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昔の新聞点検隊

落とし物は……花嫁さん!?

拡大1927年9月30日付東京朝日夕刊2面。画像はクリックすると大きくなります。主な直しだけ朱を書き入れています。現在の朝日新聞の表記基準で認めていない漢字の音訓や、当時は入れていなかった句点を入れる等については、原則として記入を省いています。また個人情報に配慮し、名前を一部伏せています
【当時の記事】

嫁入の娘を落す
神戸へ行く老人が
上野駅の混雑にまぎれて

二十九日早朝から上野駅構内を紋付姿の老人がうろうろし、十時頃になってもまだうろついてゐるので駅員が調ると老人は山形県西村山郡鈴木村小柳、鈴木●●(五五)といひ、同日午前五時五十五分着の列車で長女○○○(二○)を連れ、許婚なる神戸市三宮の某汽船会社員鈴木××方へ嫁入にゆく途中、山手線と京浜線の混雑に娘を迷児にしてしまったもので、娘は誘かいされたかどうしたのかまだ見当らないとの事に駅員も同情して各方面に照会中である

 (1927〈昭和2〉年9月30日付 東京朝日夕刊2面)

拡大1927年9月30日付東京朝日朝刊7面。画像はクリックすると大きくなります
落された花嫁
すまして静岡へ
気がせくままに父親の
心配など構はずお先へ

     ◇

夕刊詳報の上野駅で父親から落しものにされた嫁いり娘山形県西村山郡鈴木村字小柳鈴木●●長女○○○さんについて同駅では直に山手京浜の省電駅を始め東海道線各駅へ電話をもって急報し大捜索を行うた

     ◇

その結果同日午後十二時五十六分静岡駅へ東京駅午前六時五十二分発下関行列車が到着し右の情報により客扱専務車掌が客車内各室毎に大声をあげ同人の名を呼び回ると前部から二台目の三等の一隅に島田まげの娘が、はっと立上ったので尋ねるとこれが前記の花嫁と判明した

    ◇

同女は嫁いりの先を急いだ結果、父親にかまはずひとりでどしどし先の汽車に飛び乗り同駅で始めて発見されたものである、この旨を上野駅へ通報したので同駅長室に娘の行方を案じ放心したやうになってゐた父親は小躍りして喜び娘の後を追うて午後五時東京駅発の下り列車で馳せつけた

     ◇

一方花嫁は神戸三宮へと直行させ同駅で待合せて親子両人婿殿鈴木××方へ入ることとなったとは目出度し目出度し

(1927〈昭和2〉年9月30日付 東京朝日朝刊7面)

拡大駅舎が新装された上野駅。1932年4月6日付東京朝日夕刊2面
【解説】

 「嫁入の娘を落す」――えっ、一体どういうこと? いきなりセンセーショナルな見出しが目を引く冒頭の記事。6月といえばジューンブライド!と結婚式関連の記事を探してみたのですが、えらく物騒な記事を見つけてしまったものです。娘を落とすって何?

 慌てて読み進めると、わざと落としたのではなく、結婚式へと向かう旅の途中、雑踏の中で、主役の花嫁と父親がはぐれてしまったのだということがわかります。

 「娘を落とす」とすると確かに読者の目を奪います(私も一気に引きつけられてしまいました!)。でも、やはり人間を「落としもの」にたとえるのは失礼では、と感じます。また、「嫁入り」という表現も気になります。以前の昔新聞でも触れましたが、「嫁入り」は女性を独立した個人ではなく、「家」に入る者という視点で表している言葉。この記事が書かれたころ(昭和2年)は当たり前の表現だったのでしょうが、現代では記者が書く記事では「嫁入り」「嫁ぐ」などの表現はあまり使いません。当時の結婚のしきたりなどを考えるとなかなか難しいですが、この見出しは「結婚式に向かう途中、花嫁が行方不明」などが良いのではと思います。

 今回は二つの記事を取りあげています。いずれも1927(昭和2)年9月30日付です。冒頭の夕刊の記事が一報で、その下の朝刊の記事が続報。「同じ日付なら朝刊の方が先に届いたんじゃないの?」と思われるかも知れません。実は当時、夕刊は翌日の日付で発行していたので、「30日付夕刊」は29日に作っているのです(このあたりの事情は4月24日公開の「円太郎から天女? 大空への志願者」で詳しく解説しています)。

 では冒頭の記事から点検していきます。まず「上野駅」。いくら有名な駅であっても事件記事では所在地を書くのが基本です。「東京市下谷区」(現在の東京都台東区)と入れてもらいましょう。2行目の「十時頃」も、午前か午後かを明示するのがルール。夕刊で入ったニュースということを考えると午前と思われますが、念のため確認してみます。

 次は鈴木さん親子の住所。現代では「郡」は入れませんので抜いてもらいます。ここで地名辞典などを調べてみると、鈴木さん親子が住んでいた「鈴木村」は山形県には存在しなかったようです。似た地名では「鈴川村」がありましたが(1943年に山形市に編入)、こちらは当時は東村山郡でした。名字が「鈴木」だけに混同したか、聞き間違えたのでしょうか? これは記者に確認してもらわねばなりません。とりあえずここでは「鈴川村」と仮定することにします。

 1883(明治16)年開業の上野駅。この記事の2年前、1925(大正14)年に上野-神田がつながり山手線の環状運転が始まりました。同時に京浜線も東京駅から上野駅に乗り入れるようになり、列車の到着時刻ともなると混雑を極めていたに違いありません。山形県から、おそらくめったに乗らない列車に乗ってやっと東京に着いたのに、肝心の娘さんが行方不明になってしまうとは……。慣れない場所で途方に暮れながらも、雑踏の中を紋付きはかま姿で娘さんを捜し回るお父さんの姿が目に浮かびます。駅員さんが同情するのも無理はありません。

 情景が思い浮かんだところで二つ目の記事に入りましょう。いきなり「父親から落しものにされた嫁いり娘」という表現があります。これはちょっと、困っている父子に対して配慮のない表現だと思いませんか? 娘は物ではありませんし、お父さんもわざと迷子にさせたわけではありません。「父親とはぐれ、行方不明になった」としてはどうか、と記者に提案することにします。

 駅員さんが電話で行方不明の女性がいることを東海道線の各駅に伝え、各地で捜索した結果、娘さんは下関駅行きの列車の中で無事に見つかりました。

 「島田まげの娘が、はっと立上った」とありますが、島田まげとは、和装の結婚式などで今も人気のある文金高島田のもとになった、髪を高く結ったスタイルのこと。当時の花嫁のこし入れスタイルの定番です。

 でも昭和2年といえば、ハイカラで西洋風の装いをしたモガ・モボ(モダンガール、モダンボーイ)の全盛期でもあります。髪の短いモダンな女性が珍しくない中、列車の中に島田まげの女性が1人でいたら、さすがにとても目立ったことでしょう。服装もやはり白むく姿だったのでしょうか。

拡大真ん中の写真が島田まげ。1933年12月15日付東京朝日朝刊13面

 無事に娘さんが見つかり、お父さんもホッとして結婚先の神戸に向かい、めでたしめでたし……なのですが、この記事は鈴木さん親子のコメントが一つも入っていないんですよね。しかも娘さんについては「急いだ結果、父親にかまはずひとりでどしどし」とされ、見出しも「すまして静岡へ」「心配など構はずお先へ」と、「父親をほったらかしにした」という記者の先入観があるように感じます。若い女性が1人で長距離列車に乗ることなどほとんどなかった時代に、人混みをかきわけて無事に列車に乗り込んだことから「たくましい」というイメージを持ったのだと思いますが、もちろん1人ぼっちで心細い気持ち、父親を案じる気持ちがあったに違いありません。可能であれば、娘さんのコメントはぜひ入れたいところです。

 現代ならば夜行列車を使うこともなく、新幹線なら5時間ほど、飛行機なら3時間もかからず(乗り継ぎは必要ですが)結ばれている山形-神戸。結婚式の着付け・ヘアメークも現地でするのが普通です。携帯電話などあるはずのない昭和初期、島田まげが目印になって無事に見つけられた花嫁。何はともあれ、幸運に恵まれた結婚生活のスタートといえるのではないでしょうか。

【現代風の記事にすると…】

結婚式に向かう途中、花嫁が行方不明に
父親と神戸に向かう途中、上野駅で

 結婚式に向かう途中の花嫁が行方不明に――。東京市下谷区の上野駅の構内で29日、結婚式のため、山形県から上京してきた女性の行方がわからなくなったと、付き添ってきた父親が駅員に届け出た。紋付き袴姿で同日早朝から何時間も駅構内を行ったり来たりしている男性に駅員が声をかけたところ、姿が見えなくなった娘を捜していたと話したといい、駅員らも捜索に協力している。

 父親の山形県鈴川村小柳、鈴木●●さん(55)によると、姿が見えなくなったのは娘の○○○さん(20)。神戸市三宮の汽船会社員鈴木××さんとの結婚式のため、親子で神戸に向かう途中だったという。同日午前5時55分に上野駅に着き、乗り換えようとした際、山手線と京浜線を利用する人の人混みで、はぐれてしまったらしい。ただ、誘拐された可能性もあり、駅員らが各方面に連絡を取るなどして、○○○さんの行方を捜している。

(1927〈昭和2〉年9月30日付 東京朝日夕刊2面)

行方不明の花嫁、静岡で見つかる

 東京市下谷区の上野駅で行方不明になっていた山形県鈴川村小柳、鈴木○○○さんが29日昼過ぎ、静岡駅に到着した列車内で無事に発見された。

 上野駅では東海道線各駅に電話をするなどして大捜索をしていたが、29日午後0時56分、静岡駅に到着した下関行き列車(午前6時52分東京駅発)内で○○○さんを発見した。車掌が列車内で客室ごとに大声で○○○さんの名を呼び回っていたところ、2両目の3等列車の隅で島田まげの女性が、はっとした表情で立ち上がったため名前を尋ねたという。

 ○○○さんは結婚式に急いでいたため、父親とはぐれたものの会場の神戸に向かう汽車に飛び乗ったという。上野駅の駅長室で娘の行方を案じて放心していた父親の●●さんは発見の一報を聞いて小躍りして喜び、午後5時、東京駅から列車に乗って娘の後を追った。

 一方、○○○さんはそのまま神戸・三宮に直行。三宮駅で父親と待ち合わせ、無事に鈴木××さんとの結婚式が執り行われる運びとなったという。

 (1927〈昭和2〉年9月30日付 東京朝日朝刊7面)

(梶田育代)

当時の記事について

原文どおりに表記することを原則としますが、読みやすさの観点から

  • 漢字の旧字体は新字体に
  • 句点(。)を補った方がよいと思われる部分には1字分のスペース
  • 当時大文字の「ゃ」「ゅ」「っ」等の拗音(ようおん)、促音は小文字に

等の手を加えています。ご了承ください