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昔の新聞点検隊

拡大1922(大正11)年11月19日付東京朝日朝刊5面。画像をクリックすると大きくなります。主な直しだけ朱を書き入れています。現在の朝日新聞の表記基準で認めていない漢字の音訓や、当時は入れていなかった句点を入れる等については、原則として記入を省いています

【当時の記事】

理屈はぬきにして ただ人生の歓びを語りつつ
ア博士昨夜入京 洋袴の膝に繕ひの痕
「それが実に貴いところだ」と 見惚れて考へ込む愛知博士

十八日朝九時十五分京都駅発の特急車は、科学思想の革命家として世界的に名を轟かしたアインシュタイン教授をわが帝都へと運ぶべく走り出した、前夜都ホテルのサロンに相対性理論讃仰の学者石原純、愛知敬一、長岡平太郎の諸博士と共に新しき物理学の諸説に就ても質疑などを十一時過ぐる頃までも語り合ったア教授は疲れの色も見せず車中極めて元気に、ここでも亦同じ博士達を相手に京都出発の際短時間に経巡った諸名所の印象を述べつつ頻と窓外の風景に観察の眼を睜って居た

(中略)

富士を中心に御殿場を過ぐる頃迄盛んに日本の自然が雅やかで細かい点ばかりが挙げて話される、ふと見ると審美眼の実に深い教授のヅボンに穴があいて繕ひがしてある、靴はボックス、ネクタイなどもまことに粗末なもの、お隣の長岡博士の服装と比較にもならない程質素である、愛知博士も気がついて『これだからあちらの学者は尊い、独逸では必ず三等車に乗るさうで人間の観察に最もいいと主張する、こんな一等車は嫌ひださうだ』と感心して居た

(中略)

子供のやうに喜んで 大群衆の中を帝国ホテルへ
高遠な理論も必ず民衆に通じやうと語る

ア博士は横浜駅から東京駅までの間に数の殖えた出迎への記者や大使館の人々に向って『私は京都やここまで途中の自然に接して長年胸に育くんでゐた東洋の童話を想起する、一歩日本に足を下してからまだ不愉快な思ひをしたことがない、私の心に忘れ難きは日本帰朝客が船から故国の山が見えた時喜び叫んだ際の人間的な顔である、今後一箇月余滞在して学術及び通俗講演などを諸所ですることを楽しんでゐるが、私は高遠な理論も必ず民衆の心にある程度までは通じ得るといふ自信を持って居る、講演の暇には出来るだけ日本の民衆生活、国民性音楽絵画等を研究して見たい、殊に建築を』と語った(後略)

(1922〈大正11〉年11月19日付東京朝日朝刊5面)

【解説】

 もじゃもじゃの髪の毛と、難解な相対性理論で有名なアインシュタイン(1879年3月14日~1955年4月18日)。ドイツ生まれのユダヤ人物理学者で、1921年度のノーベル物理学賞を受賞しています。実は受賞が決まった時、彼は欧州を離れ日本へと向かう途上でした。

 1922(大正11)年、ベルリン大の教授だったアインシュタインは日本の出版社・改造社の招待を受け、初めて来日することになりました。10月8日、日本郵船「北野丸」でフランスを出発し、香港や上海を経由して、11月17日に神戸に到着します。

拡大①ノーベル賞授賞を報じる記事=1922年11月12日付東京朝日朝刊5面
 スウェーデン王立科学アカデミーが1921年度のノーベル賞を彼に授与すると発表したのは、この日本行きの途上でのこと=画像①。このニュースは日本でも伝えられ、来日への期待が高まっていました。記事によると、授賞自体はこの前年に決まっていたが、戦争の影響で賞金の授与が遅れていたようです。

 記事にもあるように、アインシュタインは来日中非常に多忙な日程をこなすことになりました。11月17日午後4時過ぎに神戸港に到着。午後5時三ノ宮駅発の汽車で京都に向かい、その夜は京都の都ホテルに宿泊。翌日午前9時ごろの特急で東京へ、同日夜に到着しました。

 その後の主な日程を箇条書きにすると、以下のようになります。

11月19日  慶応大で一般講演
20日  小石川植物園で開かれた学士院の歓迎会に出席。夜は明治座で日本の芝居を見物
24日  東京・神田青年会館で一般講演
25日  東京帝大で、専門家に向けた学術的な講演(12月1日まで、日曜休み)
12月3日  仙台で一般講演。夜は松島で月見
4日  日光へ
8日  名古屋で一般講演
10日  京都で一般講演
11日  大阪で一般講演
13日  神戸で一般講演
17日  奈良で観光
24日  福岡で一般講演
29日  門司港から離日

拡大②「アインシュターン」と表記した記事も=1920年10月20日付東京朝日朝刊4面
 「アインシュタイン伝」(矢野健太郎著、新潮文庫)によれば、アインシュタインは各地で観光したほか、駅にいる新聞や弁当の売り子の呼び声を面白がったり、宴席で義太夫やどじょうすくいに興じたりして日本での生活を楽しんだようです。「花束で飾られた帝国ホテルの自分の部屋がぜいたくすぎる」といって、もっと質素な部屋に変更するように求めたともいいます。

 では、校閲的に記事を点検していきましょう。

 アインシュタインの名前については、今では慣用が定着して、ほとんど「アインシュタイン」としていますが、当時は表記が揺れていました。これより前の紙面ではアインシュターンという表記もありました=画像②

拡大③ 来日が決まったことを報じる記事=1922年2月5日付東京朝日朝刊6面
 一方で、来日が決まったことを伝える記事では、「アインスタイン」と英語風の読みになっています=画像③

 現在の朝日新聞の表記の標準では、フルネームは「アルバート・アインシュタイン」。1940年に米国籍を取得したので、今では英語風の読みが定着していますが、生まれはドイツ。この記事の当時は米国籍を取得する前なので、フルネームで書くとしたら「アルベルト」かもしれません。

 見出しの「昨夜」は、現在ならあまり使いません。朝刊の紙面でいうと、前日の出来事を翌日届けることがあたりまえで、あえて入れる必要がある場合以外は見出しに入れないことにしているからです。そのかわり、いつあったかわかりやすいよう本文の最初の方に日時を入れることにしています。

 また、見出しの「膝」の要素は本文にありません。愛知博士のコメントが見出しでは「貴い」、本文では「尊い」と表現が違うのとあわせて、本文とそろえた方がよいのではと指摘しておきましょう。

 名前に関連して、「ア博士」「ア教授」という略称の使い方は、いかにも新聞らしい方法です。日本上空を飛行して有名になった飛行船ツェッペリン伯爵号を「ツェ伯号」とするなど、昭和なかごろまではこのような略称が多かったようです。最近ではあまり見かけなくなっています。

 固有名詞の字数が多く、毎回正式な名称を入れているとそれだけで記事が長くなってしまう場合、現在では「ア教授」と略すより、直前の「アインシュタイン教授」を受けて「同教授」などとしています。ただ、あまり「同」を連発すると分かりにくくなるので注意が必要です。また、肩書の博士か教授かは、いまならどちらかにそろえるでしょう。「教授」とする場合は「○○大学教授」などとどこの機関の教授なのかまで書いています。

 そのアインシュタインがはいていたのが「ヅボン」。いまなら当然ズボンとします。

 実はこのズボンという言葉、語源がはっきりしない語として有名です。フランス語の「jupon」がその由来とされていますが、これは現地では下着の一種の「ペチコート」の意味で使われる言葉で、日本のズボンという使われ方になった理由は明らかになっていないようです。

【現代風の記事にすると…】

アインシュタイン博士、東京入り
日本の景色に目をみはる/ズボンに当て布「質素さが尊い」愛知博士

 18日午前9時15分京都駅発の特急列車は、科学思想の革命家として世界的に名をとどろかせたアインシュタイン博士を乗せて東京目指して走り出した。同博士は前夜京都の都ホテルのサロンで、相対性理論を支持する石原純、愛知敬一、長岡平太郎の各博士と共に午後11時過ぎまで新しい物理学の諸説について質疑などを交わした。疲れの色も見せず、車中でもきわめて元気で、ここでもまた同じ博士たちに、出発する前に短時間だけめぐったいくつかの名所の印象を語りながら窓外の風景に目をみはっていた。

 (中略)

 アインシュタイン博士は、御殿場を過ぎる頃までさかんに日本の自然が富士山を中心にみやびやかで繊細なことを指摘していた。ふと見ると、審美眼の深い教授のズボンに穴があいて当て布がしてある。靴はボックス、ネクタイなども高級なものではない。隣の長岡博士の服装とは比較にならないほど質素である。愛知博士も気がついて「これだから海外の学者は尊い、ドイツでは必ず3等車に乗るそうで、人間の観察に最もいいとおっしゃる。こんな1等車は嫌いだそうだ」と感心していた。

 (中略)

歓迎を喜ぶ博士 群衆の中を帝国ホテルへ
「難解な理論も必ず理解される」と語る

 アインシュタイン博士は横浜駅から東京駅までの間に増えた出迎えの記者や大使館の人々に向かって次のように語った。

 「私は京都やここに来るまでの自然に接して、長年胸に育んでいた東洋の童話を思い出した。日本に一歩足を下ろしてからまだ不愉快な思いをしたことがない。また、日本に帰国する人が船から故国の山が見えた時に喜び叫んだ際の人間的な顔は特に印象に残った。今後1カ月あまり日本に滞在して、あちこちで専門的な講演や一般講演をすることを楽しみにしているが、私は難解な理論も必ずある程度までは理解されるという自信を持っている。講演の合間には、出来るだけ日本の人々の生活や、国民性、音楽、絵画などを研究してみたい。特に建築に興味がある」

 (後略)

(市原俊介)

当時の記事について

原文どおりに表記することを原則としますが、読みやすさの観点から

  • 漢字の旧字体は新字体に
  • 句点(。)を補った方がよいと思われる部分には1字分のスペース
  • 当時大文字の「ゃ」「ゅ」「っ」等の拗音(ようおん)、促音は小文字に

等の手を加えています。ご了承ください