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昔の新聞点検隊

天下を揺るがしたつぶやき「バカヤロー」

山村 隆雄

拡大1953(昭和28)年3月1日付東京本社版朝刊1面。画像をクリックすると大きくなります。主な直しだけ朱を書き入れています。現在の朝日新聞の表記基準で認めていない漢字の音訓や、当時は入れていなかった句点を入れる等については、原則として記入を省いています
【当時の記事】

首相“暴言”に懲罰動議提出 きのう衆院予算委で一波乱
予算の見込たたず 政府、予期せぬ窮地へ

吉田首相は二十八日午後の衆院予算委員会で西村栄一氏(右社)に対し「バカヤロウ」呼ばわりをした。この首相の“暴言”事件は果然重大な政治問題化し、右派社会党は同夜、首相の懲罰動議を衆院に仮提出、西村氏も大野衆院議長に訴状を提起するにいたり、政府自由党は衆院における予算審議の大詰で予期しない窮地に立った。このため、二十八日中に重要法案に対する一般質問を終る予定であった衆院予算委員会は、同夜一応再開されたが、野党側が出席せず、事実上中絶のまま散会となった。

事態の重大化を憂慮した大野衆院議長は政府与党の依頼により一日午前九時、衆院各派の幹事長、書記長を招いて収拾策を協議するが、野党各派の態度が強硬である反面、政府与党も同夜おそく、野党のいう首相の懲罰動議は国会法上成立たないとの見解をとり、野党側と正面から衝突したので、一日の衆議院はこの問題をめぐり、さらに相当な波乱を予想されるにいたった。

(1953〈昭和28〉年3月1日付東京本社版朝刊1面)

【解説】

 いよいよ今日、衆議院選挙が公示され、16日の投開票日に向けて本格的な選挙運動がスタートします。

 8月に自民・公明両党の党首との会談で「近いうち」に解散すると約束してから3カ月。懸案だった特例公債法などが成立し、野田佳彦首相は11月16日に衆議院を解散しました。

拡大過去の衆院解散・総選挙=2012年11月15日付東京本社版朝刊4面
 衆議院議員の任期は4年ですが、首相の判断で解散することができます。

 前回、2009年の衆院選は任期の12日前が投開票日でしたが、戦後、任期満了で選挙になったのはたった一度。1976(昭和51)年12月のことです。この年の夏、受託収賄の容疑などで田中角栄元首相が逮捕されたことから、ロッキード選挙とも呼ばれました。少数派閥出身の三木武夫首相は元首相の逮捕に絡み、党内の反発から解散権を封じられてしまったというやや特殊なケースだったようです。結局、自民党は大敗し、結党直後の新自由クラブが躍進したのです。

 それ以外はすべて首相が解散権を行使して選挙になっています。

 戦後、現憲法になってからの解散は今回を入れて22回。それぞれに呼び名がついています=右の画像。中でも一番強烈な印象を残すのは1953(昭和28)年の「バカヤロー解散」でしょう。冒頭の記事が、その解散のきっかけになった出来事です。

 まずは記事を点検してみましょう。

 今では段落の最初は1字下げて書き始めますが、この記事では下げずに書いています。朝日新聞で1面のニュース記事も含め、ほぼすべての記事で行頭1字下げをするようになったのは意外に最近で、1962(昭和37)年ごろからです。

 記事の6行目に「同夜」と出てきます。2行目の「同夜」(=28日夜)を受けたものでしょうが、5行目に「一日午前九時」と別の日時が入っているので紛らわしいですね。「28日夜」としましょう。

 6行目に出てくる「反面」は、今の紙面では「反面教師」以外は「半面」に統一しています。

 さて、当時の状況に戻りましょう。

 解散のきっかけとなった「バカヤロウ」発言がどんな経緯で出てきたのか、同じ日の記事でもう少し詳しく見てみましょう。

西村氏に“バカヤロウ” 衆院速記録から 首相、直ちに取消す>

問題となった二十八日の衆院予算委員会における吉田首相と西村栄一氏とのヤリトリは衆院の速記録によれば次の通りである。(この速記録が懲罰その他の問題が起ったときの証拠ともなる)
○吉田国務大臣 ただいまの私の答弁は日本の総理大臣として御答弁いたしたのであります。私は確信するのであります。
○西村(栄)委員 総理大臣は興奮しない方がよろしい。別に興奮の必要はないじゃないか。(吉田国務大臣「無礼なことをいうな」と呼ぶ)
○西村(栄)委員 何が無礼だ。(吉田国務大臣「無礼じゃないか」と呼ぶ)
○西村(栄)委員 質問しているのに何が無礼だ。君の言うことが無礼だ。国際情勢の見通しについて、イギリス、チャーチルの言説を引用しないで、翻訳した言葉を述べずに、日本の総理大臣として答弁しなさいということが何が無礼だ。答弁できないのか君は……
(吉田国務大臣「ばかやろう」と呼ぶ)
○西村(栄)委員 何がばかやろうだ。ばかやろうとは何事だ。これを取消さない限りは、私はお聞きしない。議員をつかまえて、国民の代表をつかまえてばかやろうとは何事か。取消しなさい。私は今日は静かに言説を聞いている。何を私の言うことに興奮する必要がある。
○吉田国務大臣 私の言葉は不穏当でありましたから、はっきり取消します。
○西村(栄)委員 年七十過ぎて一国の総理大臣たる者が取消された上からは私は追及しません。しかしながら意見が対立したからというて、議員をばかやろうとか、無礼だとか、議員の発言に対して無礼だとか、ばかやろうとか言うことは東条内閣以上のファッショ的思想があるからだ。静かに答弁しなさい。

(1953年3月1日付東京本社版朝刊1面)

安保条約ある限り、再軍備は不要 首相答弁

(前略)
首相 (憤然として)日本の総理としての答弁をしている。
首相、着席後も西村氏をニラミつけて「無礼だ」とアゴをしゃくる。西村氏、破れるような大声で「なにが無礼だ」と怒鳴れば、首相着席のまま「無礼だ」と応ずる。西村氏、声を落して「そんなに興奮しなさるな」といったのに対して首相また着席のまま「バカヤロウ」とつぶやく。西村氏再び声を張り上げて「バカヤロウとはなんだ。国民代表である議員に向ってバカヤロウとは何か」「首相はなにを興奮するんだ」と叫び、場内は一瞬シーンとなったが、岡崎外相が何事か首相の耳にささやくと、首相ニヤリと笑って立ち上り丁重に取消す。
西村氏 首相は何故施政演説の中で急に政治的中立を放棄すると宣言せねばならなかったのか。(以下略)

(1953年3月1日付東京本社版朝刊1面)

 

 吉田茂首相が「着席のまま『バカヤロウ』とつぶや」いたのを質問していた右派社会党の西村議員が聞きとがめ、「取消しなさい」と迫ると、首相はすぐに取り消しています。西村議員も「一国の総理大臣たる者が取消された上からは私は追及しません」と了解し、そのまま質疑が続きました。

拡大予算委でのつぶやきから2週間後、吉田首相は衆院を解散した=1953(昭和28)年3月15日付東京本社版朝刊1面
 急転したのは予算委員会が休憩に入ってから。左派・右派の両社会党と改進党の野党3派が協議し、「断じて許すことは出来ない」とする共同声明を発表、懲罰動議も提出されました。首相はそのことを知らずに神奈川・大磯に帰宅し、翌朝官邸に入って「情勢の悪化におどろいた」(1日付夕刊1面)そうです。携帯電話が普及している現代では考えられませんね。

 野党側の強硬姿勢は収まらず、14日には吉田内閣不信任案に与党・自由党の非主流派が脱党して賛成し、可決されてしまいます。吉田首相はその日の夜、衆議院を解散しました。前年8月にも解散していたため、このときの衆院議員の在職日数は165日。戦後最短です。

 解散を受けて、3月24日公示、4月19日投票の日程で衆院選が行われました。分裂した自由党は選挙前の222議席を199議席と大幅に減らし、過半数(当時は定数466)は取れなかったものの、第1党の立場は確保。改進党の一部の協力を得て第5次吉田内閣を発足させました。

 しかし翌54年に造船疑獄事件が発覚し、検察が自由党の佐藤栄作幹事長を逮捕しようとしたところ犬養健法相が指揮権を発動して阻止。野党が激しく反発し、54年12月に吉田内閣は総辞職しました。首相在職期間は2616日。戦後の首相としては佐藤栄作の2798日に次いで2番目の長さです。

 離合集散が続いていた政党は、翌55年に社会党の左右両派が再統合し、自由党と民主党も「保守合同」で自由民主党を結党。その後長く続く55年体制が始まりました。

 今回の選挙は2大政党の民主党と自民党以外の「第三極」政党が乱立し、かつてない混迷の選挙になりそうです。2006年に安倍晋三首相が就任してからの6年間で6人も首相が代わりました。今回の選挙の結果次第ではまた新たな首相に代わるかも知れません。

 一日も早く、国の喫緊の課題に正面からじっくりと取り組めるような国会になることを祈って、16日には一票を投じようと思います。

【現代風の記事にすると…】

首相が暴言、野党懲罰動議 衆院予算委で西村栄氏に
予算審議中断 成立見込みたたず

 28日午後の衆院予算委員会で、吉田茂首相が西村栄一氏(右派社会党)に対し「バカヤロー」と暴言をはいた。右派社会党は同夜、首相の懲罰動議を衆院に仮提出し、西村氏も大野伴睦衆院議長に訴状を提出した。同夜再開された予算委を野党側が欠席し、審議が中断したまま散会となった。政府与党は28日深夜、「野党側の懲罰動議は国会法上成り立たない」と対決姿勢をとる方針を決めた。1日午前9時から大野議長が各党の幹事長、書記長を招いて収拾策を協議するが、難航しそうだ。予算委は28日中に重要法案の一般質問を終える予定だったが、政府・自由党は予算審議の大詰めで予期せぬ窮地に立たされた。

(山村隆雄)

当時の記事について

原文どおりに表記することを原則としますが、読みやすさの観点から

  • 漢字の旧字体は新字体に
  • 句点(。)を補った方がよいと思われる部分には1字分のスペース
  • 当時大文字の「ゃ」「ゅ」「っ」等の拗音(ようおん)、促音は小文字に

等の手を加えています。ご了承ください