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昔の新聞点検隊

時を告げる「怪物」の正体

森本 類

拡大1929(昭和4)年4月26日付 東京朝日 夕刊2面。画像をクリックすると大きくなります。主な直しだけ朱を書き入れています。現在の朝日新聞の表記基準で認めていない漢字の音訓や、当時は入れていなかった句点を入れる等については、原則として記入を省いています
【当時の記事】

ドンに代った怪物
いよいよこの五月一日から
耳新しい『正午』の声

来る廿七日午前十一時頃小石川小学校を中心として描かれた七十町周囲の市民達は約一分間にわたって異様な音響を聞くであらう、音楽――でもなく、又動物のうめき声にしては余りにすみすぎたその音に驚いてはいけない、これは小石川小学校にすゑつけられて来る五月一日から、親愛なるドンに代って市民諸君に「お昼」を告げる時代の児「サイレン」の音響試験だ

   ◇

このサイレンは小石川小学校の外に本所公会堂、放送局に隣って愛宕山公園の三ケ所にすゑられて、ラッパ付のその異様な姿は、得意らしく周囲をへいげいしてゐる、このサイレンは設備費一万三千九百円、十二時五分前に三鷹村の天文台から中央電信局へ――更に芝公園の教育局へと有線連絡で「用意」の合図がある、正午一分前になると新しくサイレンの主任に任ぜられた市川陸軍少尉(市吏員)によってスヰッチがいれられると、ブーッといふすんだ声は、三ケ所のサイレンからその周囲七十町に鳴りひびくので鳴りやんだ時が正しい「正午」である

   ◇

さて明治初年からそれこそ一日も欠かさず「お昼」を知らせて来た「時の功労者」(しくじった事もあったさうです)たるドンは、近く日比谷公園に持って来て「物いはぬドン」として市民諸君にその「好々爺」ぶりを見せる事になった【写真は愛宕山公園のサイレン】

(1929〈昭和4〉年4月26日付 東京朝日 夕刊2面)

【解説】

 「ドンに代った怪物」――。見出しだけ見て、何の記事かわかる方はいるでしょうか。政財界のボスが交代? はたまた、超高校級の投手が登場? しかし、記事に写るのは平和な写真です。

 先週公開の記事を読まれた方は、「ドン」の正体はおわかりでしょう。「首領」――ではなく、「午砲(ごほう)」のことです。読んで字のごとく、午後0時(正午)に発する空砲。1871(明治4)年9月9日から始まり、その音から「ドン」の愛称で親しまれました。

 まず、見出しの表現について考えてみましょう。最もインパクトがあるのはやはり「怪物」。午砲に代わって正午を知らせるサイレンを指していますが、比喩として適切でしょうか。

 記事には「異様な音響」とあるものの、その直後で「動物のうめき声にしては余りにすみすぎたその音」としています。「動物のうめき声」のようなら怪物じみていると言えるかもしれませんが、とても澄んだ音のようです。直近の記事でも、「鳴音は、春の海を進む汽船のボーッと響く汽笛に似て、聞く人に決して不快感を与へないものだといふ」(1929年4月11日付朝刊5面)「屋内ではさほど耳うるさくなく『これは素敵だ』との賛辞をうけた」(同年4月28日付夕刊2面)と、「心地よい音」との評価を受けているようすがうかがえます。見出しの「怪物」は、「動物のうめき声」に引きずられてしまった可能性がありそうです。

 的を射ていない比喩を使うより、今なら具体的に「サイレン」と書く方が分かりやすいですね。当時は「サイレン」が一般的ではなく、読者に伝わりにくいと考えて避けたのかもしれません。蛇足ですが、サイレンのことばの由来は、ギリシャ神話の女神「セイレーン(英語名Siren)」。美しい声で船乗りを惑わせ、死に至らしめるという恐ろしい神です。見出しをつける編集者の頭にはこの女神のイメージがあったのかも……というのはおそらく考えすぎでしょう。

 次に、時刻の表記に注目します。朝日新聞では原則として午前・午後の12時制で書くことにしています。一般の記事には「13時」「21時」は出てきません(スポーツ面の「きょうのスポーツ」など、例外はあります)。今回の記事に出てくる「十二時」も、現在なら「正午」「午後0時」とします。鉄道や飛行機の時刻表は誤解を与えないように24時制を採用しているそうです。

 記事によると、当時のサイレンは「周囲七十町」に聞こえたそうです。1町は「丁」とも書く距離の単位で、約109メートル。現在の紙面なら、「約8キロ」と書くことになります。8キロというと、東京タワーから東京スカイツリーまでの距離。けっこう広い範囲に響いていたんですね。

 60年近く正午を知らせ続けたドンは、東京市が広がるにつれて聞こえない地域が増え、引退を余儀なくされました。サイレン導入時の記事をたどると、経済的な事情も大きかったことがわかります。カレーライスが1皿10銭の時代に、ドンは1回19円70銭かかっていました。これに対しサイレンは、このとき設置された3カ所を同時に鳴らしても4円80銭だったといいます。設備費が1万3900円とはいえ、休みなしに毎日かかる経費であることを考えると、この差は大きかったのでしょう。

 また1929年といえば、世界恐慌が起こる年です。日本も翌年から昭和恐慌に見舞われます。ドンについて「東京市の財政緊縮のとばっちりを受けて、僅(わずか)七千余円を節約するために廃止されて、東京市民の生活から無くならうとしてゐる」(4月11日付朝刊5面)と書いている記事も見られ、財政事情が厳しかったことがうかがえます。

 先週は、正確であるべきドンを正午の5分も前に打ってしまったという記事をご紹介しました。それに代わるサイレンはさぞ正確なのだろう……と思いきや、実は失敗談がけっこうあるんです。

拡大午後7時過ぎのサイレン騒ぎを報じる記事=1929年7月24日付東京朝日朝刊11面

拡大夜のサイレンは暑さのための誤作動だったと判明=1929年7月25日付東京朝日夕刊2面
拡大今度の誤作動騒ぎは「ぬれぎぬ」と報じる記事=1929年8月10日付東京朝日夕刊2面

 導入から3カ月とたたない7月23日、今回の記事に写っている愛宕山公園のサイレンがなんと午後7時台に鳴り始めました。しかもいつもなら1分でやむのに、30分以上も鳴り続けたのです。住民は「地震の予告か」「急襲があったのか」と慌てだし、交番に殺到。公園に避難する人まで出ました。翌日、サイレンの配電盤にあるエボナイト(硬質ゴム)製の装置が、暑さで膨張したことによる誤作動と分かりました。

 8月6日午後9時前、またしても誤作動騒ぎが起きます。しかし今度は市当局が反論しました。「先日は申し訳なかったが、今度は鳴るわけがない。動力源が切ってあるのだから」。しかし確かに聞いた人はいます。一体どういうことでしょうか。

 事件はすぐに解決します。サイレンが鳴ったという時間、公園の隣の放送局では探偵ものの映画を上映していました。問題の午後8時50分ごろは、探偵の自動車がけたたましいサイレンを鳴らして悪漢を追跡するシーン……。窓からもれる音を聞いた人が早とちりし、正午に鳴るサイレンにぬれぎぬを着せてしまったことがわかりました。サイレンにとってはサイナンな出来事でした。

 翻って現代はどうでしょう。緊急地震速報で誤報があったり、全国瞬時警報システム「Jアラート」を使った訓練で防災無線のトラブルが相次いだりしたのは記憶に新しいところです。人が考えたシステムである以上、百%の信頼をおくのは難しいのかもしれません。「失敗はつきもの」と考えて、緊急時にも動じない人間でありたい……と、日々降版(※注)に追われる校閲記者は思うのでした。

 ※注 降版=紙面を印刷に回すこと。降版すると紙面は修正がきかないので、校閲記者にとっては降版=点検の締め切り時刻を意味します。

【現代風の記事にすると…】

ドンからサイレンへ 来月から新しい正午の声

 音楽のような抑揚はないが、動物のうめき声よりずっと澄んだ音だろう。27日午前11時前、東京・小石川小学校を中心とする半径約8キロの地域に、1分間にわたって聞き慣れない音が響く。同小に設置された「サイレン」の音響試験だ。5月1日から、ドンに代わって市民に正午を知らせる。

   ◇

 サイレンは小石川小学校のほか、本所公会堂、放送局の隣の愛宕山公園に置かれる。上部にはラッパが付けられており、設備費は1万3900円という。正午の5分前、三鷹村の天文台から中央電信局、芝公園教育局へと有線で「用意」の連絡がある。これを受けたサイレン担当主任の市川○○陸軍少尉(市吏員)が1分前になるとスイッチを押し、「ブーッ」と澄んだ音が周囲に響く。サイレンは1分間鳴り続け、やんだ時が正午だ。

   ◇

 ドンは、1871(明治4)年から休むことなく正午を知らせてきた。引退後は日比谷公園に展示されるという。

 【写真説明】愛宕山公園のサイレン

(森本類)

当時の記事について

原文どおりに表記することを原則としますが、読みやすさの観点から

  • 漢字の旧字体は新字体に
  • 句点(。)を補った方がよいと思われる部分には1字分のスペース
  • 当時大文字の「ゃ」「ゅ」「っ」等の拗音(ようおん)、促音は小文字に

等の手を加えています。ご了承ください