メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

昔の新聞点検隊

、。 新聞と句読点

市原 俊介

【解説】

 いつもは。過去の紙面の文字起こしからはじまるこのコーナーですが。今回は趣向を変えて。解説からスタートしました、少し読みにくいでしょうか、

 句読点の使い方を、現在とは逆にした文章です。いま読むと異様な感じがしますが、明治時代の新聞では、こういった形で文章が区切られた記事が紙面に掲載されていました。句読点の使われ方が、現在とは大きく違っていたためです。

 現代ではあって当たり前、なかったら読みにくくて不親切な感じする句読点ですが、調べてみるといまのような使い方に定着したのは意外と最近のことのようで……。

 そもそも、句読点ってなんでしょうか。日本国語大辞典によると、「書かれた文章につき、また、文章を書くについて、意味の切れ続きを明らかにするために用いる補助記号。句点と読点」とあります。句点は「。」で文の終わりに付け、読点は「、」で文の途中に付ける記号です。(以下句点はマル、読点はテンと書くことにします)

 「句読点、記号・符号活用辞典。」(小学館)によると、日本の句読点は、中国などから伝わった漢文の読み下しに使われたのがそもそもの始まりという説があります。一方現在のテンやマルにあたる符号は、1600年ごろのキリシタン文献にみられるのが最も古い例とされているようです。

 同書によると、テンとマルの使い分けが定着したのは明治20年代以後だといいます。

拡大法律の条文に句読点がないことを批判しているコラム「今日の問題」。この記事が掲載された紙面はマルがあったりなかったり不統一。1925(大正14)年4月25日付夕刊1面
 日本語学者の飛田良文さんは「現代日本語講座 第6巻 文字・表記」(明治書院)で、テンとマルが、意味の違いを持って表記の上で使いわけられるようになったのは明治10年代ころから、としています。

 1906(明治39)年に文部省が国定教科書の基準として作った「句読法案」は、句読点の使い方を初めて公に示したと考えられています。

 ここではマルとテンに加え、・(ポツ。いまなら中黒)、「 」(カギ。かぎかっこ)、『 』(フタエカギ。二重かぎ)の5種類の符号の使用法が示されています。

 マルは現在と同じように、「文の終止する場合に施す」と明記されています。一方テンは今と同じような並列の場合に使うほか、「形式より見れば終止したれども意義より考ふれば次の文に連続せるものの下」などにも使う、としています。今ならマルの方がいいかな、という感じです。

 今なら一般に句読点といえばテンとマルのことだけをさしますが、カギカッコや中黒まで含めて句読点として考えていたのが面白いですね。

 戦後に示された「くぎり符号の使ひ方案」(1946〈昭和21〉年3月)も縦書きと横書きでマルとピリオドの使い分けを示したりしているほか、疑問符や感嘆符の使い方に言及するなど句読点以外の区切り符号の使い方にも触れています。

 テンとマルについては句読法案とあまり記述の違いはありませんが、より整理され、ほとんど現在の記号の使い方と同じものになっています。

拡大画像1=句読点が全ての記事に初めて入った1950(昭和25)年7月2日付の朝刊1面の一部分
拡大画像2=7月2日付(1日発行)夕刊2面。ほとんどの文末にマルがあるのに、紙面左端に来る場合だけ入っていない。そろえたいですね

 「くぎり符号の適用は一種の修辞でもあるから、文の論理的なすぢみちを乱さない範囲内で自由に加減し、あるひはこの案を参考として更に他の符号を使ってもよい。なほ、読者の年齢や知識の程度に応じて、その適用について手心を加へるべきである」という条項があり、一義的に使用法が決められるわけではないことにも触れられています。

 では、新聞紙面では句読点はどのように使われていたのでしょうか。

 元毎日新聞記者で新聞研究者の小林弘忠さんは「ニュース記事にみる日本語の近代」(日本エディタースクール出版部)で明治期からの新聞各紙の句読点の使用法について調べ、初期の新聞は句読点の使用に無頓着だった、としています。

 そもそもテンとマルを使うことが少なかった上に、普通の記事には句読点が使われていないのに対して、社説やコラムにはつけられているなど、体裁も不統一でした。句読点がなくても用言の活用などで文の切れ目がわかるので、読者も気にとめていなかったのではないか、と指摘しています。

 朝日新聞の紙面では、文の終わりを示すマルは創刊後比較的早い時期から、社説やコラムなどのコーナー限定で使われていました。ところが通常のニュース面では、テンは使われていましたが、マルが使われることはまれでした。

 文章の終わりのマルが全ての記事に付くようになったのは戦後、1950年7月2日付の朝刊紙面からでした=画像1

 前日の夕刊ではほとんどの文にマルが入っているのに、2カ所だけ入っていない、という記事もあります=画像2

 また、句読点の使われ方も現在とは違っていました。

 創刊直後の明治10年代の紙面を読んでみると、テンは漢字が続いたり名詞が続いたりした場合に、誤読を防ぐため語句がどこで区切れるのかを示すのに使われていたことが多かったようです=画像3

拡大画像3=地名が列挙されるときにテンを入れている。1880年2月17日付大阪朝日朝刊1面

 文を読む上での間を表すために使われるようになったのは、この用法が定着した後のことのようです。

拡大画像4=英船ロルド、オフ、ゼアイリス号。中黒ではなくテンを使っている。1880年2月19日付大阪朝日朝刊1面
 テンを外来語の区切りとして使っていたこともありました=画像4。今なら中黒を使うケースです。

 日本語研究者の野沢卓弍さんは、句読点の使われ方について新聞と同時期の他の印刷物との比較をし、「小学校国語教科書・表記の変遷」という論文にまとめました(九州女子大学紀要)。これによると、文学作品の初版本などを見ると、明治の中期から後期にかけて、すでに句読点が普及していたようです。これと比較して、「新聞の世界の句読点の完成は、なんと戦後のことで、大変遅々とした歩みであったのは驚くべきことである」としています。

 では、なぜ新聞では句読点の導入が他の印刷物に比べて遅かったのでしょうか。

 まず考えられるのは、製作上の時間の制約が厳しいことです。その日にあったことを、なるべく早く紙面にしなければいけないのが新聞。句読点を入れるには、短い締め切り時間までの間に、小さな活字を入れる手間がかかります。そういった工程的な煩雑さが嫌われたのかもしれません。

 また、マルについては社説やコラムに限定して使われていたことを考えると、普通の記事は文章ではなく、箇条書きの文が連続しているだけ、という意識があった可能性もあります。

 その手間を惜しまず、句読点が紙面で徐々に定着していったのは、多様な背景を持った読者が記事をさっと読んで内容がわかるよう、読みやすさが重視されるようになったことが理由として考えられます。

 現在の新聞記事では、テンやマルを打つ位置には非常に気を使います。入れる場所で意味が違ってくる場合もありますし、読みやすさがまったく変わるからです。

 あえて使うことが意味を持つと思えなければ、句読点は字数の無駄です。ただの区切りから、意味のある切れ目をつくる機能的な存在へ。

 軽視されてきた句読点も、いまや比喩としても使われるほど浸透しました。「歴史の大切な節目」の意味で「句読点」と言ったり、「句読点を打つ」が比喩的に「けじめをつける」の意味で使われたりしています。

 ネットの出現で、情報量が増えたり、ブログやツイッターなどの登場に合わせて文章表現の形式が変わったりするのを反映して、句読点の使われ方も変わっていくかもしれません。

(市原俊介)

当時の記事について

原文どおりに表記することを原則としますが、読みやすさの観点から

  • 漢字の旧字体は新字体に
  • 句点(。)を補った方がよいと思われる部分には1字分のスペース
  • 当時大文字の「ゃ」「ゅ」「っ」等の拗音(ようおん)、促音は小文字に

等の手を加えています。ご了承ください