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昔の新聞点検隊

受刑者の解放/関東大震災(7)

1923(大正12)年12月21日付東京朝日朝刊7面拡大1923(大正12)年12月21日付東京朝日朝刊7面。画像をクリックすると大きくなります。主な直しだけ朱を書き入れています。現在の朝日新聞の表記基準で認めていない漢字の音訓や、当時は入れていなかった句点を入れる等については、原則として記入を省いています

【当時の記事】

獰猛脱走囚 品川署で逮捕す
横浜刑務所を逃げ 東京を荒した凶漢三名

 震災当時は横浜刑務所で一時開放された囚人中強窃盗七犯●●●●●●●(三四)同四犯●●●●●●●(二八)同三犯●●●●●●●●(二七)の三名は其後遁走行方不明であったが最近神奈川県程ケ谷附近の某木賃宿を巣窟となし品川、大森、大井、芝高輪、麻布方面に亙り強窃盗、詐欺、脅喝等の犯罪を逞しうして居る事を品川署で探知し追跡中本月十八日夜半麻布四ノ橋附近の某実業家の宅に押しかけたのを探知し本郷司法主任は部下五名と共に特別仕立の自動車で駆けつけこれを取押へた、目下品川署で厳重取調中だが彼等は震災で警視庁の指紋原簿焼失せるに乗じて容易に実を吐かざるため証拠の蒐集に苦心して居る

(1923〈大正12〉年12月21日付 東京朝日朝刊7面)

【解説】

 関東大震災(1923年)にまつわる紙面を繰り、来るべき時に向けて歴史に学ぶ……。シリーズの7回目は、被災した刑務所と受刑者を取り上げます。

 冒頭の記事は、震災で刑務所から一時解放された後、逃走を続けていたとみられる男たちの逮捕を報じたものです。

 しばし校閲。文中の「一時開放された囚人」は、拘束をといて自由にすることなので「解放」にすべきです。「強窃盗七犯」とありますが、今の朝日新聞では、不可欠な場合を除き、原則として前科・前歴には触れません。本当に必要なのか再考してもらいます。

 「神奈川県程ケ谷」はどうでしょう? 今では横浜市保土ケ谷区など「保土ケ谷」ですが、当時は「程ケ谷」と書くこともあったのかもしれません。ただ、現代の新聞としては地名の表記がバラバラになってしまうのは好ましくないので、念のため確認を求めます。

 「犯罪を逞(たくま)しうして居る事を」も、断定調なので要注意。まだ裁判で罪の有無が審理されていない段階です。見出しの「荒した」とともに「容疑」「疑い」などとつけ、男3人も呼び捨てでなく「容疑者」をつけてもらいます。

 「厳重取調中」も、捜査当局側に立ったような書き方です。犯人と決めつける感じがでるので、「厳重」を抜くよう指摘します。

 細かく言えば、3人が逮捕された容疑と日付を明示してもらいたいところ。「逃走」「窃盗」「住居侵入」など様々な逮捕容疑が考えられ、原文のままだと疑問が残ります。

◇   ◇   ◇

 関東大震災で、関東一円の刑務所に大きな被害が出ました。最も深刻だったのが、横浜刑務所です。

 「日本行刑史散策」(小野義秀著、矯正協会)によると、震災発生当日、横浜刑務所には1131人の受刑者がいました。うち48人が死亡、50人が重傷(のちに10人が死亡)。職員も3人が死亡、21人が重軽傷を負いました。

 建物は壊滅状態に。その日の夜には周辺から広がってきた炎で、敷地は火の海となったそうです。逃げる場所がなくなったため、24時間以内に戻ってくるように指示して、受刑者を解放しました。

 この措置は、当時の監獄法に基づくもの。同法22条は「天災事変に際し刑事施設内において避難の手段なしと認むるとき」、緊急避難措置として受刑者の解放を認めていたのです。

 24時間以内に戻ってきた受刑者は565人。名古屋刑務所に移送されるなどしました。遅れて帰ってきたケースも多かったようですが、戻らなかった受刑者は逃走扱いに。今回取り上げた紙面の男3人は、まさにこの逃走が疑われたケースでした。

 監獄法に代わって「刑事施設・受刑者処遇法」が2006年に施行されました。明治から100年近く続いた法が抜本的に改められましたが、「解放」は引き続き認められています。

〈刑事施設・受刑者処遇法83条〉

 刑事施設の長は、地震、火災その他の災害に際し、刑事施設内において避難の方法がないときは、被収容者を適当な場所に護送しなければならない。

 前項の場合において、被収容者を護送することができないときは、刑事施設の長は、その者を刑事施設から解放することができる。

 前項の規定により解放された者は、避難を必要とする状況がなくなった後速やかに、刑事施設または刑事施設の長が指定した場所に出頭しなければならない。

◇   ◇   ◇

 2011年の東日本大震災。刑務所にいた受刑者が解放される事案はありませんでしたが、警察署などで身柄を拘束されていた容疑者が釈放されるケースはありました。

 震災発生の3月11~16日、福島地検は県下の各警察署に「釈放指揮書」を届け、勾留中の容疑者31人を処分保留のまま釈放。仙台地検も3月12~16日、27人を釈放しました。理由は「容疑者の安全確保」「捜査遂行が困難」など。釈放せずに勾留を続けて起訴したり、証拠隠滅を防ぐために再逮捕することもありました。

 ちなみに、釈放された容疑者の中には、約半月後に建造物侵入容疑で現行犯逮捕された者、覚醒剤使用が再び明らかになった者もいました。

【現代風の記事にすると…】

住居侵入容疑で逮捕 逃走受刑者の3人か

 警視庁品川署は○日、東京都港区の住宅に侵入したとして、男3人を住居侵入容疑で逮捕し、発表した。いずれも関東大震災で横浜刑務所から一時解放され、戻らずに逃走を続けていた受刑者とみて調べている。

 逮捕されたのは●●●●(34)、●●●●(28)、●●●●●(27)の各容疑者。18日夜、港区麻布の実業家宅に侵入し、駆けつけた警察官に取り押さえられた。

 同署によると、3人は9月1日、震災で全焼した横浜刑務所から、監獄法に基づき一時解放された。定められた24時間以内に戻らず逃走。神奈川県保土ケ谷町の宿泊施設を拠点に、都内で強盗や恐喝、詐欺を重ねていた疑いがある。

(高島靖賢)

当時の記事について

原文どおりに表記することを原則としますが、読みやすさの観点から

  • 漢字の旧字体は新字体に
  • 句点(。)を補った方がよいと思われる部分には1字分のスペース
  • 当時大文字の「ゃ」「ゅ」「っ」等の拗音(ようおん)、促音は小文字に

等の手を加えています。ご了承ください