昔の新聞点検隊
(2013/03/26)
【当時の記事】
●彗星の行方
▽昨朝も遂に見えぬ
▽今日は何処迄行た
七十六年振りにヤッと来たハリー珍客は十九日の昼に太陽面をサッサと通って我地球にはトンと何等の御挨拶もないが、それでも臆説は紛々と巷衢に立って天文台では観測を怠らぬ
▲二十日夜の観測 二十日は夕景より天文台では観測を始めたが、日没以後に於ても見えぬ、愈彗星の地平線下に没する時になっても依然として見えぬ、群る新聞記者は散じ去て、後には平山博士、平山(清)、一戸、小倉の三理学士が残って徹宵観測したが、空は或は霽れ或は曇ってそれらしい物の影さへ見えなかった、著るしい磁力電力の変化も認めず、尾が地球を包んだか包まぬかといふことも分らぬといふ、さては千歳一遇と世間を騒がしたハリー彗星も、何等の印象をも地上に留めずして天涯遥に逸し去ったのである、併しそれでも天文学者にはよい実験で、何物も見えず格別の影響を与へずといふ事自身が尊い結果であるといふ、尚遠くは欧米諸国に於ても観測に従ひ、近くは大連に於て早乙女学士が観測して居るから、学理的の精細な結果は暫くの後に得られるであらう
(中略)
▲外れた迷信 外れて幸ひ当ったら災難、今度のハリー彗星に就ても随分御念入の迷信が内外共に行はれたが、皆見事に外れた、十八日伯林発の電報に依ると伊太利では地球の滅亡近きに在りとなして法皇に救ひを求めたといひ、又巴里附近では十九日カーニヷル祭を行はんとすとあった(中略)我国ではこんな馬鹿馬鹿しいことは聞かなかったが、それでも宇都宮の花柳街は大に賑ったといふ、併しこれらは実に人類の生活を見くびった話で、何千万年以来人類の棲息所なる地球が、此位のことで破壊したり滅亡したりする位脆いものなら、もう疾くの昔に骨灰微塵になって居る筈だ
(1910〈明治43〉年5月22日付東京朝日新聞朝刊5面)
【解説】
会えるのは今だけ。
そう言われて急に気になる存在になったのが、3月10日に太陽に最接近したパンスターズ彗星(すいせい)。
4月ごろまで、空を探せば見ることができるといいます。
彗星は太陽系の外側から太陽に引き寄せられ、また離れていきます。
放物線や双曲線の軌道を描いて一度しか太陽に近づかないもの、楕円(だえん)軌道で周期的に太陽に近づくものがあり、パンスターズ彗星は前者。一方、彗星界のスターである「ハレー彗星」は、周期的に回帰することが初めて確認された彗星で、約76年ごとに太陽に近づき、その出現の記録は紀元前にさかのぼります。
彗星といえば、ぼんやり輝く星からボーッと光の尾が伸びている写真を思い浮かべます。彗星の本体は直径数キロから数十キロの氷やちりの塊。太陽に近づくと、本体から蒸発したガスやちりが放出され、それらに光があたって、ぼわっと輝いたり、尾が伸びたりして見えるのです。尾は長いものでは1億キロを超えることもあるそうです。太陽と地球の平均距離が約1億5千万キロですから、とても長いしっぽです。
写真の印象から流星と混同されることもありますが、流星は彗星から吹き飛ばされたちりなどが大気圏に入って燃えながら落ちているもの。一方、彗星は地球から離れた位置にあり、静止して見えます。
古くからほうき星などとも呼ばれ、人々はその不思議な姿に驚き、恐怖の念も抱いたようです。
1910年にハレー彗星が太陽に近づいた時には世界中で騒動が起きたとか。この時は地球に接近して明るく大きくみえるとされ、天文学の進歩もあって世間の注目を集めていました。
当時の記事を見てみましょう。
記事を読んでまず気になるのが「ハリー彗星」という呼び方です。今は「ハレー彗星」で通っていますよね。
この頃は「ハリー彗星」「ハーレー彗星」などと呼んでいたようで、日本天文学会の天文月報でも「ハリー彗星」と表記していました。過去の彗星の軌道を計算して周期的に回帰している同一の彗星があることを見いだし、次の出現時期を予言した天文学者E.Halley(1656~1742)にちなんでつけられた名前です。
紙面での表記は、現地の発音などを考慮して決めており、「ハリー」が間違いというわけではありません。ただ、同じ記事の中で「ハレー」「ハリー」などとばらつきがないかは校閲者として気を配りたいポイント。この記事では「ハリー」で統一されているので問題はなさそうです。
ちなみに、前回1986年の回帰の頃には「ハレー彗星」の表記が一般的になっていました。
太陽に近づいてきたハレー彗星は1909年9月にその姿を確認され、10年5月19日に太陽と地球の間を通過しました。この時、ハレー彗星の長く伸びた尾が地球を包むかもしれないというので、不安が広がったのです。
「尾に含まれるシアンガスでたぶん地球上の全ての生物が死滅する」「彗星の尾の中に含まれる水素が地球の酸素と結合すれば人類は皆窒息して死滅するだろう」という学者もいたというので、怖くなる気持ちもわかります。他にも、彗星が落下するかもしれないなどの迷信が世間を騒がせました=画像①。漫画「ドラえもん」では、のび太のひいおじいさんたちがこうした迷信に惑わされた話があり、読んだことがある方も多いかもしれません。
海外でも、イタリアでは法王に救いを求める人がいたり、フランスのパリではカーニバルをしようとしたりという騒ぎがあったと記事には書いてあります。
ただ、死ぬかもしれないなら「生きているうちに飲んだり歌ったりするに限る」と花柳界で浮かれ歩く人もいて「芸妓(げいぎ)は有難きほうき星様とて手を合せて拝み居れり」と伝える記事や、彗星騒動に便乗して「流行はハリー彗星の速力にも比すべく」と商品の宣伝をする商魂たくましい新聞広告=画像②=もあり、多くの人が本気でこの「滅亡説」を信じていたかどうかは怪しい気もします。ノストラダムスの大予言のように、面白半分で怖がっていたのかもしれませんね。
記事では、そんな大注目の19日が何事もなく過ぎて、「千歳一遇と世間を騒がしたハリー彗星も、何等の印象をも地上に留(とど)めずして天涯遥(はるか)に逸し去ったのである」と、拍子抜けしたとでも言いたげな書きぶりです。
「千歳一遇」は「千年に1回しかあえないようなめったにないこと」で、「良い機会」というポジティブな意味合いのある言葉です。ハレー彗星の出現に不安も抱いている状況にはそぐわないようにも思います。「めったにない」などとしてはどうかとアピールしましょう。また、今では「千載一遇」と書くのが一般的です。
「迷信」が外れた安心感からか、海外の「御念入の迷信」の数々を並べたうえで「我国ではこんな馬鹿馬鹿しいことは聞かなかったが」。随分失礼ですね。「馬鹿馬鹿しい」は抜いた方がいいのではと指摘します。
86年にハレー彗星が76年ぶりに戻って来た時はこのような騒動はなかったようです。地球からの観測には不向きでしたが、題名や歌詞に「ハレー」「彗星」という言葉が入った歌が流行したりしました。
この時は日本、米国、欧州、ソ連が探査機を送り込み、ハレー彗星の核が約16キロ×約8キロの大きさで、ピーナツのような形をしていることがわかりました。
次にハレー彗星が太陽に近づいてくるのは2061年ごろ。約50年後、もう宇宙で暮らす時代になっているかもしれません。地球からではなく、どこかの星からハレー彗星を見ているかも……そんな想像をすると、ロマンを感じます。
ただ、半世紀を待たずとも今年は彗星の超当たり年。パンスターズ彗星に続き、11月にも大彗星のアイソン彗星が見られるそうで、こちらはかなり明るいのではと期待されています。珍しいお客さんを見られる大チャンス、天文ファンでなくてもわくわくしますね。
【現代風の記事にすると…】
ハレー彗星 21日早朝も観測できず
各地で「滅亡予言」騒ぎも
76年ぶりに太陽に近づいたハレー彗星(すいせい)は19日の昼に太陽と地球の間を通過したが、望遠鏡の性能が足りなかったのか、何の変化も観測できなかった。その後も天文台では観測を続けている。
20日は夕方から観測を始めたが、日が沈んでも、彗星が地平線の下に沈むころになっても見えなかった。
集まっていた新聞記者は帰って行き、後には平山信博士、平山清次、一戸直蔵、小倉伸吉の3理学士が残って夜を徹して空を探したが、時々雲も出たこともあり彗星らしきものの姿は確認できなかった。磁場の急激な変化も認められず、彗星の尾が地球を包んだかどうかも分らないという。
めったにないと世間を騒がしたハレー彗星は、心配されたような大きな影響を与えることはなく、無事通過したようだ。天文学者にとって、何も見えず格別の影響も与えないということ自体が貴重な結果であるという。
欧米でも観測しているのをはじめ、中国・大連でも早乙女清房学士が観測を続けている。観測の詳細なデータはしばらく後に明らかになるだろう。
(中略)
今度のハレー彗星については様々な予言が世界中に飛び交ったが、幸いすべて外れた。
18日のベルリン発の電報によると、イタリアでは地球の滅亡をおそれて人々が法王に救いを求め、またフランスのパリ付近では19日にカーニバルを行おうとしていたという。日本ではこのようなことは聞かなかったが、それでも宇都宮の花柳街はおおいににぎわったという。
私たちをひどく騒がせたハレー彗星は、この後どんどん暗くなり、2週間後には肉眼では見られなくなりそうだ。
(松本理恵子)
原文どおりに表記することを原則としますが、読みやすさの観点から
等の手を加えています。ご了承ください