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昔の新聞点検隊

拡大1928(昭和3)年10月15日付東京朝日新聞朝刊7面。画像をクリックすると大きくなります。主な直しだけ朱を書き入れています。現在の朝日新聞の表記基準で認めていない漢字の音訓や、当時は入れていなかった句点を入れる等については、原則として記入を省いています

【当時の記事】

ドンの○○中佐 一言もない失敗
十四日のドンをうっかりと 五分前に打っ放す

 「十四日午砲ハ正五分前誤発ニツキ謹告ス、東京市役所」……けふの本紙にこんな珍広告が出てゐます、これは東京市が市民にだした謝まり証文で、実はきのふのドンを、正午前の十一時五十五分に打ッ放してしまったのです、これまでかかる大きな時差で発砲したことは曽てないので面食った市民からは市の教育局へ電話でギャアギャア文句をいってくる、イヤ飛んでもない失敗、当日はいつもの様に○○予備中佐が砲手として主さいしてゐたが、この日は日曜日なので麻布の旧天文台から時報がなかったのが一因、けれど主たる原因は全く時間の見違ひと判り打ってしまってからアタマを抱へて恐縮してゐます、藤井教育局長は『この間違ひは全く時間の見違ひで○○君もきっぱりさういってゐる、ドンは秒の何分の一違ってもその報告を受けてゐる、それ程精密な時の計算をしてゐる位であるに、こんな過ちを来して申訳がない、明日(十五日)出勤の上よくその間の事情を取調べて責任の帰着する所を明かにする積りである』と困ってゐました

ドンをやめてサイレンに
失敗のせゐではないが 改めようとの計画

ドンの砲声もだんだん東京が延びて来たので遠い所では余程風の吹き回しがよい時でなければ聞えない 大砲はかなり旧式のものであり発射にも相当の技巧者を必要とし殊に宮城内の皇居間近で

発砲するためがうがうたる砲声は宮城内に響き渡り誠に恐れ多い次第であるといふ点などを考慮して予てより考究されてゐるがその一案としてはサイレンをもって午報とすることで、これは大きなものになると七十丁四方に聞えるさうだが、そんな大きなものでは危険も伴ふので数ケ所に設けて電流で鳴らすことにしたらどうだらうとの議が起ってゐる、そして有線にするか無線にするか又

経費の関係もはっきりしてゐないのでその実現には相当の期間は要するものと認めらるるが結局はサイレンが採用され歴史的なドンが時代の推移と共に廃止されさうである

(1928〈昭和3〉年10月15日付東京朝日新聞朝刊7面)

拡大10月15日付東京朝日朝刊7面の紙面。右上の赤い囲みが今回取りあげた記事、左下の小さな囲みが東京市が出した謝罪広告
【解説】

 2012年7月1日は長い一日でした。

 色々もりだくさんで長く感じた……のではなく、そう、「うるう秒」です。7月1日の午前8時59分59秒と午前9時00分00秒の間には「8時59分60秒」が1秒挿入されました。だから「24時間+1秒」でいつもよりちょっと長かったというわけ。

 そんなことをしたのは、原子時計の標準時と、地球の自転によって決まる時刻との間で生じたずれを調整するためです。7月1日には、日本の標準時を管理している独立行政法人情報通信研究機構の建物壁面の時計では「8時59分60秒」の表示があり、NTTの時報サービス117では「8時59分60秒」のガイダンス音を聞くことができました。見たり聞いたりして「うるう秒」を体感したという方もいるかもしれませんね。

 このように時刻は厳密に管理されており、その正確な時刻を知らせるのが「時報」です。昭和の初めごろまでは大砲の空砲の音で正午を知らせたところもありました。正確さが命なのに、5分も早くドン!とうってしまったからさあ大変。今回はそんな記事を紹介します。

拡大東京市が出した謝罪広告
 1928年10月15日付の朝刊に「14日の午砲は誤って5分前にうってしまいました」という東京市役所の謝罪広告が載りました。謝罪広告は下の方に小さく掲載されていますが、同じページのトップ記事ではその話題が大きく取り上げられています。

 見出しの「ドンの○○中佐」、何かの親分?と思ってしまいそうですが、正午を知らせる「午砲」はその音から「ドン」と呼ばれ親しまれていたのです。東京では1871年に皇居内に午砲台が設けられ、空砲をうっていました。こうした午砲台は千葉や大阪、長崎など全国にありました。

 勤務や授業が午前中で終わる日のことを「半ドン」と呼んだことはありませんか? 学校週休2日制が導入される前、授業が午前中だけだった土曜日などが「半ドン」です。半日たって昼の午砲(ドン)が聞こえるまで仕事、ということで「半ドン」になったという説もあるんだとか。それくらい「ドン」は市民の生活に浸透していたんですね。ほかに「半ドン」の語源として有力なのはオランダ語で「休日」をさすzontagがなまった「ドンタク」からきているという説。半分休日、だから「半ドン」。福岡の盛大な祭り「博多どんたく」もオランダ語のzontagからです。週休2日制が広まった今は「半ドン」という言葉はほとんど聞かなくなりました。

 さて、記事によると、正午ぴったりを知らせるはずの「ドン」が5分も前、午前11時55分にうたれたというのですから、たしかにかなりの差です。面食らった市民は「電話でギャアギャア文句をいって」きた、とあります。クレームがたくさんきたのでしょうが、記事の文章としては感情を込めすぎです。「電話で苦情があり」などと客観的な書き方にするよう指摘します。苦情が何件きたのか、わかれば数字もいれてもらいましょう。現代風では仮に「数十件」としておきます。

 この大失敗の原因は砲手である中佐の「時間の見間違い」。なにせ市中に響く空砲の音ですからミスを隠しようもなく、「打ってしまってからアタマを抱へて」しまった中佐。私もうっかりしているのでひとごととは思えません。

 記事の次のパートにうつると、見出しに「ドンをやめてサイレンに」とあります。「失敗のせゐではないが」とミスをした中佐を少しフォローするような文言も。どんな計画でしょうか。

 東京市(今の東京都区部)の範囲が広くなるにつれ、よほど風の吹き方がいい日しかドンの音が聞こえないという地域が多くなり、また、皇居近くに発射台があって毎日轟音(ごうおん)を響かせるのは恐れ多いという問題がありました。そこで、この際ドンを廃止して電気で鳴らすサイレンを数カ所に設けるやり方にしよう、という話がでているとのこと。記事にはありませんが、経費がかかりすぎる、という理由もあったようです。

 まだ計画段階ですが、廃止されるのも時代の流れということなのでしょう。記事中にはたしかに、廃止は「中佐の失敗のせい」とは書いてありません。でも「失敗のせいではない」とも書いていないのです。記事中にないことを見出しにするのを「幽霊見出し」といいます。せっかく中佐をフォローしているので惜しい気もしますが、校閲者としては見逃すわけにはいきません。編集者に別の見出しを考えてもらいましょう。

拡大明治から昭和初期にかけて東京に正午を知らせた午砲(ごほう)は、今は東京・小金井公園の「江戸東京たてもの園」に展示されている
 翌年の29年5月1日、ドンに代わって正午を知らせる「サイレン」が登場します。東京の小石川高等小学校(現在の文京区)、本所公会堂(墨田区)、愛宕山公園(港区)に設置され、鳴り終わった時が「正午」でした。しかし、正午になっても鳴らなかったり、暑さで数十分もけたたましく鳴り続けたりとトラブル続きで、市民の信頼を得るのも一苦労だったようです。

 多くの人が腕時計や携帯電話で時刻を手軽に知ることが出来るようになった現代。便利ですが、時間とほとんど向き合うことなく、毎日が過ぎていく気がします。今回の記事のような失敗も含め、正午の時報に耳をすますゆったりした時間の流れが、少しうらやましく感じます。

 来週も引き続き、「ドン」に関連する記事をご紹介する予定です。お楽しみに。

【現代風の記事にすると…】

午砲を5分前にうつミス 時刻の見間違いが原因か

 「14日の午砲は正午の5分前に誤ってうってしまったのでお知らせします」。今日の本紙に東京市のこんな謝罪広告が載っている。14日の午砲(ドン)は誤って午前11時55分にうたれた。

 日曜日で東京・麻布の旧天文台から時報の連絡がなかったことが一因と考えられるが、担当の砲手は「時刻を見間違えた」と話しているという。

 東京市の教育局によると電話で数十件の苦情が寄せられた。藤井○○教育局長は「ドンは秒の何分の一違っても報告を受けている。15日にも原因を調査して、今後このようなことがないようにしたい」と謝罪した。

ドン廃止、サイレンに移行へ

 長年人々に親しまれてきたドンだが、廃止する計画が検討されている。

 合併で東京市の面積が広くなるにつれ、ドンの砲声が聞こえない場所が増えており、また、皇居近くで空砲をうつことの騒音も問題となっているためだ。

 ドン廃止後の正午報の手段として、電気で鳴らすサイレンが候補に挙がっている。大きなものでは半径約8キロの範囲に聞こえるそうで、市内の数カ所に設ける案が出ている。導入の時期は未定だが、有線か無線かなどの方式や、経費などを含め、東京市で今後検討を進める方針だ。

(松本理恵子)

当時の記事について

原文どおりに表記することを原則としますが、読みやすさの観点から

  • 漢字の旧字体は新字体に
  • 句点(。)を補った方がよいと思われる部分には1字分のスペース
  • 当時大文字の「ゃ」「ゅ」「っ」等の拗音(ようおん)、促音は小文字に

等の手を加えています。ご了承ください