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昔の新聞点検隊

拡大1934(昭和9)年6月23日付 東京朝日 朝刊13面。画像をクリックすると大きくなります。主な直しだけ朱を書き入れています。現在の朝日新聞の表記基準で認めていない漢字の音訓や、当時は入れていなかった句点を入れる等については、原則として記入を省いています
【当時の記事】

列車内で愈々 弁当を売る 十二月一日から 旅客の福音

スピードアップ、停車時間の短縮でさなきだに困難だった駅弁買ひが一層難渋となりつつあった折柄十二月の時刻改正と共に列車内で売子が弁当を売るといふ国鉄はじまって以来の企てがいよいよ実現することになった

列車のスピードアップで各線とも駅弁を買ふことは相当な労働?で主要駅のホームでは、列車が動いてゐるうちから飛び降りる、売子を追っかける、売子を囲んで押し合ひがはげしく展開される、発車ベルが鳴る、慌てて列車に飛び乗る―この不快は誰も彼もの苦い体験だ

ところが今度十二月の時刻改正でのスピードアップ実現と同時にほとんどホームで弁当を買ふ事が不可能な状態になって来たので当局では何としても解決せねばと研究中の所、駅弁業者の中では生活問題だと狂奔、その間利権屋の運動もあったが、慎重研究を重ねた結果断然総ての障害を排して旅客本位の列車内の駅弁とお茶売りを実施することに決定した

食事時刻通過駅の売子に限って列車に乗り込ませて売らせる、押売りを予防するため区間制を設けて某駅から某駅までの間とする、実施は十二月一日から 範囲は東海道、山陰線の「燕」「富士」「桜」をはじめ全国主要線の超特、急特急、急行には総て適用されることになり、ここに始めて乗客は弁当買ひ地獄から救はれることになった訳である

(1934〈昭和9〉年6月23日付 東京朝日 朝刊13面)

【解説】

 1872(明治5)年に新橋-横浜間を「陸蒸気(おかじょうき)」が走ってから、この12日でちょうど140年になります。その長い鉄道の歴史と切っても切れないのが駅弁。発祥は宇都宮や神戸など諸説ありますが、鉄道開業から間もない明治10年代には、すでに誕生していたそうです。駅弁にも130年ほどの歴史があることになります。

 「駅弁学講座」(林順信・小林しのぶ著、集英社新書)によれば、カニやエビなど単品の食材をメーンにした「特殊弁当」と、ご飯を中心にさまざまなおかずを添えた「普通弁当」に大別されます。おかずの中でも「三種の神器」と呼ばれるのが、かまぼこ、焼き魚、卵焼き。文字を眺めているだけでヨダレがでてきそうです。

拡大色とりどりの食材が詰まった駅弁は、旅の楽しみの一つ
 さて、その駅弁を買うための地獄があった、というのが今回ご紹介する記事です。魅力的な駅弁と地獄にいったいどんな関係があるのか。さっそく記事を見ていきましょう。

 ときは1934(昭和9)年6月。半年後に予定されているダイヤ改定で、列車の速度が上がり、駅での停車時間が短くなると記事は伝えています。移動時間が短縮される一方で、困った問題も出てきました。改定前でも「相当な労働」だった駅弁の購入が、ますます難しくなるのです。すでに駅弁を買うために、列車が完全に止まる前からホームに飛び降りる乗客もいたそうで、争奪戦に拍車がかかればケガ人が出る事態になりかねません。

 そこで考え出されたのが、駅弁の売り子を列車に乗せて車内で売ること。車内販売なら売り子を囲んで押し合いへし合いをすることも、発車ベルにあわてて列車に飛び乗ることもしなくてすみます。乗客は「弁当買ひ地獄」から救われるだろう、と記事は結ばれています。

 直すところはないか、改めて見てみましょう。

 まず「時刻改正」ですが、現在の紙面なら「時刻表改定」か「ダイヤ改定」とするでしょう。JR東日本が今年7月に出したプレスリリースは「ダイヤ改正」としています。「ダイヤ」は当時はなじみのない言葉だったのでしょうが、今では多くの人が知っています。「改正」は「まちがいや不十分な点を直してよくすること」ですが、鉄道のダイヤの変更は利用者にとって不便になる場合もあることから、朝日新聞では引用以外は「改定」と表記しています。

 「断然すべての障害を排して」の「断然」は「決然」の意味ですが、今ではこのような使い方はあまり見かけなくなりました。「断然有利」「断然格上だ」のように、ほかとかけはなれている様子を表すことが多いですね。新聞でもよく使われる「ダントツ」は「断然トップ」の略。「ダントツ1位」はつい使ってしまいがちですが、「頭痛が痛い」と同じく重複表現です。

 「食事時刻通過駅」とありますが、「通過」というとその駅は飛ばされてしまうような印象があります。「停車」としたほうが誤解される心配がないのではないでしょうか。通過駅の売り子を別の駅で乗せて……という可能性がないわけではありませんが、通過する駅の話とは文脈からちょっと考えにくいと思います。その確認も含めて、筆者に提案することにしましょう。

 「超特、急特急、急行」は初めに見たとき、当時は「急特急」なる快速列車があるのかと思ってしまいました。そうではなく、これは「超特急『、』特急、急行」とすべきところを、読点の位置を間違えてしまったのでしょう。

 当時の「超特急」は、東京-神戸間を8~9時間で結ぶ「燕」の通称でした。ほかの特急よりも停車回数を減らすなど高速化の工夫がなされていたため、このように呼ばれました。1964年の東海道新幹線の開業時には「ひかり」をさしていましたが、列車の通称としては次第に使われなくなったようです。現在、東京-新神戸間は「のぞみ」なら3時間ほど。当時の人だったらどう呼んだでしょうか。

 「超特急」は今では列車以外に使われることの方が多いかもしれません。「この仕事、超特急で片付けて」といえば「大急ぎで」の意味。「北陸の超特急」は、プロ野球・楽天のルーキー釜田佳直投手の金沢高校時代の異名でした。古くは1932年ロサンゼルス五輪の陸上男子100メートルで6位入賞の吉岡隆徳さんが「暁の超特急」と呼ばれました。

拡大1939年5月19日付東京朝日朝刊6面「重宝籠 駅弁食べ方」
 残念なことに、記事当時の駅弁は次第に内容がさびしくなっていきます。戦争を重ねるごとに物資が乏しくなったためです。日本米がとれなくなり、東南アジア産の長粒米やサツマイモで代用しました。うどんをまぜたご飯や、刻んだ野菜をまぜた真っ黒いパンもあったといいます。駅弁を包む掛け紙には、「欲しがりません 勝つまでは」「代用食を愛しませう」といった標語が書かれ、広告として利用されることもありました。

 昔の新聞をめくっていると、当時の人がどのように駅弁を食べていたか、その様子がわかる記事に出合いました=画像。「御飯」と「お菜」の2段にわかれ、御飯を左手に持ち、お菜をひざの上にのせて食べていたようです。「前かがみ」になるのは、ひざの上のお菜が口まで遠いからでしょうか。それが挿し絵のように少しずらして2段一緒に持つと、前かがみにならず「自然の姿勢」で食べられると記事は紹介しています。

 そういえば現在では、重箱の駅弁はあまり見かけない気がします。世界大百科事典(平凡社)によれば、駅弁は当初2段式が一般的で、中にはおかずが2段の3段式もあったとか。大正時代には、混み合った車内でも立ったまま食べられるよう、2段をかすがいでつないだものまで登場したそうです。

 駅弁は戦後、現地の駅に行かなくても買えるようになりました。全国各地の駅弁が集う「駅弁大会」が百貨店などで催されるようになったからです。「駅売り弁当」なのだから由緒正しくない、という向きもあるようですが、遠出をしなくても旅情を味わえるのはうれしいことです。

 ただ、駅弁大会はおもに冬の開催。しばらくは「秋の味覚」を求めて行楽に出かけるのがよさそうです。

【現代風の記事にすると…】

鉄道客に朗報 車内で駅弁販売へ 12月1日から

 列車の速度向上、停車時間の短縮でますます買うのが難しくなった駅弁。国鉄はこれをうけて、12月のダイヤ改定時から車内で駅弁を売り始めることにした。

 最近では、各線とも駅弁を買うのは大変だ。主要駅のホームでは、列車が完全に止まる前に飛び降りて売り子を追いかけ、押し合いへし合いをする。発車ベルが鳴るなり、あわてて列車に飛び乗る。こうした苦労をしなければ、駅弁にありつけない。

 12月のダイヤ改定で、停車時間はさらに短くなる。ホームで駅弁を買うのは不可能といってよく、業者からも苦情が出ていた。そこで当局は、車内で駅弁とお茶を売ることを決めた。

 食事時刻に停車する駅に限り、売り子を乗せる。押し売りをさせないよう、区間制を設ける。12月1日から、東海道、山陰線の「燕」「富士」「桜」をはじめ全国の超特急、特急、急行で実施する。駅弁を買う苦労から、ようやく解放されることになりそうだ。

(森本類)

当時の記事について

原文どおりに表記することを原則としますが、読みやすさの観点から

  • 漢字の旧字体は新字体に
  • 句点(。)を補った方がよいと思われる部分には1字分のスペース
  • 当時大文字の「ゃ」「ゅ」「っ」等の拗音(ようおん)、促音は小文字に

等の手を加えています。ご了承ください