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昔の新聞点検隊

拡大1936(昭和11)年10月8日付 東京朝日 朝刊11面。画像をクリックすると大きくなります。主な直しだけ朱を書き入れています。現在の朝日新聞の表記基準で認めていない漢字の音訓や、当時は入れていなかった句点を入れる等については、原則として記入を省いています

【当時の記事】

“誤植事件から無期限罰金” 印刷工が会社を訴ふ

渋谷区代々木山谷町●●●渡辺▲▲氏は深川区白河町■■■××印刷株式会社(代表者松井◆◆氏)を相手取り七日東京区裁判所調停掛へ金二百六十八円八十四銭の金銭債務返還の調停方を申請した

渡辺氏はかつて××印刷工として働いてゐたがたまたま昭和九年十一月、同会社に注文された三越商品券の番号中数字一ケ所の誤植があったため会社では三越から注意を受けた、そこで会社では大事な得意先のこととて宥恕を求め注文の継続方を懇請したところ三越でも事情を諒としその後もやはり注文の取引を継続した

ところが会社では内部的にこの誤植を重大視し当時渡辺氏等六名に対し無期限の罰金といふ名目で実質的に減給してしまった、然し渡辺氏はその時分は何等の過失なくただ漫然無理に過誤の渦中に引き入れられたものでこの点は責任逃れをするわけではないが貧しい職工に対して手痛い無期限の罰金とはあまりに酷いといふので労働組合方面の問題ともなり渡辺氏は去る六月末に同会社を辞めてしまった

無期限の罰金といふのは一般世間に類例のないことで渡辺氏は(中略)当然取得すべき金であるから返して貰ひたいといふ理由で調停裁判を申立てたものである

(後略)

(1936〈昭和11〉年10月8日付 東京朝日 朝刊11面)

【解説】

 「校正おそるべし」という言葉があります。孔子の論語の一節「後生おそるべし(多くの可能性を秘めた若者を侮ってはいけない)」をもじったものです。校正に携わる者なら誰もが一度は誤植を見逃して、肝を冷やしたことがあるはず。点検をおろそかにするなという戒めです。

 校正作業では、資料と原稿を照らし合わせ、誤字・脱字・衍字(えんじ=不要な字が入っていること)といった誤りを見つけることが求められます。私たち校閲記者はその作業に加え、固有名詞などのデータに間違いはないか、また、正しい日本語で書かれているかという点にも着目して、原稿を点検しています。完璧な紙面を目指して赤鉛筆を走らせる毎日ですが、限られた時間の中での作業、完全にミスをなくすことはやはりできません。大きな声では言えませんが、私も5年間の校閲記者歴の中で数々の誤りを見逃してきました。この印刷会社のように職場が罰金制をとっていたらと思うと、ぞっとします。

 無期限の罰金は少々酷な気もしますが、しかし、誤植があったのは百貨店の商品券。たった数字一つのミスとはいえ、お金が絡んでくるだけに、顧客に与える影響は小さくありません。会社としては何らかのペナルティーを科さざるを得なかったのでしょう。

 記事の内容が内容だけに、当時の校閲担当者もいつも以上に力を入れて点検したのかもしれません。直すべき誤りは見つかりませんでした。強いて挙げるならば、2段落目の「宥恕(ゆうじょ)」。新聞は、誰が読んでも理解できるように書く必要があります。「許しを求め」などと書いた方が読者には伝わるでしょう。

 活版印刷において、活字をひと文字ずつ拾い上げて、それを手書きの原稿の通りに並べ活版を組み上げる作業を植字と言います。「誤植」はもともと、この植字の過程で誤った活字を組み付けてしまう(誤りを植える)ことを指した言葉でした。

拡大誤植撲滅に秘策なし。記事に赤線を引きながら何度も読み返す
 パソコンを使って印刷物を制作するのが主流となった現代の誤植といえば、変換ミスによるものが多数を占めます。ここ数日、私が点検した原稿の中で実際に見つけたものだけでも、「仮説住宅(→仮設)」「補償精度(→制度)」「岩手軒(→県)」と枚挙にいとまがありません。

 間違いを世に出さないためにはどうすればいいか。それは、校閲記者が抱える永遠の課題です。しかし、秘策はありません。愚直に何度も確認するしかないのです。

 新聞社では原稿を点検する際、「読み合わせ」を徹底しています。2人1組になって、1人が企業の広報文など記事の元になった資料を読み上げ、もう1人が相方の発言通りに原稿に書かれているか確認するという手順です。アナログかもしれませんが、これが一番効果的なのです。

 数字は0から順に「まる、ひと、ふた、さん、よん、ご、ろく、なな、はち、きゅう」と読みます。漢字は誰が聞いても同じ文字を思い浮かべられるように、形が似ているなど紛らわしいものを中心に、読み方がある程度決まっています。例えば「郎」は「野郎のロウ」、「朗」は「朗らかのロウ」という具合です。「島」は「嶋」と区別するため「アイランドのシマ」。「嶋」は「やまどり」です。

 しかし、どれだけ目を皿のようにして点検しても、誤植はなくなりません。私が遭遇したものでは、「周縁部」が「周緑部」になっていたり、フィギュアスケートの記事なのに「着氷」が「着水」になっていたり。思いがけない間違いに、気の抜けない毎日が続きます。

 校閲記者には、原稿の中の間違っているところが光って見える――。私がまだ新人記者だったころに教えられた都市伝説です。私に限って言えば、そんな超常現象が起こったことは一度もありません。しかし、他人が数時間かけて点検したはずの紙面をほんの少しながめただけで間違いを指摘してしまう先輩が実際にいることを考えると、あながちウソではないのかも、そんな気さえしてきます。校正ならぬ、校閲おそるべし、と言ったところでしょうか。

【現代風の記事にすると…】

「無期限罰金は酷」 印刷工、賃金支払い求め提訴

 仕事でミスをした社員に対し無期限の罰金を科すのは処分が重すぎるとして、東京市渋谷区代々木山谷町の印刷工渡辺▲▲氏が7日、同市深川区白河町の××印刷(代表者松井◆◆氏)を相手取り賃金約270円の支払いを求め、東京区裁判所に提訴した。

 訴状によると、渡辺氏が同社の印刷工として働いていた1934年11月、発注を受けて印刷した三越百貨店の商品券で番号を1カ所取り違える誤植が見つかった。取引は継続されたものの、三越側から注意を受けた同社は事態を重く見て、渡辺氏ら6人を無期限の罰金という名目で実質的に減給したという。極めて重い処分のため、労働組合も介入して交渉したが処分は変わらず、渡辺氏は今年6月末に退職した。

 渡辺氏は「私は何もミスしておらず、騒動に巻き込まれただけ。責任逃れをするわけではないが、貧しい職工に対して無期限の罰金とはあまりにひどい」と訴えている。

(永川佳幸)

当時の記事について

原文どおりに表記することを原則としますが、読みやすさの観点から

  • 漢字の旧字体は新字体に
  • 句点(。)を補った方がよいと思われる部分には1字分のスペース
  • 当時大文字の「ゃ」「ゅ」「っ」等の拗音(ようおん)、促音は小文字に

等の手を加えています。ご了承ください