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昔の新聞点検隊

円太郎から天女? 大空への志願者

松本 理恵子

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【当時の記事】

押寄せたモダン天女志願 けふエア・ガールの採用試験に

「妾こそ空のサービス・ガールよ」と志して押し寄せた尖端嬢百余名水兵服にお下の少女から断髪洋服でぐっとをさまったオールドミスまで渦を巻いて昂奮の顔がズラリと並ぶ

五日、日本航空輸送会社が日本最初の試みとして募集したエアガールの試験当日の光景である

二時から始まるといふのに、午前十一時早くも受付口に現れた松永すい(一六)さんを始め、府立第一高女五年生和田正子さん実践女学校五年生小島性子さん、女子大学出の西川たつ子さん等々高女生や女子大学出の間に交って円太郎嬢から空へ伸び様とする西川たけさん等色とりどりの経歴が午後二時となると既に八十名余

試験官となった朝鮮の女流飛行家朴敬元、相羽同会社社長、道永、木暮両主事、山口教官等の前におずおずと赤い顔を並べてその場で簡単な履歴を書いて差しだすと試験官諸氏「御兄弟は」「どうして御志望になりました」等々ズバズバと切り込み中々鋭いメンタルテストが試みられる

夕刻試験が終るはずだが三日以内に、百三十余名の内から五名を決定、三月上旬から東京、清水市間の遊覧飛行機に乗り込んで空のサービスにエロ味を発散させ様とあるこのサービス代一往復三円、地上のチップよりはよからうといふもの

(1931〈昭和6〉年2月6日付東京朝日夕刊2面)

【解説】

 経営再建中の日本航空が2013年春入社の新卒採用を3年ぶりに再開すると発表しました。3月には国内初の本格的な格安航空会社(LCC)「ピーチ・アビエーション」が就航するなど、航空業界での生き残りをかけた競争は激しくなっています。しかし、利用者にとって最も身近なのは客室乗務員。「ピーチ」では20倍もの狭き門になったようですが、女性にとってあこがれの職業のひとつであることは昔もかわりないようです。今回は日本最初の女性客室乗務員の採用試験の様子を報じる記事を取り上げてみました。

 今までの「昔の新聞点検隊」でも何度か取り上げましたが、1920年代から30年代は新しい仕事につく「職業婦人」が増えた時代。モダンガール、マネキンガールなど○○ガールという言葉がはやっていました。今でいう客室乗務員も「エア・ガール」と呼ばれています。

 今の紙面では「エア・ガール」のような外来語で2語からなる複合語は「・」(中黒)なしで書くことにしています。文中では「エアガール」と出てきますし、本文との整合性をとるためにも見出しの「・」は抜いてもらいましょう。

 また、今では男女の区別なく使える名称にするのが基本です。スチュワーデス、看護婦ではなく、客室乗務員、看護師を使うようにしています。この記事も「エアガール」ではなく、「客室乗務員」としてはどうか提案します。

 1931年2月5日午後2時から行われた採用試験には、予想を大きく上回る141人もの女性が集まり、関係者を驚かせました。この記事では「日本航空輸送会社」とありますが、続報からは「東京航空輸送社」としています。航空史に関する本でも「東京航空輸送社が日本初のエアガールを採用した」とあるのでここは「東京航空輸送社」にしましょう。試験は午後2時開始でしたが午前11時には早くも会場に来た受験者もいました。女性のやる気で会場は熱気にあふれていたのでしょう。写真からも伝わってきます。

拡大「天女」に続いて、東京湾の遊覧船でも女性の採用試験。「浦島ガール出現」と報じた=1931年5月28日付東京朝日夕刊2面

 見出しの「けふ(今日)」も気になります。紙面は2月6日付の夕刊で、採用試験があったのは2月5日。5日の出来事を報じる6日付の夕刊なら見出しは「昨日 採用試験に」となるはずなのですが……。

拡大夕刊発行を知らせる社告=1915年10月9日付大阪朝日朝刊1面
 実はこれ、当時の夕刊が1日後の日付(翌日付)で発行されていたからなんです。2月6日付の夕刊ならば原則として5日に読者の元に届けられていたので、5日の採用試験の見出しは「今日 採用試験に」で良いというわけです。

 朝日新聞が夕刊を本格的に発行し始めたのは1915(大正4)年10月10日(紙面は11日付)。社会の情勢に伴って情報量が増え、朝刊だけでは紙面が手狭になったこと、また、発行回数を増やして迅速な報道を目指すため、などが理由でした。紙面のページ数と発行回数を増やすという一大改革は、多大な経費もかかりましたが、翌月に大正天皇の即位式が行われる記念という意味合いもありました。夕刊の発行開始を知らせる社告には「何等(なんら)か革新的の事業を以(もっ)てするに如(し)くなし」と並々ならぬ決意が書いてあります。

 「翌日付」にしたのは、新聞のニュース報道の速さを強調したかったのと、配送の都合で都心部以外では朝刊と併せて翌日に配達したため、発行当日付の紙面では1日遅れの感が出てしまい、それを避けたかったという理由があるようです。

 その後、太平洋戦争下での紙の節約などの理由で朝日新聞では1944年3月6日付から夕刊の発行を休止しますが、戦後の1949年11月30日(12月1日付)に「夕刊朝日新聞」として朝刊から独立した形で復活。日付が「翌日付」から今と同じ「当日付」になったのは1951年10月1日のこと。朝刊と夕刊の記事が連動性をもって発行されるようになってからでした。

 さて「エアガール」の話に戻りましょう。

 採用試験には若い女性が多く集まったようです。「松永すい(16)さん」は、今なら「松永すいさん(16)」のように「さん」の後に年齢を入れます。ほかにも女学生など受験生の年齢も気になる要素なので分かれば入れて下さいとアピールします。

 和田正子さんの府立第一高等女学校は今の白鷗高校(東京都台東区)。戦後男女共学になり、2005年に付属中学が開校して初の都立中高一貫校になりました。

 「円太郎嬢」という聞き慣れない言葉が出てきます。「円太郎」とは当時の市バス(今の都バス)の愛称。「円太郎嬢から空へ伸び様」はバスの乗務員から飛行機の乗務員に、ということですね。

 明治時代の落語家四代目橘家円太郎が高座に出るときに、乗合馬車のラッパを吹いたところ大ウケして「ラッパの円太郎」と評判になり、乗合馬車の方が「円太郎馬車」と呼ばれるように。関東大震災後の1924年に、間に合わせの車体で走り出した東京の市バスは、ガタガタ揺れて乗合馬車を思わせたので、これも「円太郎バス」と呼ばれることになったといいます。

 「橘家円太郎→ラッパ→乗合馬車→市バス」。まるで連想ゲームですね。

 ちょっと本題をそれますが、この四代目橘家円太郎をめぐっては、会社として苦い経験をしています。存命中にもかかわらず「橘家円太郎死す」(1898年9月16日付東京朝日朝刊)という記事を掲載してしまったのです。その2日後に「円太郎病死の訛伝」(1898年9月18日付東京朝日朝刊)、つまりデマでした、という記事が載っています。実際に亡くなったのは1898年11月4日。どんな記事でも間違いがあってはいけませんが、特に訃報(ふほう)記事の誤報は絶対にあってはならないもので、いまでは様々なクロスチェックをして確認しています。

拡大まず2人が採用確実と報じる記事=1931年2月6日付東京朝日朝刊7面

 閑話休題。

 2月5日の1次試験では141人の受験者から10人の候補者に絞り込まれました。翌日の6日付朝刊では早くも「予選した10名の候補中 本山、和田両嬢はまず確実」などと先走り気味の見出しが見られます。閣僚の人事なみに?この採用試験が世間の注目を浴びていた様子がうかがえます。この後3月5日には2次試験が行われ、女学校を卒業予定の18歳と19歳の計3人(本山英子さん、和田正子さん、工藤雪江さん)が選ばれました。

拡大「エアガール総辞職」を報じる記事=1931年4月30日付東京朝日朝刊7面
 女性の地位向上はこれからという時代です。「オールドミス」などという表現も出てきます。今こんな書き方をしたら「女性を揶揄(やゆ)している」と言われてしまいます。「エロ味を発散させ」も、今ではまず使わない表現。いずれも変えてもらいましょう。冒頭の「妾(わらわ)」は女性の自称ですが、今では時代劇以外ではまず聞きませんね。

 この時の客室乗務員の仕事は現在とはだいぶ違っていました。乗客4人乗りの狭い機内だったので動き回ってのサービスはほとんどできず、地上の景色を説明したりしました。それよりも航空機がまだ危険視されていた時代に女性乗務員が同乗することで安心感をアピールする狙いがあったようです。

 注目を集めた「エアガール」でしたが、楽しみにしていた最初の月給があまりに少なすぎる、と4月末には3人が「総辞職」するという結果に。給与は1往復あたり3円だったそうです。いまの物価にすると2700円程度になるでしょうか(換算方法はいろいろあるのであくまでも参考値ですが)。その後、客室乗務員の本格的な採用が始まったのは1937年のことでした。マスコミは「空(あま)かける天女たち」ともてはやし、乗客にサインを頼まれることもありました。

 そして現代。全日空のホームページによると、同社だけで約5千人もの客室乗務員がいるそうです。最初の3年間は契約社員で、来年の採用予定者の場合、1年目の時給は1235円(乗務開始後、諸手当除く)。それでも多くの人たちが殺到します。「総辞職」した初代エアガールたちがこの様子を見たら、どう思うでしょうか――。

(画像には主な直しだけ朱を書き入れています。現在の朝日新聞の表記基準で認めていない漢字の音訓や、当時は入れていなかった句点を入れる等については、原則として記入を省いています)

【現代風の記事にすると…】

押し寄せた空への志願者 きょう客室乗務員の採用試験に

 5日、東京航空輸送が日本初の試みとして募集した旅客機の客室乗務員の採用試験が行われた。

お下げ髪のセーラー服姿の女子学生から、ボブスタイルの髪形にキャリア風のスーツ姿の女性まで、試験会場は時代の先端を目指そうという100人余りの女性たちの熱気であふれた。

 試験は午後2時からだが、3時間前の午前11時には、早くも松永すいさん(16)が受付に姿をみせて一番乗り。東京府立第一高女5年生和田正子さん、実践女学校5年生小島性子さん、女子大学出身の西川たつ子さんや、市営バスの乗務員から客室乗務員を目指そうという西川たけさんら集まった女性たちの経歴は様々。試験開始時刻までに受け付けを終えた人は八十数人にふくらんだ。

 採用試験の面接官は朝鮮の女性飛行家朴敬元氏、東京航空輸送の相羽有社長、帝国飛行協会の道永主事、木暮主事、山口教官ら航空業界の有名人がずらり。緊張した面持ちの志願者にその場で書いてもらった履歴書を見ながら、「ご兄弟は?」「志望理由は?」などの鋭い質問を繰り出し、その受け答えから志願者の人柄を探ろうとしていた。

 この日の夕方には試験が終わる予定。130人余りの受験者から、3日以内に5人の1次試験通過者が決まることになっている。

 同乗サービスは、飛行機を危険な乗り物だと思う人がいまだ多い中、きめ細かなサービスで乗客に安心してもらうのが狙いで、4月から東京―清水(静岡県)間の定期旅客機で始める計画だ。

 給料は飛行1往復あたり3円といい、市営バスなど地上の女性乗務員よりは好待遇のようだ。

(松本理恵子)

当時の記事について

原文どおりに表記することを原則としますが、読みやすさの観点から

  • 漢字の旧字体は新字体に
  • 句点(。)を補った方がよいと思われる部分には1字分のスペース
  • 当時大文字の「ゃ」「ゅ」「っ」等の拗音(ようおん)、促音は小文字に

等の手を加えています。ご了承ください