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昔の新聞点検隊

誤記から生まれた?嫌われもの「G」

市原 俊介

 今回は昆虫、しかも、名前すら耳にも目にもしたくないという人も多い嫌われ者の虫がテーマです。お食事中の方は、食事が済んでからご覧になることをお勧めします。

拡大1927年5月26日付東京朝日朝刊7面。画像はクリックすると大きくなります。画像には主な直しだけ朱を書き入れています。現在の朝日新聞の表記基準で認めていない漢字の音訓や、当時は入れていなかった句点を入れるなどは、原則として記入を省いています。また、レイアウトの都合で一部修整しています
【当時の記事】

そろそろ活動する油虫とアリ もっとも良い退治薬

これから家の中に大威張りで侵入して来て、人間のたべ物を荒したり、器物や書物(かきもの)、靴までをかぢりまはる俗に油虫と称へる、こげ茶色で小さいのは五分位から大きいのは一寸余りもあって、台所の、殊に火を多く扱ふあたりを、素早くチョロチョロとかけ回るゴキカブリや又はアリはしつこく攻め寄せること鼠やはへ以上で、しかもなかなか退治られない厄介な虫です。

(略)家の中でも暖かいところ、湿気の多いところを好んで選び住みます。薄暗い場所には昼間でもチョロチョロしてゐますが、もし人が居なければ明るいところでも横着に出て来ます。でも一番好きなのは夜陰で、もっとも活動する時なのです。

(略)

さてこのゴキカブリを退治るには、弗化ナトリュームが人体にも無害ですから一番いいものです。この薬品は非常に細かい白い粉で、虫のすむ隙間に、紙を折った間にはさんで流し込むやうにしていれるのです。ただこの薬をかけても、水に溶けるやうな事をしては効目がなくなります。それから食物をしまったり調理したりする所で使ってもかまひませんが食物についたり中に入ったりしないやう注意が要ります。

(後略)

(1927〈昭和2〉年5月26日付 東京朝日 朝刊7面)

【解説】

 梅雨に入り、蒸し暑くなってきました。今回取り上げるのは、そんなムシムシする季節が大好きな、害虫の撃退法を紹介している記事です。

 目を引くのは、「ゴキカブリ」という見慣れないことば。ゴキブリのことを意味していることはわかりましたが、最初は余計な「カ」が入っているのだと思いました。ところが調べてみると、実はゴキカブリの方が正しかったようです。

 日本国語大辞典ではゴキブリを「御器嚙(ごきかぶり)」が変化した語としています。「御器」は果物などを盛る食器の丁寧語で、「嚙」はかぶりつくでかじるという意味です。器にまでもかぶりつく、その貪欲(どんよく)さをよく示す言葉です。

 では、いつ、どのような理由で「カ」の文字がなくなってしまったのでしょうか。

 昆虫学者の小西正泰さんの著書「虫の博物誌」では、その意外な理由が示されています。明治時代に、本の中で偶然起こった誤記から生まれたというのです。

 1884(明治17)年に出版された生物学の辞典「生物学語彙(ごい)」(岩川友太郎著)。この専門書は、生物の名前を英語で示し、その後ろに和名を入れる体裁で書かれています。この本のゴキカブリの項目で、「蜚蠊」と漢字で書いた際、振り仮名から「カ」の字が脱落してしまい、この後に出版された理科の教科書でもこの表記が踏襲され、いつの間にか一般に定着していった、というのが小西さんの説です。

 残念ながら、どうして「カ」だけが欠落してしまったのかの理由まではわかりませんでした。生物学語彙の他の項目を読むと、漢字1文字につき2文字ずつまでしか読みが振れない活字を使っていたようです。うっかり真ん中だけが欠落してしまったのかもしれません。

 今回取り上げた記事は生物学語彙が出版されてから約40年経った後のものですが、この後、紙面でゴキカブリという表記は見られなくなっていきます。

 ただこれですんなり表記統一、というわけにはいきませんでした。「台所を荒すあの黒びかりのするアブラムシ」(1932年9月23日付朝刊9面)など、「アブラムシ」と書いている例も多くあったのです。

拡大「生物学語彙」の「蜚蠊」の部分(赤く囲ったところ)。よく見ると、振り仮名の「カ」が欠落している。画像は近代デジタルライブラリーから
 これに関しては昆虫学者の松村松年さんが「油虫と称するものに二種類ある。即ち一は多く家屋内に住し厨房の食物を漁るもので、之れをゴキブリと称して居る。他は野外にありて農作物の液汁を吸収して大害を加ふる所の蚜虫である、之れを俗にアブラ若しくはアリマキと云ふて居る」と使い分けについて説明しています(1923年5月24日付朝刊10面)。

 今の語感で言うアブラムシの異名は、アリマキ。最近あまり目にすることがない言葉です。分泌物を与え、アリと共生するから名付けられたのでしょう。天敵のテントウムシとセットで覚えている方も多いのでは。

 では、記事の点検をしてみましょう。

 1段落目で「人間のたべ物を荒したり、器物や書物、靴までをかぢりまはる」とあります。ここは、後ろの部分を「かじりまわったり」と直しましょう。動作やものの並列を示す助詞の「たり」は、省略しないことにしています。

 見出しで、「油虫」としていますが、これは記事に合わせましょう。紙幅を節約するため、字数が少ない言葉が見出しになることが多いのですが、記事の初出の字句にそろえた方がわかりやすくてよいでしょう。

 ちなみにゴキブリは、3億年前には今と似たような姿で存在していたと考えられています。100万年単位の人類とは比べものにならないくらいの先輩で、身近な分だけ、名前の変化をたどってみるのも面白い存在です。

 平安時代には「ツノムシ」や「アクタムシ」と呼ばれていました。これらの古名の他にも、江戸時代になると新たに「アブラムシ」と呼ばれるようになり、ゴキカブリもこの頃から使われ出したようです。最近では「字」を見るだけでも嫌だという人も増えてきて、頭文字を取って「G」とも呼ばれることもあります。

 今ではゴキブリが一般的ですが、最初の誤記のされ方によっては「ゴキカリ」や「ゴカブリ」になっていたのかもしれません。偶然生まれた言葉が、広く定着した面白い例です。

 気象予報を基に、ゴキブリの活性化状況を4段階の指数で伝える日用品大手、ライオンのサイト「ゴキブリ天気予報」(http://gokiten.varsan.jp/)によると、気温が低すぎても、高すぎても活動レベルが下がるようで、最も活発化するのは、最高気温35度未満、最低気温25度以上のようです。節電でエアコンの強度を抑えがちなこの夏は、ある意味で要注意のようです。

【現代風の記事にすると…】

ムシムシする季節到来 一番いい退治薬は?

 この時期、家の中に入って来て、食べ物を荒らし、器や書類、靴までかじってまわる虫たち。台所を素早くチョロチョロとかけ回るゴキブリやアリは、しつこさではネズミやハエ以上。しかも、なかなか退治できない厄介な虫です。

 家の中でも暖かいところ、湿気の多いところを好んで現れます。薄暗い場所では、昼間でもチョロチョロしています。もし人がいなければ明るいところでも出てきますが、一番活発に動き回るのはやはり夜です。

 ゴキブリを退治するには、フッ化ナトリウムが一番適しています。非常に細かい白い粉で、虫のいる隙間に、紙を折ったその間に挟んで流し込むようにして入れます。ただこの薬をかけても、水に溶けるような事をしては効き目がなくなります。それから、食べ物をしまったり、料理したりする所で使ってもよいですが、食べ物に付いたり中に入ったりしないよう注意が必要です。

 (後略)

(市原俊介)

当時の記事について

原文どおりに表記することを原則としますが、読みやすさの観点から

  • 漢字の旧字体は新字体に
  • 句点(。)を補った方がよいと思われる部分には1字分のスペース
  • 当時大文字の「ゃ」「ゅ」「っ」等の拗音(ようおん)、促音は小文字に

等の手を加えています。ご了承ください