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昔の新聞点検隊

拡大1939年4月7日付東京朝日夕刊3面。クリックすると大きくなります。主な直しだけ書き入れています。現在の朝日新聞の表記基準で認めていない漢字の音訓などについては、原則として記入を省いています

【当時の記事】

漫画映画が出来るまで【下】
画面と音楽の一致が中々むづかしい 羨ましい外国の話

 然し今迄申上げたのでは音との関係が云ってない、音と画面との一致は、また難しいもので、その為に数学的な精密な台本が是非必要です

 物語が組立てられると筋に従って人物の動きをテムポに直す、例へば歩くと云ふ様な簡単な動きでも一歩は一テムポ、二歩目は二テムポと云ふ様に五線紙に書き込み、このテムポに適った音楽が作曲されてその上に書かれる、その結果一歩が半秒要するなら一秒二十四齣だから、その半分の十二齣を一歩の為に変化させて描いて行けばよいと判る、かうして音楽の俗に云ふお玉杓子と動きをこの台本で対照しつつ描いて行くと音と動きとピッタリと合ふのです

 しかし音の吹込の時演奏者とか科白をしゃべる俳優が下手だと動きと合はない場合もあるので、外国では先づ音を吹込んでそれに合はせて絵を描いて行き、ディズニィなどはさうやって出来上ったものに、さらにもう一ぺん音を吹き加へて音楽アクセントをつけてると云ふ凝り方です

 極彩色漫画も今と同じ原理、で描いて行く時に彩色に手間がかかるだけで他は撮影、現像の技術に譲る事になりますが、残念乍ら日本には本式の撮影の装置がない、私は十六ミリでやってみましたが、それでさへ相当によいものが出来るのです

 ディズニィの作品などは物語の組立からギャグの考案、作曲、線描、撮影、演奏、科白と総て人が揃ってゐるので、三百人からの人間が働いてゐるとか 羨ましい話です

 私の作品は何から何まで全部一人で、全く器械みたいに働いてやってるんで、作曲と科白だけ安い報酬を出して人にやって貰ってます、昔は現像までやってたんですが之は今は専門家に任せてます

 こんなにしてゐてもいざこのフヰルムを売るとなると、とても安くて必ず損をします、私は食べるには困らないので、少しの損は我慢しますが、好きぢゃなくてはこの仕事はやれません、先づその中には外国にまで輸出する様なものがつくれる様になるだらうと夢み乍らやってるんです

 【写真は自製の粗末な撮影機で漫画映画を製作してゐる大藤氏】

(1939〈昭和14〉年4月7日付 東京朝日夕刊3面)

【解説】

  日本のアニメが海外で人気を博しています。宮崎駿監督の作品は海外の映画賞をいくつも受賞。「ポケモン(ポケットモンスター)」は約70カ国で放映され、多くのサッカー選手が「『キャプテン翼』に憧れた」と話しています。日本動画協会の「日本のアニメの海外展開 2012年版」によると、世界84カ国・地域でのべ1673の作品について、契約が結ばれているとか。

拡大大藤信郎さん 1953年の紙面から
 海外で日本アニメが受け入れられていることは、今でこそ当然のようになっていますが、こんな日が来ることを70年以上前に夢見ていた人物がいました。今回はその人が漫画映画、つまりアニメーション映画の作り方を解説している連載記事を取り上げます。

 大藤信郎さん(1900~61)は日本の草創期を代表するアニメーション作家です。日本で漫画映画が作られ始めて9年後の1926(大正15)年にデビュー作を発表。背景やキャラクターを千代紙の切り抜きで作成し、その切り抜きを少しずつ動かしながら1コマ1コマ撮影していく当初の手法から、その作品は「千代紙映画」として知られています。

●まずはいつもの校閲から

 「漫画映画が出来るまで」と題した上下連載です(「上」は別記事1)。今回は「下」ですが、写真説明に小さく「大藤氏」とあるだけで、前日に「上」を読み損ねた読者には誰の文章か分かりにくいですね。見出しか記事に大藤信郎さんの名前と肩書を明記するべきでしょう。

拡大別記事1 1939年4月6日付東京朝日夕刊3面「漫画映画が出来るまで 上」

 他は表記の細かい指摘が2点。「描いて行く」という表現が何カ所か見られますが、この場合の「行く」はメーンの動詞の後ろに付いている「補助動詞」。本来の意味(英語で言うところの「Go」)は薄れていますので、現在の朝日新聞では平仮名で「描いていく」と書いています。

 大藤さんがほぼ1人で「器械みたいに働いて」作品を制作している、という部分は「機械」としましょう。一般的に、自ら動くのが「機械」、人間が動かす装置類は「器械」とされていて、この場合は前者のイメージでしょう。ただ、明確に使い分けが決まっているわけではなく判断に迷うので、朝日では「器械体操」のような定着した用例以外は「機械」に統一しています。

●5分で1万1千枚のセル 描く作業は倍

 戦前の作品なんて、現代に比べればちゃちなものだろう、と思われる方もいるかもしれません。しかし実際に鑑賞したところ、その精巧さと面白さに驚きました。大藤作品のいくつかは、DVDにまとめられていて現在でも鑑賞できます(「アニメーションの先駆者 大藤信郎 孤高の天才」〈紀伊国屋書店、2010年〉)。特にキャラの動きがなめらかなことに目を奪われます。

 それもそのはず。「出来るまで・上」を要約すると以下のようになります。

・1秒は24コマ。約5分の映像に1万1千コマが必要
・下から光を当てて前のコマと少しだけ動きの異なる絵(現在は「動画」と呼んでいます)を一枚ずつ描いた後、それぞれセルに写し描き。都合2万2千枚を1人で描く
 (背景は動かないので場面ごとに1枚)
・セルの裏から絵の具で彩色
・背景とセルを合わせて撮影。セルを取り替えて写し、取り替えて写し……これも1万1千回

 戦後、テレビで毎週アニメを流すようになると制作に早さが求められ、同じ絵で3コマ分撮影してセル画数を間引く(つまり1秒に必要な絵は8枚)など、省力化が進みます。しかしこの記事を読む限り大藤さんは全コマ分描いていたようです。これがなめらかな動きの理由なんですね。一つの動きに要する絵が多いほど、動きはスムーズに見えます。それにしても動画とセル合わせて2万枚。気が遠くなる数ですね……。

●漫画映画の難関、トーキー

 「下」の概要は以下のようなことです。

・録音には精密な台本が必要
・1歩目、2歩目といった動きの節目を「テンポ」で表し、五線譜に転記。テンポに合わせた曲を作る
・演奏者や俳優(声優)が下手だと、画面と音がずれてしまう
・カラー映画は彩色に手間がかかるだけで作り方は同じ
・作曲とセリフ、現像以外はすべて一人でやる
・手間をかけて作っても廉価で、必ず赤字

拡大現代のセリフ録音風景。音楽、効果音、セリフは別々に録音し、後で一つの音声にする=京都精華大提供
 この記事の数年前ごろから、漫画映画も無声からトーキー(音声付き)への移行が本格的に始まりました。雑誌「映画評論」1934年7月号には次の二つの方法が紹介されています。

(1) 出来上がった画面を見ながら音楽を演奏し、セリフも同時に録音する手法
(2) キャラの動きを五線譜に細かく落とし込んで動きに忠実な楽譜を書き、画面を見ずにメトロノームのようなものに合わせて録音する手法

 (1)は現代の録音法に近いですが、京都精華大マンガ学部アニメーション学科の津堅(つがた)信之准教授(アニメーション史)によると、大がかりな設備が必要だっただろうとのこと。断言はできませんが、精密な台本・楽譜づくりを紹介しているところを見ると、ほぼ一人で制作している大藤さんは(2)の手法を採用していたのかもしれません。どんな映像か分からずに録音する演奏者、声優も大変ですが、セリフも音楽もコマ単位のタイミングを計算して作らねばならず、芸術センス以外の能力も必要な、根気のいる作業です。

●最先端の人

 カラー映像についても触れられていますね。当時カラーは最先端の技術で、日本では映写施設が皆無に近かった状態。アマチュアの前衛的な映画作家と共同で研究していたようです。

 カラーに限らず、映像に音を合わせる技術や、影絵を使ったアニメーションにも、大藤さんはいち早く挑戦して作品を発表しています。前出のDVDで大藤作品一覧表の作成にも携わった津堅さんによると大藤さんは早い段階で自主制作の道を選び、独自の路線を突き進んだ人物。その作風は、「誰の影響も受けず、誰にも影響を与えず」と評することができるそうです。

●アニメーションへの情熱

 そのため「孤高の天才」などとも称されてきたようですが、この呼び方だと、冷たく少し変わった人、という印象を受けそうになります。しかし津堅さんによると、最近の研究から新たな一面も見えてきました。

 まずメディアへの露出が意外に多いこと。そして自分の技術を惜しみなく語っていること。今回の記事も、これらの新たな証明となりましたが、6年前にも同様の記事がありました(別記事2)。

拡大別記事2 1933年3月19日付東京朝日朝刊5面「皆さんが大好きな『漫画の活動』 どうして作られるか?」。子供向けの紙面で大藤さんにインタビュー(画像は一部加工しています)

 当時の漫画映画業界には技術を門外不出にする傾向があったそうで、大藤さんのような人は異例。津堅さんは、大藤さんが決して世間から離れて制作のみに没頭していたわけではなく、自分と同じような自主制作者の力になりたいという考えを持っていたのではないか、と推測しています。

 そう聞くと、急に大藤さんが熱い人のように感じられてきました。思えば、赤字は確実なのにほぼ独力で、面白い話を考え、音声や音楽の挿入を計算した細かい台本を書き、ほんの少しずつ違う2万枚以上の絵を描き、彩色してそれを1枚1枚撮影するなんて、よほどの情熱がなければ出来ないこと。この記事の末尾、「外国にまで輸出するようなものが作れるようになるだろうと夢見ながら」とあるのは、「夢」と言いながら実は明確な目標だったのかもしれません。

 記事中、何百人もの分業制で大作を作るディズニーをうらやましがっていますが、大藤さんは亡くなるまで自主制作のスタンスをほとんど崩しませんでした。意地もあったのかもしれません。その情熱や努力の結果は、戦後、海外で評価されています。カラーセロハンを使った影絵アニメーション作品「くじら」で1953(昭和28)年のカンヌ国際映画祭短編グランプリ2位を獲得。あのピカソも絶賛したと伝えられています。さらに1956年には「幽霊船」でベネチアの国際映画祭でも特別賞を受賞しています。

拡大パソコン上で彩色をする実習中の学生=京都精華大提供
●引き継がれる夢

 没後、遺族は財産を毎日映画コンクールに寄託。それを基に日本初のアニメーション賞「大藤信郎賞」が設けられました。大藤さんが生前「若い人を育てる賞を作りたい」と語っていたから、という説もあります。第1回(1962年度)受賞者が、手塚治虫さん。80年代には宮崎駿さんも受賞しています。

 「鉄腕アトム」のテレビ放映で日本はアニメ新時代を迎え、宮崎映画で日本のアニメ映画は世界で確固たる地位を獲得したといっても過言ではありません。直接の影響を与えたわけではないのに、まるでその情熱が次世代、次々世代へと引き継がれていったように感じられます。

 現在、アニメの制作現場は大きく進化しています。分業化が進み、コンピューターの導入でセルに動画を写して彩色し撮影するという工程はほぼ無くなりました。動画はスキャナーで取り込まれ彩色をパソコン上で行い、そのデータはそのままフィルム作成工程に回ります。やろうと思えば、動画も必要最低限に減らし、パソコン上だけで動きのあるコマを作成することも可能です。ただ、日本のアニメ業界では今も、1枚1枚動画を描く工程だけは省いていないとのこと。動作の表現の仕方は十人十色で、そこに個性や味が表れるから、と津堅さんは解説します。

 訪ねた日も、京都精華大の学生たちが動画を何枚も描いて絵に命を吹き込む実習に取り組んでいました。大藤さんの頃から変わらない工程が、アニメ制作の肝であるということも、また興味深いですね。

 亡くなってから半世紀、いまや日本は大藤さんが「夢」と追ったアニメ大国となりました。そして昔と変わらぬ情熱で学ぶ新たな担い手たちも次々とうまれています。空の上の大藤さんも、満足していることでしょう。

拡大動画を描く実習の様子。(右)絵を重ねて次の動きを描く (左)描いた絵をパラパラとめくって動きを確認=5月はじめ、京都精華大

【現代風の記事にすると…】

アニメ映画が出来るまで【下】――アニメーション作家・大藤信郎さんに聞く
難しい画面と音楽の一致 うらやましい外国の話

 まだ音と映像の関係にふれていませんでした。音と画面との一致がまた難しく、そのために数学的ともいえる精密な台本が必要です。

 物語ができると筋に従って人物の動きをリズムに直します。例えば歩く動きなら、1歩は1拍子、2歩目は2拍子という具合に五線譜に書き込み、このリズムに合わせた音楽を作曲します。1歩に0.5秒要するなら、1秒24コマだから、その半分の12コマを1歩のために描けばよいと分かります。音符と動きをこの台本で対照しつつ描いていくと音と動きがピッタリ合うのです。

 しかし音の吹き込みの時、演奏者や声優が下手だと動きと合わない場合もあります。外国ではまず音を吹き込んで、それに合わせて絵を描きます。ディズニーなどはそうやって出来上がったものに、もう一度音を吹き加えて音楽アクセントをつけているそうです。

 カラーアニメーションも原理は同じで、彩色に手間がかかるだけ。後は撮影、現像の技術のお話になります。残念ながら日本には本格的な撮影装置がありません。私は16ミリでやってみましたが、なかなか良いものができました。

 ディズニーの作品などは物語の構成からギャグの考案、作曲、線描、撮影、演奏、声優とすべての工程を分業しているので、300人もの人間が働いているとか。うらやましい話です。

 私の作品は何から何まで全部1人で、機械のように働いて作っています。作曲と声優だけ安い報酬で人を雇っています。昔は現像もやっていましたが、これも今は専門家に任せています。

 こんなに苦労しても、いざこのフィルムを売るとなると、とても安くて必ず損をします。食べるのには困っていないので少しの損は我慢しますが、好きじゃなくてはこの仕事はやれません。そのうち外国に輸出できるようなものが作れるようになるだろう、と夢見ながらやっているんです。

 【写真は自製の撮影機でアニメ映画を制作している大藤さん】

(広瀬集)

当時の記事について

原文どおりに表記することを原則としますが、読みやすさの観点から

  • 漢字の旧字体は新字体に
  • 句点(。)を補った方がよいと思われる部分には1字分のスペース
  • 当時大文字の「ゃ」「ゅ」「っ」等の拗音(ようおん)、促音は小文字に

等の手を加えています。ご了承ください