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昔の新聞点検隊

ニューヨークの摩天楼vs.丸ビル

桑田 真

拡大1937(昭和12)年5月23日付東京朝日朝刊11面。画像をクリックすると大きくなります。主な直しだけ朱を書き入れています。現在の朝日新聞の表記基準で認めていない漢字の音訓や、当時は入れていなかった句点を入れる等については、原則として記入を省いています
【当時の記事】

なげきは嘆きでも
帝都のビルは満腹
“あちらとは違ふ”と
 軍配は日本に

世界一の摩天楼ニューヨークのエムパイヤ・ステート・ビルディングが不景気で空き室だらけの嘆きをかこってゐる時、吾が大東京ではビルといふビルがいづれも超満員、同じ嘆きは嘆きでもこちらは満腹の嘆きでこのところ日米ビル景気合戦の軍配は日本にあがってゐる――【カットの写真は丸ビル】

嘗て約千室の半数以上が空室で、お化屋敷とまでいはれた八階建丸ビルが昨年秋から満員、新旧海上ビル、郵船ビルを初め、丸之内から京橋一帯にかけての大小ビルディング約百八十棟、二万室の貸オフィスが一つとして空いてゐない

丸之内だけに約四十棟のビルを管理してゐる三菱地所課では、部屋代坪十円のが十二円、十三円に騰ってゐるのに、希望者を収容出来ないと景気の良いぐちをこぼせば、貸オフィス専門で部屋数約二百の大阪ビル、三信ビル、昭和ビル、松田ランプ等ともに同感、同感、大阪ビル等にはそれでも毎日四人、五人と心臓の強い客が強談判に及ぶさうだ、そこで目下建築中の日比谷の第一生命、芝田村町の日産ビルなどにはまだ鉄骨のうちから貸室申込が殺到してゐるが、遺憾ながらこれは純粋の自家用ビルでお貸し出来ぬとある

丸之内の某ビルが貸オフィスに転向するといふ噂にまた「新生オフィス病患者」の群が押かけるが、早くも大会社の手が廻ってゐるとか

(中略)

遥アメリカに伝へてやりたいビルディングだけの景気である

(1937〈昭和12〉年5月23日付東京朝日朝刊11面)

【解説】

 天を突く高層建築と言えば、皆さんは何を思い浮かべますか。

 今月開業1周年を迎える東京スカイツリー(634メートル)、根強い人気の東京タワー(333メートル)、ビルとして日本一になった、大阪のあべのハルカス(300メートル)……。

 今回の記事で取り上げる昭和初期、日本の高層建築の代表格は東京・丸の内の「丸ノ内ビルヂング」(丸ビル)でした。地上8階建て、高さは当時の上限ぎりぎりの31メートルで1923(大正12)年2月に完成しました。1、2階は商業施設が入り、弁護士事務所や診療所など多彩なテナントが入居していたといいます。

拡大2002年に超高層ビルに生まれ変わった現在の丸ビル。低層部分に建て替え前のビルの面影を残す=東京・丸の内
 明治期に建てられた三菱1号館(3階建て、15メートル)など周辺のビルは赤レンガ造りの装飾性の高い建物でした。一方、丸ビルはフロアの広さを重視した造りで、アメリカ式のオフィスビルの先駆けでした。

 その外観から巨大な升に例えられ、新聞では飲料などの出荷量を表すときに、「丸ビル○杯分」などと表現することもありました。耐震性の問題などから建て替えられ、2002年9月に地下4階地上37階建て、高さ180メートルの超高層ビルとして生まれ変わりました。

 記事中で丸ビルのライバルのように強烈に意識されているのが、米ニューヨークのエンパイアステートビルです。1931年5月に完成し、地上102階、高さ381メートルで当時世界一を誇りました。頂上部分に飛行船が係留できるように設計されましたが、乗降が危険なため結局一度も使われなかったといいます。映画「キング・コング」(33年)に登場するなど、大国アメリカを象徴する存在でした。その後増設された電波塔を含めると、高さは449メートルになります。

 記事を校閲してみます。

 冒頭の「空き室」と2段落目の「空室」とばらついているので、後者に統一してもらいます。「二万室の貸オフィスが一つとして空いてゐない」は、本当に百パーセント満室なのか、誇張した表現なのか気にかかるところですが、記者を信じることにしましょう。

 「新生オフィス病患者」は、オフィスビルを求める人々の熱気を表現したかったのでしょうが、病気に例えるのは感心しません。文脈から考えて「新しいオフィスの希望者」といったところでしょうか。末尾の「アメリカに伝へてやりたい」は、「伝えたい」で十分なはずです。

 この記事、エンパイアステートビルや米国に対して強烈な対抗心が感じられますが、数年前までは好意的な記事も書かれていました。32年5月、さまざまな「世界一」を特集した「コドモのペーヂ」では、「雲の中に住める」の見出しで写真付きで一番高い建物として紹介し、「皆さんも御存じの丸ビルを十重ねて更に一寸(ちょっと)した建物を上にのせた位あるのです」と書いています。

拡大冒頭の記事の5年前には、エンパイアステートビルを「雲の中に住める」と好意的に紹介している=1932年5月15日付東京朝日朝刊7面
 35年9月の記事はエンパイアステートビルについて「あちらでは、四階建、五階建なぞは、日本の平家みたいなもので、一寸した建物でも十何階、二十何階といふ高いものばかりですが、この八十五階建は、流石(さすが)にグンとぬきんでた素敵な建物であることは、これを見ただけで判るでせう」としています。

 ところが、37年5月18日付の記事では「これは意外 摩天楼、雲の上で泣く 不景気で空室だらけ」という見出しで不況に苦しむ状況をリポートし、「最近のアメリカ景気も摩天楼の頂上まではなほ昇りかねると見える」と皮肉めいた一文で記事を締めくくっています。さらに5日後に掲載されたこの記事で「軍配は日本に」と勝利宣言までしてしまいました。

 この豹変(ひょうへん)の裏に何があったのでしょうか。背景には、日米の経済状況の違いと、戦争への道を進んでいた日本の政治状況がありました。

 丸ビルの完成から6年後、29年10月に米国の株価暴落に端を発する世界恐慌が起きました。翌年、昭和恐慌として日本にも波及します。これを克服したのが、31年に大蔵大臣に就任した高橋是清でした。

 高橋はお金を刷っている日本銀行に国債を買わせて大型予算を組み、世の中に流通するお金を一気にふやしました。デフレから抜け出すためにインフレを意図的に起こし、景気をよくしようという「リフレ政策」です。日銀の直接引き受けは現在は禁じられていますが、3月に就任した黒田東彦(はるひこ)総裁がとっている政策に通じます。円安になって輸出が増えるなど、日本の景気は回復しました。完成当初は空きが目立った丸ビルも、好景気の恩恵を受け「一つとして空いてゐない」状態になったのです。

 対外的には31年の満州事変、33年の国際連盟脱退、そして37年の盧溝橋事件と、中国をはじめとするアジアへの侵攻を進め、米国などと対立、国際社会で孤立していきます。高橋の積極的な財政には、戦費を調達するという目的もありました。もっとも高橋は際限なくお札を刷ればよいと考えていたわけではなく、景気が回復したのをみてインフレが手に負えなくならないように政策を転換しました。しかし、軍事費の抑制につながったため軍部の反発にあい、36年の2・26事件で暗殺されました。

 一方の米国は、世界恐慌による不景気から抜け出せずにいました。31年のエンパイアステートビル完成時は空室が目立って「エンプティーステートビル」とからかわれたといいます。33年に就任したルーズベルト大統領によってニューディール政策が行われ、徐々に景気は上向きましたが、本格的に回復したのは37年以降、軍事支出をふやす戦時体制になってからでした。

【現代風の記事にすると…】

嘆きは嘆きでも… 日米高層ビル景況は丸ビルに軍配

 世界一の摩天楼、米ニューヨークのエンパイアステートビルが不景気で空室だらけだと嘆いている。一方、東京ではビルというビルがいずれも満室。同じ嘆きでも、こちらは「空きがない」という嘆きだ。このところの「日米ビル景気合戦」の軍配は日本にあがっているようだ。

 かつて約1千室の半数以上が空室で、お化け屋敷とまでいわれた東京・丸の内の丸ビル(8階建て)は昨年秋から満室だ。新旧の海上ビル、郵船ビルをはじめ、丸の内から京橋一帯の大小のビル180棟、2万室の貸しオフィスは一つも空いていない。

 丸の内で約40棟のビルを管理する三菱地所は「部屋代が1坪あたり10円から12、13円に上がっているのに、希望者を収容できない」と景気のよい愚痴をこぼす。貸しオフィス専門で約200室をもつ大阪ビル、三信ビル、昭和ビル、松田ランプなども同感だという。それでも大阪ビルには毎日4、5人、強気な入居希望者が交渉に訪れるという。現在建設中の日比谷の第一生命ビル、芝田村町の日産ビルなどには、まだ鉄骨が見えている段階で入居の申し込みが殺到しているが、残念ながら純粋な自家用ビルのため、賃貸はできないとしている。

 丸の内のあるビルが貸しオフィスに転換するといううわさに、新しいオフィスの希望者が殺到しているが、早くも大手業者の手が回っているという。

 (中略)

 遠く米国にも伝えたい、東京のオフィスビルの好況ぶりだ。

(桑田真)

当時の記事について

原文どおりに表記することを原則としますが、読みやすさの観点から

  • 漢字の旧字体は新字体に
  • 句点(。)を補った方がよいと思われる部分には1字分のスペース
  • 当時大文字の「ゃ」「ゅ」「っ」等の拗音(ようおん)、促音は小文字に

等の手を加えています。ご了承ください