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昔の新聞点検隊

聖火が東京に到着!

上田 孝嗣

1964(昭和39)年10月7日東京本社版夕刊1面拡大1964(昭和39)年10月7日東京本社版夕刊1面。画像をクリックすると大きくなります。主な直しだけ朱を書き入れています。現在の朝日新聞の表記基準で認めていない漢字の音訓や、当時は入れていなかった句点を入れる等については、原則として記入を省いています

【当時の記事】

聖火、東京に着く 二万六千キロの旅
十万人の手をへて 第三、四コース

 国内を四コースにわかれて続けられている聖火リレーのうち、第三コースと第四コースの聖火が七日、埼玉県境の戸田橋、千葉県境の新市川橋からゴールの東京にはいり、第三コースは午後一時十七分、第四コースは同三十三分、あいついで東京都庁に着いた。ギリシャのオリンピアで採火されてから四十八日目。二万六千キロを空、海、陸路と十万人余の手で運ばれてきた聖火の旅も、無事開催地に到着したわけである。第一、第二コースは八日東京入りする。

都庁で到着式

 この日、関東一帯はあいにくの雨模様。東京都庁への“一番乗り”は、青森から奥羽・上越路を南下してきた第三コース。午前十一時半、戸田橋北側の中継地点で埼玉県の高橋保君(一八)から、東京都の鈴木政夫君(二〇)の手に引継がれ、白煙をなびかせながら戸田橋を一気に渡り、東京へ。

 聖火は、万国旗や花で飾られた中山道から白山上、水道橋、神田橋と十三区間をリレーされ、午後一時十六分、同コースの最終走者、上田東雄君(一九)の手にかかげられて、歓声と拍手とファンファーレの鳴り響くなかを東京都庁前に到着した。

 ただちに、中二階バルコニーで到着式が行われ、東・東京都知事の歓迎のあいさつ、東京都歌の演奏、万歳三唱と続くうちに、聖火は聖火台から聖火灯に移され、知事室におさめられた。

 一方、札幌から本州太平洋側を南下してきた第四コースの聖火は新市川橋東側の中継地点で千葉県の宮田英雄君(一八)から東京都の小川繁春君(一七)に引継がれ、小川君は午前十一時、第三コースより一足早く東京の土を踏んだ。そのあと、奥戸新橋、堀切橋、千住大橋、厩橋、清澄橋と通って十九区間をリレー、午後一時半、第三コースの到着式直後に都庁着。警視庁の推定では、両コースで聖火歓迎の都民は約百万、ヘリコプター三機をはじめ八千人の警官を動員して整理に当った。

 (中略)

 この日都庁の知事室に納められた聖火は、九日夕皇居前広場で行われる集火式で一つにまとめられ、翌十日晴れの開会式へ――こうして、昭和十一年のベルリン大会で誕生して以来、アジアでは初めての、しかも史上最大の規模といわれる今大会の聖火リレーも終り、第十八回オリンピック東京大会が、はなやかに幕を開ける。

(1964〈昭和39〉年10月7日東京本社版夕刊1面)

【解説】

 先月7日、アルゼンチンのブエノスアイレスで開かれた国際オリンピック委員会(IOC)総会。高円宮妃久子さまや安倍晋三首相らが登壇した東京の最終プレゼンは好評で、2020年夏季五輪開催地に東京が選ばれました。56年ぶりに東京でオリンピックが開催されます。

 今回は、1964(昭和39)年の東京五輪開会式直前の聖火リレーの記事を取りあげます。8月21日にギリシャで採火された聖火は、9月7日に米軍統治下の沖縄に到着します。沖縄で分火された聖火は、出発点の3カ所に空輸。全都道府県を巡らせるため、全国四つのルートに分かれて東京に向かいました。記事はそのうちの第3、4ルートが10月7日に東京に到着したことを伝えています。

 記事を今の校閲記者の視点から点検してみましょう。

 まず、聖火が都庁前に着いた時刻が前文と記事で食い違っているのが気になります。第3コースは「午後一時十七分」(前文)と「午後一時十六分」(本文)、第4コースは「同三十三分」「午後一時半」。わずかな違いではありますが、正しい方にそろえてもらいましょう。

 それから、東・東京都知事は今ならフルネームにします。東竜太郎氏(あずま・りょうたろう、1893~1983)は1959年に都知事に初当選し、この時は2期目でした。

 細かくなりますが、歓迎の都民は約百万「人」と単位がほしいところです。

聖火リレーのコース拡大聖火リレーのコース=1964年10月6日付東京本社版朝刊15面
 なお、記事に出てくる「都庁」は現在の新宿都庁ではなく、JR有楽町駅近く(千代田区丸の内)にありました。1991年に新宿に移転し、跡地には東京国際フォーラムというイベント施設が立っています。

 指摘はこのぐらいにして記事に戻りましょう。

 聖火がたどった全国の四つのルートは右の図のようなコースでした。

 各コースの様子は、連日、紙面をにぎわしています。

 聖火リレーは各地で歓迎を受け、五輪開催に向けて雰囲気も盛り上がりましたが、トラブルもありました。

 台風20号に見舞われた兵庫県では、実行委員会が県警の要請で一部聖火を車での輸送に変更したことにコースの各自治体から不満が噴出。実行委にはリレー沿道の関係者や走者の親からの電話が鳴り響きました。結局、大阪に直行する計画を変更し、各市役所へ車が立ち寄って義理をたてました。しかし、立ち寄れなかった西宮市や宝塚市では改めて聖火リレーをやったそうです。

 また、聖火リレーで少年少女の体力不足が露呈した、という記事も出ました。全国で青少年を対象に試走や講習会を開いたところ、山梨では試走会で2、3周目からトラックに座り込んだり、逃げ出したりする子が出て実行委を慌てさせました。宇都宮でも本番のリレーで落後者を組織委の車で中継点近くまで運び、とにかく引き継ぎの際の伴走者数を合わせたのだとか。これは食糧難の影響があったのかもしれません。第2次世界大戦の後もしばらく食糧難が続き、児童の体格も一時落ち込みました。戦前の水準にもどったのは52年ごろのことでした(文部省調べ)。1964年に20歳前後の若者だった人はみな、小さいころに戦後の食糧難を経験しているわけです。

 走者には、沖縄の戦争遺児の22歳の男性や鹿児島の「女子長距離のホープ」の18歳の女性ら、戦後育ちの若者たちが選ばれました。最終走者は19歳だった早大競走部員の坂井義則さん。当時の選考基準は、第2次世界大戦から復興した日本を象徴する「戦後の若い世代」でした。

坂井義則さんが聖火台に点火拡大聖火リレーの最終走者は広島原爆の日(1945年8月6日)に生まれた坂井義則さん。開会式で聖火台に点火した=1964年10月10日付東京本社版夕刊11面

 2020年の聖火ランナーになるのはどんな人でしょうか。選考基準が「平成生まれの若い世代」になるなら、今の子どもたちは体育の授業以外で運動をしない子もいるそうなので、1964年の時以上に「体力不足」が話題になるかもしれませんね。

 98年の長野冬季五輪の際には日本コカ・コーラが聖火ランナーを一般公募しました。IOCと公式のパートナー契約を結んだ企業や各種の競技団体・関係自治体などからの推薦枠もあるようです。読者の方のなかにもこれから聖火ランナーになる方がいらっしゃるかもしれませんね。

 2020年五輪の招致委員会によると、開会式は同年7月24日、競技は翌日~8月9日。今は東京電力福島第一原発事故の汚染水問題など課題も山積していますが、五輪開催をきっかけに日本は活力を取り戻せるのでしょうか。メーンスタジアムになる予定の新国立競技場(計画中)で聖火リレーの最終ランナーが、聖火台に点火する瞬間を、明るい熱狂と興奮の中で迎えられることを祈っています。

【現代風の記事にすると…】

聖火、東京に到着 ギリシャから2万6千キロの旅 第3、4コース

 国内4コースに分かれ続けられている東京五輪の聖火リレーのうち、第3、第4コースの聖火が7日午後1時過ぎ、相次いでゴールの東京都庁に着いた。ギリシャのオリンピアで採火されてから48日目。2万6千キロを空、海、陸路を伴走者も含め10万人余の手で運ばれてきた聖火の旅も無事開催地に到着した。第1、第2コースは8日に東京入りする。

都庁で到着式

 この日、関東一帯はあいにくの雨模様。東京・丸の内の都庁への一番乗りは青森から東北日本海側・上越路を南下してきた第3コース。聖火は午前11時半、戸田橋北側の中継地点で埼玉県の高橋保さん(18)から、東京都の鈴木政夫さん(20)の手に引き継がれ、白煙をなびかせながら戸田橋を一気に渡り、東京へ。聖火は万国旗や花で飾られた中山道から白山上、水道橋、神田橋と13区間をリレーされ、午後1時16分、最終走者の上田東雄さん(19)の手に掲げられて、歓声と拍手とファンファーレの鳴り響く中を丸の内の東京都庁に到着した。

 ただちに中2階バルコニーで到着式が行われ、東竜太郎・東京都知事の歓迎のあいさつ、都歌の演奏、万歳三唱と続くうちに、聖火は聖火台から聖火灯に移され、知事室に納められた。

 一方、札幌から本州太平洋側を南下してきた第4コースの聖火は新市川橋東側の中継地点で千葉県の宮田英雄さん(18)から東京都の小川繁春さん(17)に引き継がれた。小川さんは午前11時、第3コースより一足早く東京の土を踏み、そのあと奥戸新橋、堀切橋、千住大橋、厩橋、清澄橋と通って19区間をリレー。午後1時半、第3コースの到着式直後に都庁に到着した。

 警視庁の推定では、両コースで聖火を歓迎した都民は約100万人。ヘリコプター3機をはじめ、8千人の警察官を動員して整理に当たった。

 (中略)

 この日都庁の知事室に納められた聖火は、9日夕に皇居前広場で行われる集火式で一つにまとめられ、翌10日晴れの開会式へ――。こうして、1936(昭和11)年のベルリン大会で誕生して以来、アジアでは初めての、しかも史上最大の規模といわれる今大会の聖火リレーも終わり、第18回オリンピック東京大会が、華やかに幕を開ける。

(上田孝嗣)

当時の記事について

原文どおりに表記することを原則としますが、読みやすさの観点から

  • 漢字の旧字体は新字体に
  • 句点(。)を補った方がよいと思われる部分には1字分のスペース
  • 当時大文字の「ゃ」「ゅ」「っ」等の拗音(ようおん)、促音は小文字に

等の手を加えています。ご了承ください