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昔の新聞点検隊

拡大1879(明治12)年1月25日付大阪朝日朝刊1面。画像をクリックすると大きくなります。主な直しだけ朱を書き入れています。現在の朝日新聞の表記基準で認めていない漢字の音訓や、当時は入れていなかった句点を入れる等については、原則として記入を省いています
【当時の記事】

○東京府華族島津久光公は病患の為め予て鹿児島県へ赴き居られしが此節は病患全快なるにより御帰京の砌り来る廿八日には当地へ御着なると其筋へ本日電報ありしと聞しは昨日

○大和国奈良東大寺の博物館は例の通り来る三月中旬より開場になり本年は該地正蔵院の宝蔵を開かれ珍器出品なるに附当今御調べ中なりと

○兵庫県下武庫郡灘今津村の千足利右衛門氏は此度支那人より六百トン積の滊船を代価七万五千円にて買入れ帆船に改造し来る二月上旬に船おろしの由其節船夫へ渡す手拭五千筋を当地へ誂らへに来たりしは昨日の事と聞く

 (1879〈明治12〉年1月25日付 大阪朝日朝刊1面)

拡大朝日新聞創刊1号(1879年1月25日付)の1面

拡大2面

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【解説】

 戦前など昔の新聞を扱うこのコーナー。どうせなら、一番古い紙面を見てみよう。というわけで、今回ご紹介するのは、朝日新聞の創刊第1号です。冒頭の記事は、1面に掲載された短い雑報です。

 現在の朝日新聞では使わない表記や難しい漢字が、いくつか登場します。

 「島津久光公」の記事に出てくる「砌り」は「みぎり」と読みます。「時節」や「おり」「ころ」の意味です。

 【当時の記事】では新字体に直していますが、豫(予)、歸(帰)、當(当)、價(価)などの今ではあまり見かけない旧字体が使われています。3番目の雑報に「滊船」がありますが、これは「汽船」とすべきでしょう。大修館書店の大漢和辞典によると「滊」は「川の名」「塩池」を意味します。「汽」とは別の字ですが、当時の朝日新聞では「汽」の字として使っていたようです。

  ◇  ◇  ◇

 朝日新聞は1879年、大阪で創刊号を出しました。当時の紙面=右の画像=を見てみましょう。1面にある「朝日新聞」の題字は右から左に流れています。題字の左下には「第一號」とあり、時代を感じさせますね。

 新聞は全部で4ページでした。大きさは縦32センチ、横23センチで、いまと比べて3分の1程度。1面から4面にかけて、「官令」「大阪府官令」「雑報」「寄書」「相場」「広告」と、六つの欄が並んでいます。

 「雑報」は、政治、経済、社会などのニュースや、読み物などが載る総合欄です。創刊号では、1面で16本の短いニュースを扱った後、2面ですし屋の娘が衰えた家を復興する美談などが掲載されています。3面は落語家の家に入った泥棒の話など。4面は「寄書」にライバル社の「大阪日報」からの祝辞が載り、「相場」「広告」と続いています。

 当時の新聞は、「大(おお)新聞」と「小(こ)新聞」に大きく分けられました。大新聞は政論を中心とした硬派の新聞。文章は漢語調で、知識層を対象にしていました。一方、小新聞は市井のできごとや演劇界、花柳界の話などを、ふりがな付きのやさしい文章で書いていました。

 朝日新聞は小新聞として出発しました。創刊号をみても、記事にはふりがなが振られ、4ページのうち2ページに挿絵が挿入されています。

 冒頭で取りあげた三つの雑報を見てみると「本年(ことし)」「改造(なほ)し」「上旬(はじめ)」「船夫(せんどう)」など、わかりやすい言葉にしたうえで読みをつけています。ただ、最後の行の「来(きた)たりし」は「た」が一つ多いですね。

 「朝日新聞社史」によると、当時の社屋は木造2階建て長屋のうちの1軒を借りたものでした。印刷に使ったのは小さな手刷り機で、1時間に印刷できたのは300部ほど。定価は1部1銭、1カ月前金で18銭でした。

 創刊時の社員について正確な資料はありませんが、全部で20人たらずで、約10人が印刷、残りが編集と業務関係だったとみられます。ちなみに記者は「主幹」の肩書がついた者を含めて2人程度。ほかには数人の「探訪」しかいなかったといいます。

 「探訪」とは、取材するだけで、原則的に自分では記事を書きませんでした。探訪が聞き込んできた話をもとに、記者が記事を書いたそうです。冒頭で紹介した雑報も、文末が「聞しは昨日」「なりと」「昨日の事と聞く」と伝聞調で終わっていますね。

 探訪は「兎耳」とも表記されました。「大辞林」によると、「人の秘密などをよく聞き出すこと。また、そうすることのうまい人。地獄耳」の意味があります。当時の紙面では、「たねとり」とふりがなが振られることもあったそうです。今なら「ネタ取り」とするところです。

【現代風の記事にすると…】

 ○鹿児島県で病気療養していた華族の島津久光氏は全快し、帰京の途中の28日に大阪へ着くという電報が、24日関係者に届いたという。

 ○奈良・東大寺の博物館は、例年通り3月中旬から開場する。今年は正倉院の珍しい品々が公開されることになり、準備中だという。

 ○兵庫県武庫郡灘今津村の千足利右衛門氏はこのほど、積載量600トンの蒸気船を中国人から7万5千円で購入した。改造して2月上旬から帆船として使用する。船おろしの際に船員らに贈る手拭い5千枚を調達するため、24日大阪を訪れたという。

(高島靖賢)

当時の記事について

原文どおりに表記することを原則としますが、読みやすさの観点から

  • 漢字の旧字体は新字体に
  • 句点(。)を補った方がよいと思われる部分には1字分のスペース
  • 当時大文字の「ゃ」「ゅ」「っ」等の拗音(ようおん)、促音は小文字に

等の手を加えています。ご了承ください