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昔の新聞点検隊

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拡大1888(明治21)年9月21日付 東京朝日 朝刊4面。画像をクリックすると大きくなります。主な直しだけ朱を書き入れています。現在の朝日新聞の表記基準で認めていない漢字の音訓や、当時は入れていなかった句点を入れる等については、原則として記入を省いています

【当時の記事】  

●天気予報及び警報の用語 

 天気予報は日々の本紙欄外に掲ぐる如くなるが其用語を知るとは予報閲読者に取りて最も必要の事とす 今同予報及暴風警報用語の説明を官報に掲げたれば此に掲載して参観に供す 即左の如し

 一気象区(Meteorological district ) 天気予報及暴風警報の発布区域をして理解し易からしめんが為に設けたる区別にして全国を分ちて七区とす

 第一区  薩摩、大隅、日向、土佐、阿波、紀伊、
 第二区  山城、大和、河内、和泉、攝津、播磨、備前、備中、
美作、備後、安芸、周防、豊後、伊予、讃岐、淡路、
 第三区  肥前、肥後、筑前、筑後、豊前、壱岐、対馬、長門、
石見、出雲、隠岐、伯耆、因幡、但馬、丹波、丹後
 第四区  伊賀、伊勢、志摩、尾張、三河、遠江、駿河、甲斐、
伊豆、相摸、武蔵、安房、上総、下総、常陸、美濃、
近江、信濃、上野、下野、岩代、
 第五区  若狭、越前、加賀、能登、越中、
越後、佐渡、羽前、羽後、
 第六区  磐城、陸前、陸中、
 第七区  陸奥、渡島、後志、胆振、日高、石狩、
天塩、十勝、北見、釧路、根室、

 (中略)

 一快晴(Clear) 満天雲なきを云ふ然れども少量の雲あるは快晴とす(凡そ雲量は一点の雲なきを零とし満天曇れるを十とす而して快晴は雲量零乃至二なるを謂ふ)

 一晴天(Fair) 満天雲少きを云ふ然れども雲の過半を覆ふが如きは晴天とす(晴天は雲量三乃至七なるを謂ふ)

 一曇天(Cloudy) 満天雲を以て覆ふを云ふ然れども蒼天の少部を覆はざるが如きは曇天とす(曇天は雲量八乃至十なるを謂ふ)

 一好天(Fine) 雲の有無に拘らず天気穏和なるを謂ふ

 一雨勝(Rainy) 天気陰鬱雨降り勝なるを謂ふ

 (中略)

 一少雨(Some rain) 或部分に少量の雨降るを謂ふ

 (中略)

 一所に依り雨(Local rain) 降雨の区域広濶ならずして二三地方を限り雨降るを謂ふ

 (中略)

 一天気変り易し(Chengeable) 陰晴期し難きを謂ふ

 一天気不定(Unsettled) 天気穏和ならずして一定せざるを謂ふ

 (後略)

(1888〈明治21〉年9月21日付 東京朝日 朝刊4面)

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【解説】 

 1月14日、東京都心で大雪が降り、「気象庁の天気予報が外れた」と話題になりました。外れた時だけ騒ぎになるのは間違いを見落とした時だけ目立つ校閲に似ているな、と思いつつ、「天気予報はいつからはじまったのだろう」と気になって調べてみました。

 今回取り上げたのは、朝日新聞で天気予報の掲載が始まった頃、その用語を読者に説明するために、官報を掲載した紙面です。始まったばかりの天気予報では、政府のお雇い外国人が活躍していたため、日本語とあわせて英文でも予報が出ていました。記事でも日本語で用語を示した後、英語での表現が入っているのもそのためです。

 天気予報は、1884(明治17)年の6月1日に、内務省管轄の東京気象台(港区)から出されたのが始まりです。東京気象台では、1875年6月にイギリスから持ち込まれた気象機器とイタリア製の地震計を使って気象観測がはじまっており、そのデータを基に1日3回の天気予報を発表するようになりました。

 84年6月1日に最初に出された予報の文面は、「全国一般風ノ向キハ定リナシ天気ハ変リ易シ 但シ雨天勝チ」でした。現代文に直すと「全国的に風・天気ともに変わりやすく、雨が降りやすいでしょう」といったところでしょうか。今は地域・時間帯などかなり細かく予報されていますが、このころはずっとアバウトでした。全国一律だったのです。

 ちなみに当時の天気予報は、たとえば「所により雨」と予報した場合、どこか1カ所でも雨が降れば的中、としていたようです。それでも年間通じた的中率は7割ほどでした。

 気象庁発行の「気象百年史」によると、明治時代に始まった近代的な天気予報の前にも、気象を予測する試みは行われていました。航海書や軍書など、その日の天候が結果を大きく左右する分野での需要が大きかったようです。

拡大①朝日新聞に初めて掲載された天気予報。同じ面に「予報と船客 看客諸君の御望に任せ日々の天気予報及び船客姓名と外国郵船の発着表とを掲ぐることとなしたり」という記事が=1888年8月12日付東京朝日1面
 1875年6月、まず工部省に測量技師として招かれた英国人男性ジョイネルが政府に気象観測の必要性を訴え、たった一人で気象観測を始めました。

 続いて活躍したのがドイツ人技師のクニッピング。気象情報をまとめ、予報を考える業務を一手に担いました。最初の天気予報も彼が出したもので、英語の文章が日本語に翻訳されて発表されました。原文は「Variable winds, Changeable, some rain」でした。

 クニッピングが英語で予報を発表したため、その翻訳語として天気の専門用語がいくつも生まれることになりました。

 一部の地域では雨が降っている、という「Local rain」の訳語として選ばれた「所により雨」もその一つ。特定の場所を示さない「所により」という表現は、この天気予報の用語として誕生したという説が有力なようです。気象庁のサイトによると、現在は「現象が地域的に散在し、複数の地域を指定して表現することで冗長な表現になる場合に用いる」そうです。

 当時の用語には他にも「天気不定」(Unsettled)など、今では見かけなくなった表現があります。「好天」も今では「意味がいろいろに解釈され誤解をまねきやすいので用いない」(気象庁のサイト)としています。

 少雨は今では「小雨」としますね。「雨が少しの量降ること」を指す小雨と、「一定期間の降水量が少ないこと」の少雨は今では使い分けられています。 

 こうして出された天気予報は、最初は東京市内の各交番に張り出されたといいます。市民に周知するために、1888年には時事新報に新聞としては初めて掲載されました。朝日新聞に初めて天気予報が掲載されたのは、同年8月12日付朝刊。欄外に掲載されるのが通例でした=画像①

拡大②天気予報休載のおことわり。1面に出されたことからも、読者の関心の大きさがうかがえます=1890年5月2日付東京朝日1面
 新聞に掲載される天気予報も、昔から多くの読者に注目されてきました。1890年5月2日付の紙面によると、しばらく天気予報を紙面に掲載しなかったら読者から問い合わせが相次いだといいます=画像②

拡大③朝日新聞に初めて掲載された天気図=1936年10月1日付東京朝日朝刊10面
 現在の新聞でも天気予報は社会的な関心の高さに応えるため、1面などの目立つ位置に毎日掲載しています。

 ちなみに、いまではおなじみの天気図が最初につくられたのは、1883年2月16日のこと。ただ、これは日本の周辺に数本の等圧線があるだけのもので、とても天気予報には使えなかったといいます。

 朝日新聞には1936年10月1日付朝刊から天気図が掲載されました=画像③

 最後に校閲的な点検を。

 「及び」と「及」は表記をそろえ、地名の列挙の最後の読点は抜いた方が区分けの区切りが分かりやすいですね。「天気変り易し」の英語が「Chengeable」となっているのは「Changeable」の間違いではないか、あわせて指摘しておきましょう。

拡大④地名を地図の上に落とすと,飛騨だけ白く残る
 地名は旧国名。今の都道府県に近い府県制が制定されたのは、この記事の2年後の1890(明治23)年でした。

 旧国名のままではどのような地域に分けているのかピンと来ないので、地図に落としてみました。すると本州の真ん中に1カ所、飛騨の所だけ白く残ります=画像④

 飛騨を入れ忘れていないか、筆者に念押ししてみましょう。

 地域は、今では考えられないような分け方にになっています。明治時代までは、五畿七道(あるいは北海道を入れて五畿八道)という区分が一般的でした。

 記事の地名をおおざっぱに今の都道府県に置き換え、五畿八道のどのあたりにあたるかを見てみました=下の表

 第1区  和歌山、徳島、高知、宮崎、鹿児島 南海道、西海道(太平洋側)
 第2区  京都、大阪、兵庫、奈良、岡山、広島、
山口、香川、愛媛、大分
山陽道、畿内
 第3区  京都、兵庫、鳥取、島根、山口、
福岡、佐賀、長崎、熊本
山陰道、西海道(日本海側)
 第4区  福島、茨城、栃木、群馬、埼玉、千葉、東京、神奈川、
山梨、長野、岐阜、静岡、愛知、三重、滋賀
東海道
 第5区  秋田、山形、新潟、富山、石川、福井 北陸道
 第6区  岩手、宮城、福島 東山道
 第7区  北海道、青森 東山道

  第4区で相模が相「摸」となっていますが、これは間違いではありません。日本国語大辞典によると、古くは相摸の方がよく使われていたといいます。

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【現代風の記事にすると…】 

●天気予報及び警報の用語

 毎日の紙面欄外で掲載している天気予報及び暴風警報について、東京気象台が発表した用語の説明の要旨は以下の通り

 ◆気象区(Meteorological district ) 天気予報及び暴風警報の発令区域を理解しやすくするため、全国を7区に分けた

 第1区   薩摩、大隅、日向、土佐、阿波、紀伊
 第2区   山城、大和、河内、和泉、攝津、播磨、備前、備中、
 美作、備後、安芸、周防、豊後、伊予、讃岐、淡路
 第3区   肥前、肥後、筑前、筑後、豊前、壱岐、対馬、長門、
 石見、出雲、隠岐、伯耆、因幡、但馬、丹波、丹後
 第4区   伊賀、伊勢、志摩、尾張、三河、遠江、駿河、甲斐、
 伊豆、相摸、武蔵、安房、上総、下総、常陸、美濃、
 近江、信濃、上野、下野、岩代
 第5区   若狭、越前、加賀、能登、越中、
 越後、佐渡、羽前、羽後
 第6区   磐城、陸前、陸中
 第7区   陸奥、渡島、後志、胆振、日高、石狩、
 天塩、十勝、北見、釧路、根室

 (中略)

 ◆快晴(Clear) 満天に雲がない状態。まったく雲がない状態を0、空が完全に雲で覆われた状態を10と指数で表すと、0~2の状態

 ◆晴天(Fair) 雲が少ない状態。指数3~7

 ◆曇天(Cloudy) 雲が多い状態。指数8~10

 ◆好天(Fine) 雲の量にかかわらず天気が穏やかな状態

 ◆雨勝(Rainy) 雨が降りがちな状態

 (中略)

 ◆小雨(Some rain) 一部に雨が少し降る状態

 (中略)

 ◆所により雨(Local rain) 雨の範囲が定まらず、いくつかの地方で雨が降る状態

 (中略)

 ◆天気変わりやすし(Changeable) 天気が変わりやすい状態

 ◆天気不定(Unsettled) 天気が定まらない状態

 (後略)

(市原俊介)

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当時の記事について

原文どおりに表記することを原則としますが、読みやすさの観点から

  • 漢字の旧字体は新字体に
  • 句点(。)を補った方がよいと思われる部分には1字分のスペース
  • 当時大文字の「ゃ」「ゅ」「っ」等の拗音(ようおん)、促音は小文字に

等の手を加えています。ご了承ください