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昔の新聞点検隊

エベレスト制覇の三浦さん、40年前の挑戦

加勢 健一

拡大1970(昭和45)年5月12日付朝刊21面。画像をクリックすると大きくなります。主な直しだけ朱を書き入れています。現在の朝日新聞の表記基準で認めていない漢字の音訓や、当時は入れていなかった句点を入れる等については、原則として記入を省いています

【当時の記事】

「スリル満点」三浦氏 エベレスト滑降の成功確認 転倒、スキー片方失う

 【カトマンズ十一日発=AP】日本エベレスト・スキー探検隊の藤島泰輔総本部長が十一日カトマンズで発表したところによると、三浦雄一郎スキー隊長はさる六日エベレスト・サウスコル(七、九八五メートル)より約二百メートル下の七、七八〇メートル地点から全長約三キロにわたるエベレスト初の本格的なスキー滑降に成功した。

 三浦隊長とサポート隊員は五日サウスコルに到着してキャンプ入り。六日朝、ザイルを使ってサウスコルから二百メートルくだり、滑降をはじめ、七、〇〇〇メートル地点にある大きく切れたクレバス(氷の割れ目)の手前まで滑降した、という。所要タイムは2分20秒だった。

 (共同電によると、この地点で、三浦隊長はうず巻き状の風に襲われ、減速用のパラシュートを操作しようとして転倒、腰部に軽傷を負った。このとき右のスキーがはずれ、目標地点高度六、二〇〇メートルまでの滑降続行は不可能になったという)

 藤島総本部長は「スキーを失ったほかは、計画通りだった。すべり出した直後に時速一五〇キロに達した。途中には四つも岩が露出していてヒヤヒヤした。三浦隊長も“スリル満点の滑降を楽しんだ”と喜んでいた」と語った。

 なお、三浦隊長は十三日にカトマンズに帰る予定。

平均時速は学生 滑降優勝者程度

 《解説》(前略)当初計画のサウスコルよりスタート地点は低くなったが、それにしてもこんな高所から一気にすべりおりたのは世界ではじめて。これまでの記録としては、昨年五月、西ドイツ隊がアンナブルナ山群のグレイシャー・ドーム(七、一四二メートル)頂上からすべったのが最高で、これを大幅に破った。

 こんどの滑降は瞬間時速一五〇キロのときもあったそうだが、全コースを計算すると、平均時速七七キロぐらいになる。これはことしの全日本学生選手権の滑降で全長二、八七〇メートル、標高差七三五メートルを2分18秒5ですべって優勝した星野富夫選手(専大)の記録とほぼ同じ。

 よく整備された競技会コースならいざ知らず、エベレストの薄い空気や露出した岩などの障害物を避けながら、これだけのスピードで滑降できたのは、やはり日ごろの訓練と、パラシュートや酸素マスク、救命胴衣などの“滑降兵器”のおかげだろう。

(1970〈昭和45〉年5月12日付朝刊21面)

【解説】

 冒険家、三浦雄一郎さんが5月23日、80歳でエベレスト(8848メートル)に登頂し、最高齢登頂の記録を更新しました。70歳の2003年、75歳の08年に続く3度目の登頂成功です。三浦さんは一時、脱水症状を起こしましたが、時間をかけて体力を回復させながら無事に下山しました。

拡大冒頭の記事の後、8100メートル地点での滑降にも成功していたと報じる記事=1970年5月17日付東京本社版朝刊21面
 三浦さんとエベレストとの「闘い」は、実は40年以上も前に始まっています。1970年5月、37歳の時にスキーを使った「エベレスト滑降」に挑戦。これを紹介した当時の記事を、今の校閲記者の視点から点検してみましょう。

 第1段落では「ニュースは何か」を端的に伝えたいところです。「プロスキーヤーの三浦雄一郎さんが今月6日、スキーによる本格的なエベレスト滑降に世界で初めて成功した。日本エベレスト・スキー探検隊の藤島泰輔総本部長が11日、カトマンズで発表した」のように、順序の入れ替えを提案します。標高何メートルのどの場所から滑降したか、といった詳しい情報は、次の段落でまとめて記せばいいでしょう。

 また、藤島総本部長のコメントに「すべり出した直後に時速一五〇キロに達した」とありますが、これはどのような方法で計測したのか知りたいところです。滑った距離と所要タイムから割り出したのでしょうか。

 解説記事に目を移すと、三浦さんが難斜面をいかに高速で滑り降りたかが紹介されています。が、見出しの表現は「平均時速は学生滑降優勝者程度」。「○○程度」としてしまうと「たいしたことない」ような印象も与えかねないので、ここは「~優勝者並み」や「~優勝者に匹敵」などと肯定的なニュアンスになるようにしてもらいましょう。

 本文末尾には「滑降兵器」という言葉が登場しますが、兵器にたとえるのは不穏当なので「滑降装備」「滑降ツール」などとしたいところです。

拡大エベレスト滑降から帰国した三浦さんのコメントを伝える記事=1970年5月22日付東京本社版朝刊20面

 三浦さんは滑降成功から半月後の5月21日に帰国し、詳細を語りました。

 「(滑降スタートから)五秒後、時速一七〇キロに達し、パラシュートを開いた。距離にして二千五百メートルもすべっただろうか。突然目の前に大きな岩と雪の突起があらわれ、乱気流にあおられてしりもちをつき、転倒した。止ったのは六、九〇〇メートル付近のクレバスの手前だった」といいます。

 当時の別の記事によると、三浦さんはヘルメットに内蔵された無線から指示を受けてパラシュートを操作。パラシュートは3段階で次々と開き、減速する仕組みだったそうです。酸素マスクはジェット機のパイロット用を改造して装着したほか、転倒に備え救命胴衣を身に着けて臨みました。

 三浦さんの滑降の一部始終はビデオに収められ、その記録映画「エベレストを滑った男」はアカデミー賞長編ドキュメンタリー映画賞を受賞しました。米国のカーター元大統領はこの映画を「20回見た」といい、三浦さんを「真のヒーローだ」とたたえたそうです。

 ひとつ間違えば最悪の事態もあり得る「極限の挑戦」は、37歳当時も、80歳を迎えた今回も、変わらぬ困難をともなったに違いありません。一方で、「夢を見てあきらめなければ実現できる」と話す三浦さんのチャレンジし続ける姿勢は、多くの人にとって励ましとなることでしょう。

 生命の危険と隣り合わせという意味では、エベレスト登山者のサポート役を務めるシェルパも同様です。70年当時の記事は、三浦さんのスキー探検隊に同行したシェルパ6人が、クレバスに転落して命を落とすという「悲劇」も伝えています。世界をあっと驚かせる偉業の陰に、世界最高峰が牙をむく厳しい現実があったことを忘れるわけにはいきません。

【現代風の記事にすると…】

三浦雄一郎さん エベレスト滑降に成功 世界初

 AP通信によると、プロスキーヤーの三浦雄一郎さんが今月6日、スキーによる本格的なエベレスト滑降に世界で初めて成功した。日本エベレスト・スキー探検隊の藤島泰輔総本部長が11日、カトマンズで発表した。

 スキー探検隊長を務める三浦さんとサポート隊員は5日、エベレスト・サウスコル(7985メートル)に到着してキャンプ入り。6日朝、ザイルを使ってサウスコルから約200メートル下り、7780メートル地点から滑降をスタートした。7千メートル地点にある大きく切れたクレバス(氷の割れ目)の手前まで、全長約3キロにわたって滑降したという。所要タイムは2分20秒だった。

 共同通信によると、三浦さんは渦巻き状の風に襲われ、減速用のパラシュートを操作しようとして転倒、腰に軽傷を負った。このとき右のスキー板がはずれ、目標としていた6200メートル地点までの滑降続行はできなくなったという。

 AP通信によると、藤島総本部長は「スキーを失ったほかは、計画通りだった。(○○の方法で計測したところ)滑り出した直後に時速150キロに達した。途中には四つも岩が露出していてヒヤヒヤした。三浦隊長も『スリル満点の滑降を楽しんだ』と喜んでいた」と語った。

 三浦さんは13日にカトマンズに帰る予定。

速度は学生選手優勝タイムに匹敵

 《解説》当初計画されたサウスコルよりスタート地点は低くなったが、それでも、これほど高所から一気に滑り降りたのは世界初のことだ。これまでの記録は昨年5月、西ドイツ隊がアンナブルナ山群のグレイシャー・ドーム(7142メートル)頂上から滑ったのが最高で、これを大幅に上回った。

 最高時速は150キロに達したという。コースの全長と所要タイムから計算すると、平均時速は77キロほど。これは今年の全日本学生選手権の滑降で全長2870メートル、標高差735メートルを2分18秒5で滑って優勝した星野富夫選手(専大)の記録に匹敵する。

 整備の行き届いた競技会コースならともかく、三浦さんが挑戦したのは空気が薄く、岩などの障害物が露出した悪条件下のエベレストだ。滑降成功の秘訣(ひけつ)は、日頃の訓練と、パラシュートや酸素マスク、救命胴衣をはじめとする「滑降ツール」にあったと言えるだろう。

(加勢健一)

当時の記事について

原文どおりに表記することを原則としますが、読みやすさの観点から

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