メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

昔の新聞点検隊

拡大1907(明治40)年5月6日東京朝日朝刊8面。画像をクリックすると大きくなります。主な直しだけ朱を書き入れています。現在の朝日新聞の表記基準で認めていない漢字の音訓や、当時は入れていなかった句点を入れる等については、原則として記入を省いています
【当時の記事】

会津若松の石部桜

石部主税父刑部の為め仇を討ちたる記念として其名遠邇に知らる、刑部は会津城主葦名家の臣なり 其仇討は四百年の昔にて此桜も亦四百歳の年所を経たるものなること一株数幹の老樹自ら之を語る、白虎隊の墳墓は此附近に在り

 (1907〈明治40〉年5月6日東京朝日朝刊8面)

【解説】

 今年も桜前線は順調に北上し、いまはちょうど東北地方の桜が開花・満開を迎えています。東北の桜といえば、今年のNHK大河ドラマ「八重の桜」のオープニングで登場する、満開の桜の巨木はとても印象的です。これはドラマの舞台・福島県会津若松市内にある「石部桜」で、樹齢は数百年。NHKによるとコンセプトは「挫折からの再生」で、メッセージ性のあるとても美しい映像になっています。

 さてこの石部桜、約100年前の紙面に大きな写真付きで掲載されました。いつも通り校閲していきましょう。

 まず石部桜の由来となった人物についてです。会津若松観光物産協会のホームページなどによると、この桜は「石部治部大輔」の庭にあったものとしています。しかし本文は「石部主税」とその父「刑部」しか登場しません。どちらかが治部大輔のまちがいなのかもしれません。念のため確認してもらいましょう。

 また、あだ討ちの記念の桜として名前が知れ渡っているとしています。しかし、地元では有名かもしれませんが、事典に載るような歴史的に有名な事件というわけではありません。「記念して植えたとされている」などとしてはどうかと提案します。

 次に、主君の蘆名氏について「会津城主」としていますが、蘆名氏が支配していた当時は黒川城と呼ばれていました。若松城、会津若松城の名もあり、現在は鶴ケ城と呼ばれることも多いので、城の名前を出すのではなく「当時一帯を治めていた」などとした方がよさそうです。「葦」と「蘆」は別の字ですが、今も昔もよく混同して使われます。「葦名」「蘆名」両様の表記がありますが、この記事では「蘆名」とします。

 最後に、白虎隊の「墳墓」とありますが、「墳墓」は土を盛ったお墓となります。観光名所ですのでインターネットにたくさん画像がありますが、現在は石で作られたお墓です。もしかすると100年前は土のお墓だったのかもしれませんが、念のため確認してもらいます。

 それにしても見事な満開の写真なので、もし当時カラー紙面なら……と思ってしまいます。しかし、モノクロだからこそ「どんなにきれいだろう」と想像するのが楽しくもなります。現代よりはるかに情報が限られていたことを考えると、当時は新聞がガイドブックのような役割も果たしていたかもしれません。

 そんな時代を象徴する桜の記事がもう一つ。石部桜の記事から12年後、全国の桜の巨木による「桜番付」が掲載されました。石部桜も登場します。福島県は桜の巨木大国で、100本のうち実に13本を占めました。下にある写真は、今年の3月末に撮影した、13本のうちの3本です。さて、それぞれ何位だったでしょう。次回はその答えを。

石部桜拡大

太夫桜拡大
峰張桜拡大

【現代風の記事にすると…】

「八重の桜」満開 会津若松

 福島県会津若松市にある石部桜が満開を迎えている。この桜は、室町時代にこの一帯を治めていた蘆名氏の家臣・石部氏が、父のあだ討ちをした記念に植えたとされている。あだ討ちは約400年前なので、この説が正しければ樹齢も400年以上ということになる。幹が10本に分かれた巨木で、咲き誇るさまは見事だ。近くには明治の戊辰戦争の悲劇で知られる白虎隊の墓がある。

(森ちさと)

当時の記事について

原文どおりに表記することを原則としますが、読みやすさの観点から

  • 漢字の旧字体は新字体に
  • 句点(。)を補った方がよいと思われる部分には1字分のスペース
  • 当時大文字の「ゃ」「ゅ」「っ」等の拗音(ようおん)、促音は小文字に

等の手を加えています。ご了承ください