メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

昔の新聞点検隊

今日の気温は96度!!

上田 孝嗣

拡大1922(大正11)年8月8日東京朝日夕刊2面。画像をクリックすると大きくなります。主な直しだけ朱を書き入れています。現在の朝日新聞の表記基準で認めていない漢字の音訓や、当時は入れていなかった句点を入れる等については、原則として記入を省いています

【当時の記事】

けふは九十六度 この暑さと戦ふ苦しみ 堪らない工場労働

昨日は九十四度の暑さでした、けふもそれに負けぬむし暑さです、何処へ行ってもこの暑さで苦しめられる声で満ち厳しい暑熱はあらゆる都市生活者に苦悩と圧迫とを与えてゐます、その影響は直に病院に現れ、到る処患者は満員です、工場労働者の状況は天候との戦ひに一層の生活苦を見せてゐます、この熱苦を緩和するためにどんな施設が行はれてゐるか、けふの夕刊にはさういふ方面の記事を集めて見ます

(中略)

厳しい陸軍工場でも「上衣を脱げ!」とのお触れが出た

(中略)管内一万四千近い男女工を有する東京砲兵工廠は(中略)火気を取扱ふ工場は普通の室内に比べて華氏三四度位の高温だがどの工場も一般に上衣を脱いでシャツ一枚で居て差支ないといふお触れが出て流石に厳しい陸軍の工場もこの暑さには叶はない

お手のものの氷菓を百五度の密閉室で 製菓女工の苦痛

芝田町の森永製菓本社は五百八十名から男女工が外気の湿度を怖れる工場の中でせっせと働いて居る(中略) 製品の関係で温度の調節を行ひ此暑い中に六十度位の涼しい室に働く女工連が羨望の的になって居るが、専門々々でどうにもならぬ対照を示してゐる、工場係りの方では毎日氷で冷した麦湯を給与して居るが今日辺御手のもののアイスクリームでも拵へて皆を慰めやうかと工夫の最中であった

四百貫の氷を喰ふ 日清紡の女工

日清紡績会社の宮島社長は「私共のやうに事務所に居る者でさへ眩暈を起す程ですから工場に居る者は気の毒な程です、それで昼夜二部制の十一時間就業する三千人の男女工には一時間の休憩を与へ絶えず氷を与へてますが、毎日四百貫近くの氷が間に合ひかねるので閉口です、全く気の毒な位暑いので――」と額の汗を拭く

専売局は二割方欠勤

専売局煙草製造工場も熱い場所では他に劣らぬ所だ、浅草専売支局の情況を聞くと約三千人の女工達は朝来九十何度の中で働いて居る 大きな扇風機が間断なく廻って女工連を頭から冷やかしにかかって居るが日に一割五分の欠勤者は出るさうで他に納涼の方法も採れず工場は挙て苦熱と闘ふ最中である

(1922〈大正11〉年8月8日東京朝日夕刊2面)

【解説】

 列島各地で暑い日が続きます。7月11日には群馬県館林市で39.5度を記録したのをはじめ、35度以上の猛暑日になった気象庁の観測地点が全国で140と今年最多を更新。消防庁によると、8~14日の1週間に熱中症で救急搬送された人は全国で1万人を超えました。

 扇風機やエアコンがある現在でも、夏の暑さはしんどいものです。昔の人はどのように涼しさや過ごしやすさを工夫していたのでしょうか。

 今回は、1922(大正11)年の猛暑の記事を取り上げます。まずは、今の校閲記者の視点から点検していきましょう。

 まず、記事の見出しの気温「九十六度」ですが現在の私たちからみると「?」でしょう。「カ氏(華氏)96度」の意味です。今はセ氏で表すのが一般的ですね。セ氏に直すと「35.6度」になります。

拡大同じ日に載った「今日の温度」。東京はカ氏96.3度=1922年8月8日付東京朝日夕刊1面
 また、この「96度」は本文に出てきません。見出しは記事に書いてあることから取るのが原則です。この日の夕刊を読み返すと、1面に小さく「今日の温度」が載っており、そこに「東京 九六・三」とあるので間違いではありませんが、この記事にも「(東京は)96度だった」というデータを入れるよう提案してみます。

 最初の段落に「この熱苦を緩和するためにどんな施設が行われているか」とあります。「施設」には「計画、策略などを立てること。また、その計画」(日本国語大辞典)の意味もありますが、今ではこのような使い方はあまりしませんね。「施設」というと建物などを思い浮かべてしまいます。今なら「対策」などとした方が分かりやすそうです。

 陸軍工場の部分の見出しが「上衣を脱げ!」となっていますが、記事を見ると「上衣を脱いでシャツ一枚で居て差支ない」。だいぶニュアンスが違います。記事に合わせると、見出しは「シャツ一枚でもよし」ぐらいでしょうか。

 指摘はこのぐらいにして記事に戻りましょう。

 記事は8月上旬の夏真っ盛り、工場労働者の夏の一日の仕事を追っています。紡績工場の3千人に1日400貫(1.5トン)もの氷を提供して暑さをしのがせたそうです。費用も相当かかったのではないでしょうか。たばこ工場では欠勤者が約450人も。休んだ人も出勤した人も大変だったでしょう。製菓工場では、カ氏60度(セ氏約16度)の涼しい部屋で働く人がうらやましがられています。アイスクリームの保管庫関係の部署でしょうか。

 記事には扇風機も登場します。電気扇風機は、アメリカのトーマス・エジソン(1847~1931)の発明品の一つとされています。日本電機工業会によると、国産の扇風機は1894(明治27)年に国産1号が発売され、1918(大正7)年頃から量産型が発売されています。大規模な工場では早くから設備として使われていました。

拡大扇風機の貸し出しを報じた記事=1937(昭和12)年6月12日付東京朝日夕刊東京版
 1937(昭和12)年6月12日付東京朝日夕刊には「扇風機いかが 市電で貸出す」という記事が載っています。記事には、東京市電灯課が7月から1カ月2円90銭で貸し出すとあります。また、前年は応募が多かったので283台を新たに購入し、今夏は783台を貸し出すとしています。

 関東大震災以降の家電ブームで購入する家庭も増えてはいたものの、昭和の初め頃までは、購入するよりも、夏の間電機店やメーカーから借りるのが一般的でした。エアコンが家庭に登場するのは50年代に入ってからになります。

拡大エアコンと扇風機の合わせ技で上手に節電。涼しく快適な夏にしましょう
 身近な扇風機も最近、「羽根」の数に変化があるようです。従来の扇風機は3~5枚でしたが、7~8枚の羽根の扇風機が増えてきました。直流(DC)モーターを採用した扇風機です。今までの交流(AC)モーターより細かく回転数を制御でき、そよ風のような優しい風を流すことができます。消費電力も小さいので節電にも一役買いそうです。ただしお値段は1万円前後からとまだまだ高額です。また、羽根のない扇風機も人気ですね。

 これから夏本番です。扇風機やエアコンも上手に使って、暑い夏を乗り切りましょう。

【現代風の記事にすると…】

最高気温35.5度 猛暑と戦う苦しみ たまらない工場労働

 厳しい暑さが続いている東京都内は、8日も晴れて気温が上がり、前日の34.4度を超える35.5度になった。記録的な暑さに見舞われ、熱中症の症状を訴える人で各地の病院は対応に追われた。大勢の労働者がいる工場の現場は暑さとの戦いが続く。この酷暑を乗り越えるためにどんな対策を取っているのか、各地の工場を取材した。

 (中略)

 厳しい陸軍工場でも「シャツ1枚でもよし」との指示

 工場敷地内に1万4千人近い男女従業員が働く東京砲兵工廠は、火気を取り扱っているため、工場は普通の室内に比べて2~3度高温になる。敷地内のどの工場も「上着を脱いでシャツ1枚になっても構わない」という指示が出た。服装など風紀に厳しい陸軍の工場でもこの暑さにはかなわない。

 40度超の密閉室で冷たい氷菓を製造

 東京・田町の森永製菓本社では580人以上の男女従業員が、氷菓製造のため外気を遮断した工場の中で懸命に働いている。室内の温度は40度を超えている。そのため、製品の関係で15度ぐらいの涼しい室内に働く人たちがうらやましがられているが、それぞれが専門業務であり、ほかの人が代わりに入るわけにもいかない。工場の担当者が毎日氷で冷やした麦茶を提供しているが、従業員たちに工場で作っているアイスクリームを提供しようかと検討していた。

 毎日1.5トンの氷を消費

 日清紡績の宮島清次郎社長は「私たちのように事務所にいる者でさえめまいを起こすほどですから、工場にいる者は気の毒なほどです。それに昼夜2部制の11時間就業する3千人の男女従業員には1時間の休憩と、絶えず氷を用意していますが、毎日1.5トン近く消費する氷の調達が間に合わないので困っています。全く従業員たちには気の毒なくらい暑いので……」と額の汗を拭いていた。

 たばこの専売局は従業員の15%が欠勤

 専売局のたばこ製造工場も暑さではほかに劣らぬ場所だ。浅草専売支局によると、約3千人の女性従業員は朝から30度を超える暑さの中で働いている。大きな扇風機を回して女性従業員らに風を送っているが、毎日全従業員の15%の欠勤者が出ているという。涼を取る方法もなく、工場を挙げて暑さと戦っている。

(上田孝嗣)

当時の記事について

原文どおりに表記することを原則としますが、読みやすさの観点から

  • 漢字の旧字体は新字体に
  • 句点(。)を補った方がよいと思われる部分には1字分のスペース
  • 当時大文字の「ゃ」「ゅ」「っ」等の拗音(ようおん)、促音は小文字に

等の手を加えています。ご了承ください