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昔の新聞点検隊

拡大1891年1月5日付東京朝日朝刊4面。画像をクリックすると大きくなります。画像には主な直しだけ朱を書き入れています。現在の朝日新聞の表記基準で認めていない漢字の音訓や、当時は入れていなかった句点を入れる等については、原則として記入を省いています
【当時の記事】

●凌雲閣の絶倒と小便 こんな事でハ中々スペンサーの弟子に成て空中飛降なと思ひも寄らず 一昨日浅草凌雲閣の十二階まで上ってヤア地下に歩いて居る人間ハ豆粒位ゐだなどと云って居る中眩暈た小僧ハ本所小梅村の紺屋何某の弟子で三吉(十五)といふ者、また此の十二階上よりシャアシャアと小便を迸らしたハ浅草小島町●●番地の●●某の忰重吉(十五) こりゃア面白いと云って居る間に巡査に見つけられて忽まち拘引

(1891〈明治24〉年1月5日付 東京朝日朝刊4面)

【解説】

 先月22日に開業した高さ世界一の電波塔、東京スカイツリー(東京都墨田区、634メートル)。開業5日間で周辺施設を含め累計来場者は100万人を突破し、連日にぎわっています。雲を凌(しの)ぐこの東京の新名所ですが、明治・大正期にはこの新名所から西へ2キロ弱、隅田川を渡ってすぐの浅草の下町に、読んで字のごとく「凌雲閣(りょううんかく)」という名所がありました。

拡大凌雲閣の開業広告=1890年11月6日付東京朝日朝刊3面
 「浅草公園 凌雲閣」は浅草寺のすぐ西側に、1890(明治23)年11月11日に開業しました。パリのエッフェル塔完成の翌年です。12階建てで、高さは52メートル。1~10階がれんが造り、11・12階が木造で、日本初のエレベーターを備えた高層建築物でした。もっともこのエレベーターは故障続きで翌91年には停止しています。

 設計したのはウィリアム・バルトン(1856~99)。スコットランド生まれの英国人技術者で、明治期のお雇い外国人の一人でした。東京を始め、各地の上下水道設計や整備に尽力し、「日本の上下水道の父」といわれています。名探偵シャーロック・ホームズで有名な作家コナン・ドイル(1859~1930)の幼なじみでもありました。

 凌雲閣は「十二階」の名で親しまれました。入場料は大人8銭、子ども4銭。当時のかけ・もりそばは1銭、理髪料金が5銭、朝日新聞(大阪、明治24年)の月額購読料は28銭の時代でした。2~7階が土産物などの店舗、8階が休憩室、10~12階が展望室になっていたようです。

 川端康成、芥川龍之介、田山花袋、室生犀星、江戸川乱歩らの文士もその作品のなかで、凌雲閣を登場させています。石川啄木は「浅草の凌雲閣のいただきに 腕与し日の 長き日記かな」と詠んでいます。また、東京の名妓(めいぎ)の絵図を展示した「百美人」や美人画展覧会なども催され、人気を博したそうです。

 浅草生まれで、銀座の喫茶店「カフェ・ド・ランブル」店主・関口一郎さん(98)は子どもの頃、早朝、父親とともに浅草寺にお参りに行く時に「十二階」を眺めたそうです。当時の凌雲閣周辺は、映画館や講談・見せ物小屋が立ち並び、たいそうなにぎわいだったといいます。

拡大「名物十二階の最期」の記事=1923年9月25日付東京朝日朝刊2面
 浅草名物・凌雲閣は1923(大正12)年の関東大震災で8階から上が倒壊、残った楼閣も延焼しました。関口さんは避難した上野から、凌雲閣が陸軍の工兵隊により爆破撤去される様子も見ています。「1度では壊れず、2度目の爆破で倒れた」そうです。そして震災を契機に浅草の風情や粋も移り変わっていったといいます。

 記事に戻りましょう。冒頭の「スペンサーの弟子に成て空中飛降」は、当時の社会や世相を反映しているのでしょうが、現代人には説明が必要でしょう。

 スペンサーとは、英国の哲学・社会学者ハーバート・スペンサー(1820~1903)のことです。その著作が日本でも翻訳され、社会進化論や自由民権の思想が明治の社会に影響を与えていました。また、19世紀中期には欧米で飛行(滑空)実験が行われており、ドイツのオットー・リリエンタールやアメリカのライト兄弟(1903年動力飛行成功)らにより空を自由に飛ぶことが夢から現実に向かう時代でもありました。

 記事の少年2人はいずれも実名です。現在も事件報道では実名が原則ですが、少年事件では少年法61条の規定で法的な規制があります。少年の更生を妨げないよう、補導された少年は匿名にします。卒倒した少年も、事件を起こしたわけではありません。このような記事なら今では名前は出さないでしょう。

拡大凌雲閣の跡地に立つ記念碑=東京都台東区浅草2丁目
 記事は凌雲閣が開業してまもなくのハプニング。当時、東京の市街地を展望できる最高峰は、現在の港区にある愛宕山(標高25.7メートル)でしたから、少年たちの驚きと興奮は想像に難くありません。しかし、12階からの用足しには、見つけて少年を捕まえた巡査さんもさぞ驚いたことでしょう。

 今年4月と5月、開業前の東京スカイツリーに「上りたい」と施設に侵入しようとした少年らがいました。また、東京タワーでも開業(1958年12月)の翌年、「上りたい」と熊本から家出し、“泥棒旅行”の末に入場を果たした少年らもいます。それぞれの出来事は褒められた話ではありませんが、時代は変わっても高い塔へのあこがれは変わらないということでしょうか。

【現代風の記事にすると…】

●浅草・凌雲閣で2少年お騒がせ 卒倒と放尿

 東京市浅草区の浅草公園内の凌雲閣で3日、同市本所区の少年(15)が12階の展望室に上がり、「歩いている人が豆粒のようだ」と下をのぞき込んでいるうちに目を回して卒倒した。

 また○○署は同日、浅草区の少年(15)が凌雲閣12階から路上に小便をしているのを警察官が見つけ、軽犯罪法違反の疑いで補導したと発表した。同署によると少年は「面白くて愉快だった」と話しているという。

(上田孝嗣)

当時の記事について

原文どおりに表記することを原則としますが、読みやすさの観点から

  • 漢字の旧字体は新字体に
  • 句点(。)を補った方がよいと思われる部分には1字分のスペース
  • 当時大文字の「ゃ」「ゅ」「っ」等の拗音(ようおん)、促音は小文字に

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