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昔の新聞点検隊

拡大1912(大正元)年10月5日付東京朝日朝刊5面。画像をクリックすると大きくなります。主な直しだけ朱を書き入れています。現在の朝日新聞の表記基準で認めていない漢字の音訓や、当時は入れていなかった句点を入れる等については、原則として記入を省いています

【当時の記事】

ジゴマ(一)
ジゴマとは何ぞや 活動写真の映画に 現れた犯罪鼓吹熱

▲尋常小学校の五六年生が、学校から家に帰ると、近所の友達四五人と一緒になって、「ジゴマごっこ」と云ふ遊戯をする様になった、中学校の制帽かむった学生が三四人、寄ると障ると直ぐ「彼奴はジゴマだよ」とか、「ジゴマ見たいな奴だねえ」と云ふ様になった、ジゴマとは全体何だらう、人間か、畜生か

▲髭の生えた修養の有りさうな、紳士らしい大人の仲間でも、能く「ジゴマ」と言ふ言葉を聞く、少し肥って色が黒くって、顔の丸い眉の濃い男を見ると、「ジゴマに似て居る人」などと、電車の中などで囁き合ふのさへ聞くやうになった、さう云へば電車の広告にも、「ジゴマ」の文字を見る、ジゴマとは何であらう

▲薄のろでも、おたんちんでも、甚助でも、助平でも、厭な奴でも、何でも構はない、「彼の方はジゴマよ」とか、「厭なジゴマ!、」「ジゴマの畜生」などと、芸妓同志でも口にする様になった、凡そ世の中の有りとあらゆる厭な奴の代名詞として、「ジゴマ」の三字は、今や強く力ある言葉として、普及しつつある

 (後略)

(1912〈大正元〉年10月5日付 東京朝日 朝刊5面)

【解説】

 100年ほど前、はやりすぎたため上映禁止となった犯罪映画がありました。その名は「ジゴマ」。フランスからやってきた怪盗の名を冠したこの映画がどれほど日本人に影響を与えたのか、当時の記事を通して見ていくことにしましょう。

 ジゴマはもともと、パリの新聞で連載された探偵小説でした。原作の著者はレオン・サジー。ピストルを持った怪盗ジゴマが、探偵の手をすり抜けて悪事をはたらくという内容です。

 怪盗といえば有名なのはアルセーヌ・ルパンですが、殺しを嫌い紳士的なルパンとはだいぶ印象が異なります。ある場面では、列車内で乗客にピストルを向けて持ち物を奪い、抵抗する者は射殺。運転手を脅して列車を止め、車で逃走する――。目的のためなら脅迫、放火、殺人などなんでもあり。まさに「悪党」という表現がしっくりきます。

 ジゴマが日本にやってきたのは1911年11月。開業間もない東京・浅草の「金竜館」という映画館で封切られました。怪盗の顔が大きく描かれ「ジゴマ」の文字を入れた看板が興味を引き、連日大入りの大盛況。あまりの混雑に、警察官がチケット売り場の警備をしたという逸話も残ります。

 今回取り上げるのは、公開の約1年後に朝日新聞で連載された全8回の記事です。現在より1行の文字数が多い当時の紙面で、1回約80行。なかなかの長行記事といえます。ジゴマとおぼしき顔をカットに使い、連載のタイトルもそのまま「ジゴマ」としたのは、映画の看板を意識してのことでしょうか。

 点検の対象は冒頭の3段落だけとしましたが、後半部の記述を読むと当時の流行ぶりがよく伝わってきます。

……甘い砂糖の一片に群がる蟻(あり)の様に、皆この『ジゴマ』の中に吸ひ込まれた、ジゴマ!ジゴマ!この位面白い物は見た事がない、と一人唱へ二人伝へして、遂(つい)に日本に於(お)ける活動写真の最新記録(レコード)を作る様になった

 

拡大「ジゴマの映画を禁止すべきだ」との警視庁の方針を報じる1912年10月10日付東京朝日朝刊5面。この後、20日から禁止された
 「ジゴマ旋風」は映画館にとどまりませんでした。子どもがおもちゃのピストルで道行く人を脅すといった「ジゴマごっこ」をしたり、映画をまねたとみられる犯罪が起きたりしたことが伝えられるようになったのです。この連載が終わって間もない1912年10月20日、警視庁はジゴマと名のつく一切の映画・演劇を興行禁止としました。

 記事の点検に移りましょう。「寄ると障ると」は「触ると」にしてもらいます。「寄り集まると必ずといっていいほどに」の意味で、「寄れば触れば」ともいいます。「障る」は「都合が悪くなる」「害になる」の意味なのでふさわしくありません。

 「ジゴマ見たいな奴」は現在では「みたいな」と平仮名にするところですが、もともと「(を)見たようだ」から転じたことばなので誤りとは言い切れません。「芸妓」にはよく見ると「げいしゃ」とルビが振ってありますが、正しい読みは「げいぎ」です。「映画」に「フィルム」、「記録」に「レコード」とルビをつけていることから分かるように、当時のルビは分かりやすい言葉に言い換えることがよくありました。

 「文字」は今では「もじ」と読むのが一般的ですが、ルビが「もんじ」となっています。当時はこう読むことも多かったのでしょう。興味深いところです。

拡大ジゴマの連載4回目が載った1912年10月8日付東京朝日朝刊5面
拡大…あれれ? 翌日9日の連載も「4回目」となっていた(いずれも冒頭部分だけ切り抜きました)
 ちなみに、「おたんちん」「甚助」「助平」はいずれもののしり言葉です。「おたんちん」は「おたんこなす」と同じ。当時、芸者がイヤな客のことをこう言ったそうです。「甚助」は「多情でしっと深い性質の男」(日本国語大辞典)。助平は今でもよく聞きますね。「好色なこと」(同)。このような感情的なののしり言葉を記事の地の文で使うことは、今では考えにくいです。なくても分かるので、抜いてはどうかと提案してみましょう。

 今回取り上げた記事ではありませんが、同じ連載の中に恥ずかしいミスを見つけてしまいました。10月8日付が第4回なのですが、なんと9日付にも「(四)」と入っているのです。翌日は「(六)」となっていたので修正したのでしょう。社内では連載の番号などを「ノンブル」と呼びますが、現在でもときどきこうした間違いに遭遇して肝を冷やすことがあります。

 さて、大悪党が活躍する「ジゴマ」が当時の人々を魅了したのはなぜでしょうか。連載の2回目以降を読んでいくとその理由がわかります。一つは内容の新鮮さです。いわゆる犯罪物は探偵が主人公であることが多いですが、ジゴマでは犯罪の過程が中心に描かれました。記事では「犯罪鼓吹物」「罪人崇拝物」との表現も見られます。

 10月8日付の連載第4回では次のように分析しています。喜劇物などそれまでの活動写真に観客が満足しなくなると、営業者はそれに代わる、刺激の強い破天荒な物を提供しなければならない。ジゴマが登場したのは、ちょうどそうした時期だったのではないか――。また「ジゴマ」という非常に簡潔で、覚えやすいタイトルもヒットの要因、との記述も見られました。

 当時の映画は「活動写真」の時代。無声だったため、「弁士」と呼ばれる人が人物のセリフを代弁し、筋の説明もしました。「日本映画検閲史」(2003年、牧野守著)は、弁士の活躍もジゴマの成功を支えたといいます。もともとフランスでは、ジゴマはさほど評判にならなかったそうです。弁士たちは作品の理解を助けるだけでなく、独特の口調で決まり文句に工夫をこらし、楽隊の演奏とともに観客を盛り上げました。弁士の名前で客を呼ぶようになったともいいます。

 辞書をめくっていると、ジゴマがいかに当時の人に浸透したかを物語る痕跡を見つけました。「ジゴマる」という項目があるのです。日本国語大辞典によると、「①多数が共謀して強窃盗を犯す、また、近代的な手段で詐欺をすることをいう、不良・盗人仲間の隠語②むごい喧嘩をしたり、変化に富んだ復仇をしたりする」という意味だそうです。

拡大「ジゴマる」に言及した米川明彦さんのコラム=1996年10月13日付日曜版
 1996年には、「若者ことば辞典」などの著書がある米川明彦さんが本紙日曜版で「ジゴマる」に言及していました。若者語の「メシる」(食事をする)、「タクる」(タクシーに乗る)を取り上げたあとで、「明治末から『ジゴマる』(フランス映画の主人公の名。わるふざけをする意)のように人名につく“る”ことばもあった。便利な語はいつの世にも使われる」と結んでいます=画像

 フランス生まれの怪盗も、遠い異国の地でここまで人気が出るとは思いも寄らなかったでしょう。

【現代風の記事にすると…】

ジゴマ(1)
犯罪をあおる映画「ジゴマ」とは

 小学校からの帰り道、4、5人の高学年の子たちが「ジゴマごっこ」をするのを見るようになった。制帽をかぶった中学生も、寄ると触ると「あいつはジゴマだよ」「ジゴマみたいなやつだね」と話している。

 ひげの生えた紳士でさえ、「ジゴマ」という言葉を使っている。電車の中のひそひそ声を聞くと、小太りで色黒、丸顔の眉の濃い男が「ジゴマに似ている」らしい。中づり広告にも「ジゴマ」の文字を見る始末だ。ジゴマとは一体なんだろう。

 「あの人はジゴマよ」「イヤなジゴマ」などと、芸者同士でも口にするようになった。世の中のありとあらゆるイヤな人の代名詞として、この3文字は強い力をもって普及しつつある。

 (後略)

(森本類)

当時の記事について

原文どおりに表記することを原則としますが、読みやすさの観点から

  • 漢字の旧字体は新字体に
  • 句点(。)を補った方がよいと思われる部分には1字分のスペース
  • 当時大文字の「ゃ」「ゅ」「っ」等の拗音(ようおん)、促音は小文字に

等の手を加えています。ご了承ください