにあれれ?と思った箇所が一つ。初報では300尺だった煙突の高さが、19日付続報では「185尺」になっているんです。さらに22日付朝刊では130尺と半分以下に(右の画像)。目測であってもそんなに間違うもの? 当時の読者も不思議に思ったことでしょう。今だからこそできる指摘ではありますが、記事の中には特に説明がないので、この高さの違いについてもしっかり書き込んでもらうことにしましょう。

 煙突上で頑張っていた男も、6日目の11月21日、労働争議が一応決着したのを確認し、地上に下りてきました。登っていた時間は実に130時間22分。命綱のロープ1本を体に巻き付けただけで、鉄ばしごを使って1人で下りてきたそうです。お大師さんへのお参りそっちのけで工場裏に集まった1万人の観衆は、大歓声を上げて男を迎えました。

(画像には主な直しだけ朱を書き入れています。現在の朝日新聞の表記基準で認めていない漢字の音訓や、当時は入れていなかった句点を入れる等については、原則として記入を省いています)

【現代風の記事にすると…】

煙突から争議を応援? 40メートルの大煙突、男がよじ登る

 16日午前5時ごろ、富士紡川崎工場(川崎市)構内の高さ約40メートルの煙突の上に、若い男性がよじ登っているのが見つかった。頂上の避雷針に赤い旗を結びつけ、小旗を振りながら大きな声でストライキの扇動をしたため一時場内は騒然とした。

 警戒中の警察官が駆けつけ非常動員を行って厳重警戒したため平常通り就業したが、居合わせた争議団員●●●●ら22人は拘束された。男性は煙突の上でおにぎりを食べているという。警察は慎重に捜査を進めている。

(梶田育代)

当時の記事について

原文どおりに表記することを原則としますが、読みやすさの観点から

  • 漢字の旧字体は新字体に
  • 句点(。)を補った方がよいと思われる部分には1字分のスペース
  • 当時大文字の「ゃ」「ゅ」「っ」等の拗音(ようおん)、促音は小文字に

等の手を加えています。ご了承ください